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大雪②

◆ジョージ十三世二十九年 十二月三十一日 一五時四〇分


 しんしんと降りしきる雪の中、市壁外南の出城に仮設された近衛臨時本部は煌々と輝いていた。その一角の講堂。

 本来は訓練報告や査閲に使われるはずの広い集会室に、セリアにより選抜された五十名の近衛が集められていた。

 粗末な長机は壁際に寄せられ、中央には椅子もなく空間がぽっかりと空いている。

 高い天井から吊られたランプが、雪雲に遮られた薄暗い外光を補うように、揺れる炎で部屋を照らしていた。

 集められた面々にとって本日の『任務』の実質は飲み会であるが、形式上名目は巡視である。一応列を作った白い外套が、それでも静かにざわめいている。

「こんな雪の中、巡視ね」

「また、酔っぱらった警備隊に酒を注ぐだけじゃないの」

「王都の名士の子息ばかり、寿除隊向きよね」

「楽しみ〜っ」

「ちょっと。今年のお相手は衛士隊って名乗ってる連中よ」

「ああ、臨時政務卿様の甥の田舎連隊が、警備隊を乗っ取ったんだっけ」

「うわ。ゲロマズ」

「ふふ、結構いい殿方よ。衛士隊長様」

「……えっ!?」

 囁きが飛び交う。

 しかし、彼女が姿を現した瞬間、その声はぷつりと途絶えた。

 セリア・ヘスフィールドは、いつものようにきっちりと軍服の襟を正し、おかっぱの黒髪を軽く撫でつけただけで前に立った。

 胸元には装飾らしい装飾はなく、王国騎士の徽章と近衛の徽章がひとつずつ。

 だが、その背筋の伸び方と、黒い髪と瞳で、部屋の空気は引き締まった。

「静粛に願います」

 声は澄んでいて、よく通る。

 五十枚の白マントが、さっと整然と揃い、踵が床を鳴らす音が一つに重なった。

「本日大晦日の王都巡視の任を預かりました、セリア・ヘスフィールドです」

 形式ばった挨拶に、誰も笑わなかった。浮ついた空気もすっかり引っ込んでいる。

 ここにいる者たちの多くは、噂で知っている。「ヘスフィールド卿が、近衛の名誉挽回に奔走しているらしい」と。

 無理筋だと考えているものがほとんどではあるが、それでも、叶うなら……と思いを抱くのは、当然のことだった。

 セリアは、一人一人の顔を見渡す。

 居並ぶのは自身と同じ『国家の子』、親が箔をつけるべく入隊させた商家の令嬢、武芸に長じた帯剣貴族の子女、そして単に稽古が好きな武芸趣味者——彼女らを、死地へ同道させる。胸が締め付けられた。

 だが、だからこそ、それを表に出すわけにはいかない。

「皆さん。近衛は、終わったと……そう思っている方、手を挙げてください」

 唐突な一言に、ざわめきが走る。

 一拍、二拍。

 やがて、一人、また一人と、恐る恐る手が挙がった。

 半数ほどの手が、空中で揺れている。

「大変、正直でよろしいです」

 セリアは、苦笑に似た表情をほんのわずかだけ浮かべた。どのみちこれでは、行動に出るほか選択肢などなかった。そう考えると楽になる。

「陛下は弑逆され、王太子マーカス殿下は戦場で行方不明。モルタム前司令は引責し自裁、残った近衛兵力は市壁の外に追いやられました——国王直轄の『王都の盾』だったはずの我々は、今や王都の外で寒風に晒されながら、警備隊——いえ、衛士隊の補助を命じられる身です」

 言葉に棘が乗る。

 だが、それは誰の耳にも「事実」として届いた。

「事情を知らぬ市民ですら、我らより警備隊や衛士隊を信用します……事情を知る者に至ってはひどい言いようです。『近衛は陛下すら守れなかった』『近衛は大逆犯の隊』『白いマントを見ても、もう安心できない』と」

