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幕間②

◆ジョージ十三世二十九年 十二月三十一日 二〇時〇五分


「なあ、せめて椅子に座らせてくれんか。わしの齢では、腰がきついのだ」

 後ろ手に拘束され、床に座らされた伯爵が何か言っている。セリアは黙したまま、腕を組んで目をつむっていた。

 要求は伝えた。この大貴族と楽しくお喋り、という気にもなれない。

 大体にして、身内を多数斬られておきながら、なぜこの男はこうも気安いのだ。何か腹が立ってきて、彼の尻を蹴り飛ばした。

「痛い! なんとひどい娘だ、全く……」

 相手にしているのが馬鹿らしくなってくる。誰かを見張りにおいておこうと席を立つ。

「ヘスフィールド卿、ちょっとよろしくて?」

 折り良く、露台から声がかかった。遠眼鏡を抱えて、半ば雪だるまとなった近衛だ。ご多分に漏れず、血塗れである。

「どうした」

「見てください」

 伯爵にちらりと視線を向ける。聞かれては拙い内容か。露台に出る。吹雪はどうやら、少しマシになっていた。そのため、一目見て異常が分かる。

「おい、これは……」

「はい。消えました」

 波が引いた、とでも表現するべきか。

 先ほどまで街路を埋めるように犇めいていた衛士隊の姿は一つもなく、天幕や篝火だけが残されている。何が起こっているのだ。

「今なら……退けませんか」

「今更、退けんだろう」

 逃げられるかもしれない、というのは魅力的だが、ここで逃げれば近衛は正義を失っただけではなく、勇気すら失ったこととなる。

「ですね」

「うん。何が起こるかは分からないが……っ!」

 待つ、間もなく次の「波」は迫りつつあった。通りの向こうから、白い外套の列が見え始める。ちらりと紺の制服。先頭には白馬に乗った金髪の女性。

「——司令だ!」

「えっ、あ、あら!?」

「私はお出迎えする。あなたは見張りに残れ、ひとり伯爵の監視もやる」

「は、はい!」

 どういう魔法か、あの衛士総長は約束を果たしてくれたようだ。



◆ジョージ十三世二十九年 十二月三十一日 二〇時一〇分


「お出迎えご苦労さま……随分、頑張ったようですわね」

 馬上から、メアリがねぎらいの声をかける。

「司令……っ!」

「生きてお会いできますとは……っ」

「待っておりましたわっ」

 口々に、セリア隊が気持ちを漏らす。続いた緊張で、すでに全員が限界だったのだろう。半数ほどは涙をこぼしていた。雪の中にへたり込む兵もいる。

「貴官らの勇戦、わたくし胸を打たれました。ここからは」

 背後の兵たちに向けても、声を張る。

「わたくし、ダールガム男爵夫人メアリ……いえ、継承権第四位、ボーツシャー公爵令嬢メアリが、貴女達と行動を共にしましょう」

 駄目です! と叫ばなくては。我々薄汚れた叛乱者の列に、司令を加えるわけにはいかない。

 だが、声が出ない。かけられた言葉が、嬉しすぎた。身が震えてしまう。

「セリア」

 ひらりと、眼前にメアリが下馬した。そのまま、血に濡れたセリアの身体を抱きすくめる。

 胸が熱くなる。雪の冷たさと、恐怖と、安堵が、境目もなく胸の奥で渦巻いた。

「貴女も、よく頑張りましたわね」

「司令、汚れてしまいます……っ! 私たちと同じ、血に……」

「あら、そのために参りましたのよ」

 微笑む。まるで聖女のように、彼女は見えた。



◆ジョージ十三世二十九年 十二月三十一日 二〇時三五分


 セリア隊は手当てを受け、マンカスター伯爵邸には臨時の近衛指揮所がおかれ、対面のギルスフォード侯爵邸には近衛本隊が入って内部から衛士隊の残した市街図などを回収していく。

 そしてセリアはメアリと二人、この屋敷の本来の主、伯爵と対峙していた。伯爵は縄を解かれている。望んでいた、正義が果たされる瞬間が近づいている……と頭では感じつつ、なにか違和感が拭えない。おかしい。なにも嬉しくない。死に触れすぎて、私はおかしくなったのか。

