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暗雲②

 伯父であるマンカスター伯爵の王都屋敷は、王都北部の高台に位置する古い邸宅である。娘が第二王子ヘンリー殿下に輿入れし、王家外戚となった折に、没落した貴族家から国庫に納められた大邸宅を陛下から下賜されたものだという。

 古い石壁に絡む冬枯れの蔦が、どこか陰鬱な雰囲気を添えている——もっとも、今日ばかりは邸宅そのものが押し殺した息をしているようにさえ感じられた。

 家令の案内で伯爵の私室へ通される。重厚な扉が開き、オークレイは敬礼して、扉の脇へ控えた。

 一歩入れば、温かい空間である。豪奢な書棚と大きな暖炉と革張りのソファ。サイドテーブルにグラスを並べながら、伯爵が振り返った。

「おお、ウィリアム! よくぞ来てくれた!」

 伯父は年の割に血色がよく、灰色の豊かな口髭を揺らしながら片腕を広げ、機敏に近づいてくる。

「伯爵閣下、サーリンガム男爵ウィリアム。領地連隊を率い上洛いたしました」

 踵を鳴らし敬礼すると、伯爵は「堅苦しい挨拶はいらん」と抱き寄せるように肩を叩いた。

「わしの甥が見事な男になって戻ってきた。北部の戦いは聞いたぞ。ヘンリー殿下のお戻りまで、よう耐えた」

「辛うじて生き残った、というところですが」

「謙遜はよい、よい! さあ、冷えたであろう。座れ」

 暖炉の前に置かれたソファに促され、腰を下ろした。

「ボーツシャーの十二年物だ。いけすかん公爵家だが、酒のセンスは良い」

 伯爵はなにか怪我をしたのか、包帯を巻いた左手をかばいつつ、グラスに注いだウイスキーを強引に押し付けるように手渡してくる。

「まずは乾杯だ。王国と我ら南部諸邦の未来に!」

 乾杯の音が軽く響く。これは、確かに見事な酒である。久方、口にしていなかったピーテッドな芳香に圧倒される。

 だが伯爵は口を濡らした瞬間、グラスをがたりと机に置き、表情を一変させた。

「さて……ウィリアム。ここからは酒の席での話。心して聞け」

 部屋の空気がきしむように重くなる。要するに大っぴらに話せないような内容が始まる、ということだ。

 名残惜しく感じつつもグラスを置いて姿勢を正し、伯爵の言葉を待った。

「陛下が御隠れになられた」

 伯爵の低い声が、執務室にじわりと広がった。なるほど、王都が服喪の装いとなるわけだ。

「今次の遠征で軍民共に大きな犠牲を払い、王太子殿下も消息不明とあっては、心労がたたりすぎましたか」

「いや、これは市井には秘されているが、弑逆だ」

「は」

 穏やかでない話だ。口が渇き、グラスに手を伸ばしつつ問い返す。

「確かなのですか」

「間違いない。わしは直接見た」

 直接見た、ときた。聞きたくなくなってきたが、グラスに伸ばした手を引っ込め、眉間を揉む。

「わしと陛下と非公式の会談中に、乱入者が短剣でグサリ、よ」

「乱入者……?」

「近衛の王国騎士グレイベリー卿だ」

 知らない名前だ。王国騎士なら一代貴族。家名に心当たりがないのもわかるが、そんな人間がそんな大それたことを?

 伯爵は眉をひそめ、ゆっくりと胸元に包帯に包まれた左手を当てた。

「わしもこの有様でな……陛下をお守りすることはかなわなんだ」

「いったい何が」

「近衛の調べにも答えたゆえ、何度話したやら、だが」

 一息、大きく息を吸い、伯爵が話し始める。

「突然陛下の寝所へ押し入ったグレイベリーは、『こんな下賤な男と政治ができるか』などと叫び、わしを切りつけた」

 大逆犯にしては気の利いたことを言う。こういう状況でなければ笑ってしまいそうだし、なんならそのまま芝居にできそうだ。いや、何度も話すうち芝居がかってきたのか。

「わしはこれ、左手で身を庇ったが、日頃の鍛錬不足だ。痛みでうずくまってしまってな。陛下の絶命の叫びを、ただ聞いておった。胸を一突き、であらせられたようだ」

 伯爵は眉尻をさげ、深く目を閉じた。

「叫びを聞きつけて駆けつけたヘンリー殿下が卿を討った……だが、手遅れだった。殿下は大いに嘆かれ、陛下の手を握り遺言を聞き取った——ということになっている」

 第二王子ヘンリー殿下——学院時代、しばしば聖堂でメアリ——先の戦いの戦友、かつてのあこがれの女性——の隣に立っていた、線の細い美形だ。そして、魔王領侵攻で自信満々に「魔王を討つ」と言い放ち、突然持ち場を離れた男でもある。

 つまり、王と密会していた伯爵は悪の近衛騎士に襲撃され、王は死去、伯爵は軽傷というわけである。

 公にどう処理されたかは理解したが、少し……うちに都合が良すぎないか?

