夜闇④
◆ジョージ十三世二十九年 十二月三十一日 二三時三二分
のっぽ卿の馬に蹴られた脇腹が、呼吸のたびにずきりと疼く。診療係の兵に「肋骨が折れております。ご安静を!」と泣きつかれたが、寝ていられるほど気楽な身分なら、そもそもいまここにはいない。
「少しなら剣も振れる。相手が達人じゃなければ大丈夫だ」
「近衛は達人ばかりですよ……!」
「そいつらは今、王子殿下のお相手で忙しい」
どうせ私が剣を振るうような時は、もう駄目だ。
立っているだけでも痛むが、じっと横になっている、という気にもなれない。
屋上から戻ってきたエドに頼み、気付けにマンカスター四年を一杯頂戴する。不味い! ……もう一杯。
「ウィル様、脇腹は?」
「折れたらしい。死にはせん、痛いだけだ」
「俺はてっきり槍でも受けたのかと。あの中央貴族野郎、生かしちゃ……」
「馬の仕業だよ。悪気はなかったはずだ」
あののっぽ卿は、性格を別にすればよくものが見えるいい貴族将校だ。外戚としてうまく取り入ったこちらを当然嫌っているのだろうが、能力のある味方、というだけでも好感が持てる。
それに、怒ったところでどうせ帰ってこないだろう。来たとしたら……その時は本当の戦友になれる気がする。
「馬ですか、ならま、仕方ねえですかね。あいつらの馬は良い草を食ってそうだが、ちょいと臆病な目でした」
牧畜家のサーリンガム騎兵は皆、馬には優しい。重装騎兵の乗騎たちは、皆毛並みも良い馬たちだった。彼らは、この戦いでどれほど生き延びられるか。
考えたくない。足を動かし城内を巡る。
「総長。こっちはなんとか直せそうです」
「精が出るな」
狭い・暗い・臭いと三拍子そろった旧王城の防御通路をたどり、わずかに開けた場所へたどり着いた。
北部浪士組は黙々と作業に勤しんでいる。倉庫から出てきたらしい弩の手入れだ。一応、使えなくはない……らしい。弓も弩も、私は門外漢だ。
「ボーツシャー一門の何家かの領地が、領地連隊の武装に採用してましたからね。慣れた兵も多いです」
「そりゃあ助かる」
「……言っといてなんですが、いいんですか」
「何がだ」
「ボーツシャー系領地の浪士兵なんて、メアリ様の縁者みたいなもんです。裏切るかもしれませんよ」
「裏切るなら、堂々と出ていっていいぞ。後ろから撃つのだけはやめてくれ。それは」
弩を指差す。ぞっとしない形だ。
「当たったら痛そうだ」
戦闘になれば、門前の橋と……城内の通路で強さを発揮するだろう。城内の通路で戦ってるようでは、もう終わりだが。
「いや、俺は裏切りませんが」
「貴官はボーツシャー一門、ノーザレン連隊出身だろう」
頭を掻き、溜息をつく。知らないとでも思っていたのか。戦場でも会ったよね。
「……そうですが」
「裏切りたくならんのか?」
「なりません。俺の家族は衛士隊の給金で食ってます。メアリ様はお手を差し伸べてくれませんでしたが、あんたは薄汚い流民から俺たちを兵にしてくれた」
「私じゃなく、王子殿下が……」
命じた、ことにしたはずだ。
「誰もそんなことは信じちゃいません」
「……そうかい」
「俺たちノーザレン連隊兵はあんたの兵だ。忘れんでくださいよ」
「ありがとう」
君たちノーザレン連隊浪士は、何人家族のもとへ帰れるか……眉間を指で押す。
考えたくない。次へ進もう。
城門の内側には分厚い木楔を用意し、梯子は外し、いつでも閉められる準備をしている。ここの配置はサーリンガム騎兵。騎兵で籠城は好ましくないが……ま、つい先日もやったばかりだ。できなくはないだろう。
「殿。ちょいと失礼」
小声で話しかけられる。どうせ碌でもない話だろう。