「呑むかね、近衛司令」

 ウイスキーとグラスを、伯爵がちらつかせる。

「あら、ボーツシャーの十二年。趣味がよくってね、伯爵」

「味は、わかるのでね」

「折角だから、そちらの棚の。マンカスターの十二年をもらおうかしら」

「……これは、美味くないのです」

 情けない顔をする。ぱちん、と暖炉の薪が爆ぜた。

「それでも、ですわ」

「まあ、そう仰せなら」

 グラスは三つ用意された。メアリの顔色をうかがうが、司令室での厳しい表情とも、先ほどの慈母のような表情とも違う、薄笑いを浮かべている。

「さてセリア、聞きたいことがあったのではなくて?」

「そっ、そうです! マンカスター伯爵! あの弑逆、スノウ医師は『怪我が軽かった』と言っていました。その証言を隠そうとしていたのでしょう!」

 少し、根拠として薄弱であることは、自分で言っていてわかる。だが、賭けたかった。ここまでしたのだ。

「グレイベリー卿が弑逆など、するはずはありません! 真実を、お聞かせください!」

 言い切った。ついにここまで来れた。メアリのおかげである。死んだ敵味方も、無意味ではなくなる。

「ふむ……」

 伯爵はグラスを揺らす。居心地の悪い沈黙が続いた。

「ダールガム司令としては」

 開いた手を、メアリに向ける。

 思わず鼻で笑ってしまう。司令に助けを求めるつもりとは、とんだ小物ではないか。

「どういう真実がお望みだね」

「しっ、真実に望みなど……っ!」

 メアリから手で、制される。

「まずは訂正を。わたくしはダールガム司令ではなく、ボーツシャー司令と名乗ることにしましたの」

「……まあ、ご自分でお越しになったからには、そういうことでしょうな」

「あなた達一門は本当に、ご理解が早くて助かりますわ」

 先ほどポーチでも聞いた言葉だ。だが、今一つ意味が分からない。私が平民出身であるからなのか。とにかく一言一句を聞き逃さないよう、わからないなりに耳を傾けた。

「よして下さい。賭けに負けた側です。まさか五十を送ってくるとは」

「あらあら、いい対局でしたわよ。特にそう、市門の閉鎖は驚きましたわ」

「甥は見どころのある男なのです」

「その通りですわね」

 なんの、話をしている。

 一人取り残された感覚になり、そわそわと身体を揺らし始める。

「大逆犯はグレイベリー王国騎士、とはいきませんかな」

「いきませんわね」

 まるで天気の話でもするように、弑逆に話が及ぶ。が「いきません」……?

「近衛は汚名を雪ぐために起った。ご理解いただけますわよね」

「ええ、しかし……わしの立場としては」

「あら、わたくしとしてはミドルスベリー公爵とマンカスター伯爵の共謀、でもよろしいんですのよ?」

「う、む……」

 伯爵が不味そうに、ウイスキーをすする。メアリも一口つけ、顔をしかめてグラスを置いた。

「この美味しい……美味しい……嘘ですわね。独特のウイスキーも、呑めなくなりますけれど、そこまでする義理があられて?」

「娘は」

 絞り出すように、伯爵が聞く。マンカスター伯爵の娘といえば、ヘンリー王子のわがままな妻、ジェーンだ。近衛でも警護する際は要注意とされていた。

「ジェーンさん? わたくしあの子、嫌いなのよね」

「それは……そうでしょうな」

「僧院か、旧王城へ」

 ほう、と伯爵が息を吐いた。またウイスキーを啜る。

「命はお助けいただける、と」

「ええ。あの断罪は腹立たしかったけれど、良い夫に出会えましたし、大逆犯の妻にはならないですみましたもの」

「面白い冗談ですな」

「冗談が得意と、よく言われますの」

 伯爵の背筋が伸びていく。蒸留酒を少し多めに、口にふくんだ。

 メアリはこの意味不明なやり取りを経て伯爵を追い詰めている……のではないのだろうか。伯爵は傍目に見ても覇気を取り戻しつつあるように見える。

「甥はどうなります」

「ウィリアム? 大逆事件の際には王都に不在でしてよ」

「でしたなあ」

「わたくし、彼は気に入っていますの。恋しちゃってるかもしれませんわね。もし、彼がマンカスターの姓を持てば、身分も少し近くなれますのに」

 ギョッとしてメアリを伺う。彼女は悪戯っぽく笑っていた。

「なるほど……! あれは息子同然ですからな。外戚としてお支えするなら、太い幹のほうが良い」

「あら。わたくしこの通り、痩身には気を使っていてよ」

「言葉の綾です、ご容赦を……あい、わかりました!」

 伯爵が、額をぱちんと叩いた。

「失念していたようです。第二王子……ミドルスベリー公爵ヘンリー殿下が、陛下を刺すところを見ましたぞ」

「あら、大変」

 伯爵が差し出したグラスに、メアリが底同士をぶつける。かちん、と音がした。

 そのまま二人、勢いよくウイスキーを飲み干す。伯爵は美味そうな、メアリは不味そうな表情になった。

「やはり悪くない味の気がしてきましたな」

「冗談でしょ。次はうちのボトルにして頂戴」

 伯爵が棚に向かう。

 なにを、見せられているのだ。いや、今何と言った。ヘンリー王子が弑逆犯と、そう言った……のか?