 きゅ、と誰かが拳を握る音がした。

 唇を噛み、目を伏せる者もいる。

「反論の余地は、ありません。今は——」

 セリア自身が、誰よりもその言葉に苛まれていた。

 グレイベリー卿の墓標の前で、何度も何度も繰り返し、自分自身に突き刺してきた言葉だ。

「ですが!」

 そこで、セリアは一歩前に出た。

 靴底が床を打つ音が、講堂のアーチ構造により異様に大きく響く。

「それでもなお、近衛は『王の軍』です」

 空気が、ぴん、と張り詰めた。

「わたしたちが仕えているのは、臨時政務卿でも、元老六候でも、王子でも王太子でも、司令のボーツシャー公爵家でもない。唯一玉座そのもの。王冠そのものです。『陛下弑逆』の一件、真実を糺す義務があるのは——この王都でただ一つ、『陛下の御盾』を名乗る我々だけです」

 沈黙。

 誰も口を挟もうとしなかった。

「私たちは知っています。エリザベス・グレイベリー卿のことを」

 ざわ、と目に見えない波が走る。

「彼女が『乱心して自分と陛下を刺した』と、伯爵は言いました。王子殿下はそれを討ったのだと、そう証言されています」

 陰謀だ。騙し討ちにされたに違いない。セリアの喉元に、怒りがせり上がる。

 しかし、声を荒げることはしなかった。押し殺すように、静かに続ける。

「……私は、信じません」

 その一言は、叫びにも等しかった。

「私は、王国騎士エリザベス・グレイベリーから、全てを教わりました。近衛としての立ち居振る舞いも、剣の握り方も、叱るときの言葉の選び方も……覚えています『強くありなさい。でも、強い者のための剣になってはいけない』と戒められたことを」

 胸元の布地を、ぎゅっと握りしめる。

「彼女が陛下を弑するような人間でないことを、私たちは、誰よりもよく知っているはずです。このような、このような冤罪を、なすりつけられていいはずもありません」

 最前列の古参騎士が、小さく頷いた。

 彼女もまた、グレイベリーの薫陶を受けた一人だ。

「独自捜査を、私は行いました。宮廷医は『診療録を作りたい』と言い残し、王宮を出て——そのまま、行方不明になっています」

 誰かが息を呑む音がした。

「私は、追いました。宮廷医の足取りを。その結果、私は正義の志ある者から、告発を受けました」

 あの雨の路地裏。震えた声。そして伯爵家の私兵の外套の影。

「——宮廷医は、マンカスター伯爵邸の地下室に監禁されている、と。後ろ暗いところのない人間のやることでは、ありません」

 部屋のあちこちから、押し殺した呻き声が漏れた。

「もちろんこれは正式な証拠ではありません。捜査許可は下りないでしょう。許可の権限は、他でもない臨時政務卿、伯爵本人にあります」

 法の下では、裁けない悪となった伯爵。だが。

「——それでも」

 セリアは顔を上げた。

「それでも、見て見ぬふりをすることは、できません」

 喉が震える。

 言葉を継ぐ前に、一度深く息を吸った。

「私は『国家の子』です。戦災孤児として拾われ、近衛に育てられました。グレイベリー卿は、私にとって母でした」

 視界が、わずかに滲む。

 だが、涙は落とさなかった。ここで泣けば、すべてが『私怨』に堕ちる。

「私怨だと言われれば、否定はし難いでしょう。しかし、私は敢えてこう呼びましょう」

 セリアは、腰の剣にそっと手を添えた。

「正義である、と」

 その言葉に、何人かがびくりと肩を震わせる。

「今夜の巡視は、例年のような『慰労の宴』ではありません。公式には、市内の衛士隊詰所を巡回し、警備状況を確認する任務です。しかし、その終着点を、私はマンカスター伯爵邸と定めました」