「ということに、ね。真実はどうなんです?」

「真実! 馬鹿げた言葉だ。わしの言葉を介して知るしかない以上、真実などに意味はないだろう」

 こういう人だった。眉根の皺をほぐす。

「伯父上の仰せの通り。真実とは人の心の数だけある、とはマンカスター一門の家訓でしたな」

 なにかやっていそうだとは思うが、立ち入らないことにしよう。君子危うきに近寄らず、だ。

 話を変える。目下気になるところは……

「それで、なぜ私が呼ばれたのです」

「そこよ。近衛司令のモルタム男爵は自裁した。近衛は、さしあたり王宮内の警護にはもはや用いられぬ。先週着任したダールガム司令に、市壁外の砦へと本部を移させた」

 それはそうだろう。単独犯だろうが、近衛全体の責任は否定できない。だが「ダールガム司令」に「移させた」だって?

「ちょ、ちょっとお待ちを」

「最後まで聞け。現状王都には流民が溢れ、近衛は機能不全、警備隊は機能不足だ」

 伯爵は椅子に深く沈み込んだ。

「そこで、だ——」

 伯爵の目が、ぎょろりとこちらを見据える。嫌な予感がする。

「ウィリアム。お前を警備隊を取り込んだ新組織『王都衛士隊』の総長に任じる」

 近衛に本部を『移させた』そして……

「王都衛士隊総長に『命ずる』ということは伯父上は」

「そう。陛下のご遺言で、臨時政務卿としてここから」

 とん、とサイドテーブルの天板を指でたたく。

「政務を執っておる」

 つまり王都の司法軍事行政財政から、全土の治安や王国そのものの外交まで、すべて伯爵邸に集約されているのだ。これは……完全に……やりやがったな伯父上。

 近衛を遠ざけた以上、血縁者を王都の警備に充てるのは理にかなっている。その人物はやや強引にでも治安維持をする必要があるだろう。さぞや恨まれるでしょうね。問題はそれが私であることだけだ。いやだなあ。

「近衛の補助、って話じゃないですね」

「その通り。王都の備え、近衛への抑えだ。幸い外戚の縁者で男爵。近衛のダールガム司令とも格が釣り合う」

「それです、それ。ダールガム司令というのは、どういう風の吹き回しです?」

「モルタム男爵家同様、王家の姫君を迎えた帯剣貴族の男爵家だ。近衛司令の家格に相応しかろう」

「いえ、いえ。ダールガム男爵は亡くなられております。私はバルドリッヂ領で、魔族の爪に引き裂かれた骸を拝見しましたよ」

 彼は、緒戦——作戦行動開始前、司令部の置かれたバルドリッヂ伯爵領に展開した王国軍が奇襲された——で王太子を守って死んだ。山のような大男で、そして気持ちのいい武人だった。戦場の混乱の中、遺体を弔うことはできなかったが、まさしく「直接見た」のだ。

「そうだ。当主は死んだ。ゆえに当主代行が近衛の指揮杖を持っている」

「それは、つまり」

「そう。ダールガム男爵夫人メアリが近衛司令の職にある。追って挨拶でもするとよかろう」

「……夫君を失い、子がない未亡人は本来実家の籍に戻られるはずでは」

 呻くように声が出る。自分でも驚いた。

「本来は、な。夫の遺臣に頼み込まれて、請けてしまったのだろうよ。出仕を拒めばダールガムは改易だ」

 喉の奥を鳴らすように、伯爵が笑った。

 伯父上はあの方を甘く見ている! 喚きたい衝動をこらえる。つい先日、そのメアリと縁あって陣を共にし、魔族を退けたばかりだ。私なんぞをはるかに上回る、天賦の「人使い」の才を、彼女は持っている。優れた、とても優れた用兵家だ。

 軍才だけではない。メアリは本来継承権第四位。素晴らしいウイスキーを蒸留する「いけすかん」王弟公爵家の令嬢だ。こちらは所詮第二王子妃の義父の甥。格が違いすぎる。

 よもや、干戈を交えることにはならないだろうが、ならないためにも兵力は必要だ。それも、直ちに。

「警備隊と我が連隊の兵力では、到底近衛の相手も、王都の治安の維持もままなりません」

 兵はいるだけで金も飯も食う。それを増やすとなればなおさらだ。

「だろうな。金に糸目はつけん。こちらは国庫の鍵を持っているのだ。募兵を許すゆえ、直ちに衛士隊を戦力化せよ。本部は警備隊本部を用いよ。幸いもとは離宮だ。収容の余裕はあろう」

「了解しました! 直ちに仕事にかかります」

 気付け、とばかりに、残ったウイスキーを飲み干す。のどの奥が熱くなった。

「ああ。この王都では、誰が味方で誰が敵かわからん……油断せぬことだ」

 そういう政治っぽいのは苦手なんだよな、と思いつつ、敬礼して踵を返した。


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