「よかったわね、セリア。弑逆犯はミドルスベリー公爵よ。グレイベリー卿は忠義の騎士として名誉を回復するでしょう」

 小首をかしげ、彼女は言う。

「これで、欲しかった『ちゃんとしたお墓』が貰えますわよ」

「な、なにを……仰っておられるのか」

「あら! グラスが空いてないじゃない。だめですわ、素面でこんな話聞いてちゃ」

 混乱する。なんで、どうして。

「さ、飲みなさい? 美味しくはないけれど……あ、ボーツシャーにしますの?」

 ボトルを持った伯爵が眉尻を下げる。

「殿下、これは高価いのですよ。呑まない近衛に注ぐなど」

「いいじゃない。何本か後で贈りますわよ」

「ほっ、本当ですか!? いやあ、素晴らしい。女王陛下万歳!」

「……あなた達一門のそういうところ、好きですわよ」

 思わず、後ずさってしまう。敬愛していたはずのメアリが、恐ろしい怪物に見える。

「わ、わたし、わたしにはっ、なにがなんだか! し、真実はどうなのですっ!?」

「真実ね……」

 伯爵が呟く。

「馬鹿げた言葉だ。わしの言葉を介して知るしかない以上、真実などに意味はない」

 こちらに視線を向ける。

「所詮は何を信じるか、だ」

 伯爵が口の端を吊り上げて笑った。もう何も信じられない。

「あら、真理ですわね」

「真実は人の心の数だけある。マンカスターの家訓にございます」

「ああ……だからウィリアムはああなのね」

「し、真実を、なんだと……っ!」

「わからないなら、呑んで忘れてもいいんですわよ。さ、それを呑んだら……」

 強引に、グラスを握らされる。なぜ、メアリが納得——いや、伯爵と、これは——意気投合した様子なのか。わからない。わかりたくない。

「筆頭政務卿ギルシャー侯爵邸へ。侯爵からこの紙にサインをもらいなさい。どうせ拒むでしょうけれど、兵で囲んででも書かせなさいね」

「こっ……これ、は」

 胸元から取り出されたのは、大逆犯ミドルスベリー公爵ヘンリー討伐の命令状。メアリは『最初から』これを用意していたのだ。

「必要なら、わしが書きますのに」

「義息子の討伐命令は外聞が悪くってよ」

「確かに、そうですな。娘はまだミドルスベリー公とともにいる。危険やもしれません」

「ウィリアムもね。忘れないでほしいですわ」

 とぷとぷ、とウイスキーが注がれる。

「わたくしたちはもう少し呑んで身体を温めてますから、貴女はサインをもらってらっしゃい。戻り次第、大逆犯を打ち果たしますわよ」

「なぜです! なぜ、こんなことを、私達を、叛乱に駆り立て……っ」

「違いますわよ、セリア。間違えないで頂戴」

 なんのことだ。私を使嗾して起こさせた蹶起は……

「負ければ叛乱、勝てば革命ですのよ」

 呆然と、その顔を見る。ふざけているわけでは、どうやらなさそうだった。

「こんな、こんなことは……許されないことです!」

「そう。許されないことを、始めたのは誰?」

 メアリの目の奥、光のない闇がこちらを覗き込んでくる。

「私……です」

「じゃあお片付けまで、しなきゃいけませんわよ。ね?」

 なんてことだ。

 助けて、と願う。誰に? メアリは、やはり悪役令嬢、怪物だ。近衛の中でも親しかった皆は、私が死なせた、貶めた。思い浮かぶのは、何故か敵の顔。

 衛士隊総長サーリンガム男爵ウィリアム。彼だけが王都で、正義を行っていた。


 雪はいつの間にか止んでいた。雲も消え、王都の上空には漆黒が広がっている。もはや天も地も、わからない。足を踏み外せば、落ちてしまいそうな、深淵にも思えた。


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