 正面から、そう言い切った。

「伯爵邸の門前で、我々の名において『王都巡視の一環として』立ち入りを求めます。衛士隊や政務卿府が何を言おうと関係ありません。『近衛としての権能』を行使します」

 ざわめき。

 だが、そのざわめきには、恐怖だけでなく、熱も混ざっていた。

「抵抗されればどうなります」

「指揮系統への反逆ですわ」

「マンカスター政務卿は次期国王の義父よ」

 小声が飛ぶ。

 セリアは、それを遮らなかった。ただ、静かに頷いた。

「わかっています」

 彼女の声は、驚くほど落ち着いていた。

「これは『蹶起』です。先王陛下の御為に、臨時政務卿一派が取り繕う『秩序』に弓引く行為です。彼らが無実なら我々は『叛逆者』と呼ばれることでしょう」

 その未来を、彼女自身が誰よりも鮮明に思い描いていた。近衛の解体。名誉の剥奪。場合によっては極刑もありうる。

「だからこそ——今、ここで言っておきます」

 セリアは、背筋をさらに伸ばし、声に力を込めた。

「この任務に参加する者は、自らの意志でここに残ってください。恐れる者、家族を守りたい者、将来を捨てたくない者は、今すぐ退室を。私は、誰一人、臆病者とは呼びません」

 静寂が落ちた。

 外では、風が唸り、雪が砦の壁を叩いている。白い世界が、窓の向こうでゆっくりと回転しているようだった。

 やがて、一人の騎士が息を吸い込む音が聞こえた。

「……ヘスフィールド卿」

 前列の女騎士——グラッドストン卿が、口を開いた。

「陛下の御盾として、我らは何人をも恐れぬと誓いましたわ。卿が近衛の名誉回復戦を掲げるなら、老骨とて、剣を捧げるのみですの」

 その言葉は、一本の杭のように、場に突き刺さった。

「私も、行きます」

「グレイベリー卿の墓に、顔向けできるようにしたい」

「どうせこのまま腐るくらいなら、一度くらい『近衛らしい』仕事がしたいわね」

 ぽつり、ぽつりと声が上がる。

「家族がいる者は?」

 誰かが問う。

 若い女騎士が、きゅっと唇を結んで答えた。

「……恋人は前線で死にました。あの王子の手抜かりで。子どももいません。だったら、私は近衛でいさせてください。最後まで」

 笑いとも嗚咽ともつかぬ声が、あちこちで漏れた。

 セリアは、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 これが近衛だ。見ろ。

 失墜し、嘲られ、終わったと言われても——なお、前を向こうとする者たちを。

「ありがとうございます」

 思わず、頭を下げそうになるのをぐっとこらえる。

「……それでも、なお退きたい者は、いませんか」

 誰も動かなかった。

 一人も、退室しなかった。

 その事実が、胸に重く、そして温かく沈んだ。

「では、これは『我ら選抜部隊の義挙』ということにしましょう」

 そう言って、口元にかすかな笑みを浮かべる。

「公式の任務は『王都巡視』です。衛士隊の連中にも一応顔を出し、最後にマンカスター伯爵邸の門を叩く」

 一人一人の視線が集まる。

「剣は抜かないこと。挑発には乗らないこと。あくまで『正規の巡視』として振る舞うこと。彼らが扉を開け、宮廷医が姿を見せてくれれば——それで良し」

 そして、ほんのわずかに間を置いてから、続けた。

「もし、すべての扉が閉ざされ、我々の呼びかけに一片の応えもなければ……」

 黒い瞳の奥に、硬い光が灯る。

「そのときは、『王の軍』として考えましょう」

 何を、どこまで、どうするのか。

 彼女は、あえてそこまで言葉にしなかった。そこから先は、歴史書が決めることであろう。

「以上です——出立は一六時。胸甲・籠手・脛当てを整え、上からコートとマントを着用し門前広場へ集合。遺書を書く時間はありませんが……まぁ、蹶起に遺書もないでしょう」

 冗談めかした言い方ではあった。が、誰も笑わなかった。

「……ヘスフィールド卿」

 古参の女騎士が、ぽつりと呟く。

「もし、これが本当に『最後の任務』になったら?」

 セリアは、一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。

「そのときは、こう呼ばれたいですね」

 彼女は、少しだけ胸を張った。

「近衛が最後に守ろうとしたのは、己の面子ではなく、王都の正義だった、と」

 雪が、窓の外で舞っている。

 ひっきりなしに舞い落ちる大粒の雪が、静かに世界の色を奪っていく。

「それでは——散会!」

 号令とともに、五十の白マントが動き出す。


 一八時の閉門を控え、王都周辺はにわかにざわつきつつあった。雪はさらに強さを増し、風が吹き荒れる。

 吹雪が、来る。


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