「なんだよ」
「この門、閉めちまいませんか」
ほらみろ、碌でもない話だ。
思わず見つめてしまう。相変わらず南部の牧畜家、という感じの顔だ。
「……王子殿下が戻られたらな」
「王子も、あの嫁さんも」
あの嫁さん、とやらは先ほどから橋の方へ出て、王子の去って行った方角をただ見つめている。
「もう要らんでしょう」
「要る、要らんという話ではなくだな……」
「伯父殿もどうなったかわかりません。ならもうご機嫌伺いも要らんはずです」
おや、意外と考えて物を言っているようだ。ならちゃんと相手をしよう。
「伯父上がヘンリー王子に賭けた以上、王子と我々マンカスター一門は一蓮托生だ。今更やーめた、は言えないし、相手にも認められんだろう」
伯父上なら言えそうだし、メアリは認めそうにも思える……嫌な想像をしてしまった。まあ常識で考えるなら、だ。
「逆に考えてみろ。王子が冠を戴いたら、ここまで付き従った我々は一の忠臣だぞ」
「あの王子が、王をやれますか」
苦笑すると、肋が痛んだ。
「……立場が人を変える、と言うだろう。君子は豹変するものだ」
「三つ子の魂百まで、とも言いませんかね」
「……まあな。だが、やれるとこまでやってみようじゃないか。両殿下が戻られたら、正門を完全封鎖。予定通り頼むぞ」
「そう仰るなら付き合いますがね。俺は殿の家臣です。あの王子のじゃない」
「ありがとう」
礼を言ってばかりだ。勝ったわけじゃないんだぞ、全く……
さて、防備は十分整った。物資も足りている。問題は士気だ。王子殿下の御為に命をかけようという兵はいないのか。私は遠慮したい。
「総長、よろしいですか」
「コーヴァン。どうした」
痛みにひいひい言いながら階段を登り、屋上へたどり着くと、先客がいた。暇なのか、コーヴァン。いやまあ暇だよな。もう出す指示は出し切ったしな。
「戦況はお聞きしましたか?」
「そういえば聞いてないな」
北部浪士組も、サーリンガム騎兵も、すでに王子には興味をなくしたような振る舞いだった。嫌われたもんだなあの人も。
悪い人では……あるかもしれないが、無能では……あるかもしれないが、ええと……王国の未来を、本人なりに真剣に考えているのに。
「どうなってる」
「以前ダールガムの戦いについて聞きましたが、アレの再現ですな」
遠眼鏡を差し出してくる。
「見たくない」
「見てください」
仕方ないなあ、と手を降って自分の外套から遠眼鏡を取り出し、胸壁の外を眺める。
なるほどあの戦いの再現だ。投網に絡められた騎兵がそこかしこに折り重なって倒れ、それを遠巻きに近衛が槍で突いている。現地ではさぞや地獄絵図が展開されていることだろう。メアリのお得意の技にまんまと嵌まったわけだ。
「どうですか」
「魔族がやられてるのを見るより、気分はよくないな」
巡り合わせによっては、やられていたのは我々サーリンガム騎兵だっただろう。
「そうでしょうな」
「王子はどうだ」
「何とか生き延びたようで、こちらに向かってます」
溜息が出る。一瞬、いっそ近衛に討たれてくれれば……という考えが頭をよぎった。それを追い出す。
指差す方へ遠眼鏡を向けた。数騎だけが橋を渡ろうとしている。
「つまり……また階段を下りなきゃいけないのか」
「抱き上げましょうか?」
「やめてくれ。自分で下りる」
下り始め、早速足を踏み外し、コーヴァンに支えられる。全くもって、私も王子も、指揮官が役に立っていない。困った軍だ。
ともかく、お出迎えに行こう。王子が皆の士気を上げてくれるだろう。上げてくれるかな。上げてほしいと思う。




