幕間①
◆ジョージ十三世二十九年 十二月三十一日 一八時〇五分
「武器を持ったものは皆斬れ! 伯爵を探し出すんだ!」
豪奢な邸宅内を、飛ぶように走る、そこかしこで近衛と伯爵私兵が斬り結んでいるが……どうやら全体としては優勢に見える。
「ヘスフィールド卿! おそらく地下室の扉です!」
「よしっ! 今行く!」
駆けつけると、なるほど「地下食品庫」と書かれた札のついた扉がある。わっ! と何処かで女性たちの声があがった。伯爵に迫っているのだろう。
「貴官は伯爵を! 生け捕りだぞ!」
「はい!」
「よし、では……」
蹴飛ばして扉を開くとほぼ同時に、白い人影がまろびでた。何者だ、飛び出してきたんだ、敵だっ! 条件反射的に剣を横一閃させると、皮膚と腸を切り裂いた感覚。相手を目で追うと……
「なっ……」
包帯とシーツを抱えた、侍女。まだ子どもと言っていい年齢の少女が、丸くなって蹲っている。
「し、しまった! 大丈夫かっ!?」
声を掛けると、ごぼごぼっ、という水音と、床に広がる血……
「誰か! 怪我人だ!」
声をかけると、人影が駆け寄ってくる。白布を腕に巻いた、無手のマンカスター連隊兵と、鞄を下げた白服の老人。こちらを見て一瞬立ち止まるが、少女を見て駆けつけてきた。
「あぁっ、ベティっ……! 無事か!」
「その、すまない、飛び出して来て……」
「どいてっ! こりゃ……ひどい! 先生」
マンカスター私兵に押しのけられる。何も言い返せず、ただ立って成り行きを見守ってしまう。
「ああ! ジャン君、圧迫を。ベティだったね。私がわかるかい」
「スノウ……せんせい……」
「そうだ。いいかい。この薬草を口に含んで、ゆっくり息をするんだ。ゆーっくり、ゆーっくりだよ」
スノウ医師? このひとが?
髭の老人は確かに、眼鏡に、首から鎖で下げた小さな聴診喇叭を持っている。明らかに医師だ。
「あなたは、陛下の主治医であらせられたスノウ医師、ですか……?」
こわごわ尋ねる。スノウ医師は、誘拐され地下に監禁されていたはず。
老医師は、少女の脈を取りながら数秒目を閉じていたが。
「いかにも、私はスノウだ」
「先生、こいつはベティを……」
「いや、話しておきたい。ジャン君、そのままベティの傷を押さえて置き給え」
ゆらりと老人医師が立ち上がる。
「危ないですって」
「私は医師だ。一言言わねば気が済まん。それで近衛のお嬢さん」
「近衛、王国騎士セリア・ヘスフィールドです」
「セリアさん。近衛はなぜ、このような暴挙に及ばれたのだ」
「こ、これは義挙で……」
「貴族の邸宅を襲撃し、田舎から出てきた連隊兵の若者や、年端もいかない少女を斬ることが義挙だと……仰るか」
老人の小さい目と、若い私兵の目が、敵意を湛えて睨見つけてくる。関節が固まったように、動けない。
「アレックス殿の仰せの通り、もはや近衛は王都衛戍にふさわしい存在ではないようだ」
アレックス。マンカスター伯爵アレキサンダー。心臓の音が速くなる。足元が、崩れるような、ふらつくような感覚。
「せ、先生はなぜこちらに」
「近衛兵グレイベリーの乱心の折、怪我をしたアレックス殿の治療のため、こちらに滞在しておったのだ」
「そ、その乱心です。弑逆と言われていますが、何か不審な点はなかったのですか……!」
半ば縋るように聞く。あってくれ、と祈るように。つい先刻までは「あるはずだ」と信じ剣を振るっていたはずなのに。
「強いて申せば、アレックス殿の怪我は長剣を受けたにしては軽かった。だが、このように墜ちた近衛の剣筋なら、納得もできる」
「そん、な……」
返す言葉もない。足元が、がらがら崩れ落ちていくような、落下するような、無力感がおそった。
「先生、呼吸が弱く……っ!」
「おお、ベティ……痛くはないかい」
「ううん、せんせい……」
「た、助かるんですか?」
私兵の言葉に、医師は黙って首を左右する。遠くで歓声があがった。どうやら伯爵を捕らえたのだろう。
「仲間のところにでも行きなさい。怪我人と私は、出て行かせてもらう」
返事すらできず、ふらふらと、声のする方へ歩いていく。
階段を登り、進めば、進むほど、死体の数は多くなる。
近衛の女性兵、制服を羽織った壮年の伯爵私兵、書類を抱えた若い執事、長髪を後に束ね矢筒を背負った伯爵私兵は弓を持った手を剣で貫かれていた……足元に転がった斬殺体は、同じ『国家の子』として孤児院で育った笑窪の可愛いサーシャ。腕が千切れた遺体は、こっそり作った恋人の話をしてくれた同期のドロシー。こぼれ落ちた腸を抱えて死んでいるのは、剣の師として望まれ稽古をつけてやっていたノーラ……
胃酸が上がってきて、嘔吐する。涙とよだれを拭い、前へ進む。
「ヘスフィールド卿! 伯爵です! 捕らえました!!」
誇らしげな声。数名の近衛に囲まれ、床に座らされているのは苦り切った表情の臨時政務卿、マンカスター伯爵アレキサンダーであった。
「ヘスフィールド卿?」
「あ、ああ。よくやってくれた」
「それで、どういたします」
どうしよう。尋問を? しかしもはや、近衛の正義に自信はない。どころか、グレイベリー卿の無実も、強く信じられなくなっている自分に気づく。
「ええと……」
「ご報告いたします!」
思考が中断されることすら、うれしかった。
「重装歩兵が多数接近! 伯爵邸を包囲しつつあります!」
それが、どんな内容であっても。そう、これから紛うことなき「叛乱者」となった我々が、どう鏖殺されるとしても。
窓の外を眺める。積もった一面の雪の中に絵の具を散らしたように、柵を取り囲んで、大盾が隙間なく構えられている。
王都衛戍、衛士隊の到着であった。




