戦塵①
◇ジョージ十三世二十九年 十一月二十日
「殿、ダールガム領主館が見えましたぞ」
ノーザレンとの領境の丘、稜線を越えるとすり鉢状の盆地に農地が広がっていた。散在する集落のなか、中心部のものが最も大きかった。その北の端に大きな建造物がある。あれが領主館だろう。
「やっとか……ここはまだ逆侵攻を受けてないようだな」
ダールガム男爵領は、十五年前、第五十次となる魔王領侵攻で獲得した新領土であった。同時期に入植開始がなされたのが近隣のノーザレンやヘルシャムだ。当主である男爵は遠征時には若き王国騎士で、大きな武功を挙げたことからダールガム姓を賜り、叙爵の上同地の開拓を任された新興帯剣貴族である。
近づくと、領主館と寄り添うような集落の様子が見えてくる。北部領地はどこもそうだが、入植初期は人類側の最前線であったわけだから、ダールガムの領主館周辺も環濠と防柵を備えた惣構えである。植民開始八年後の五二次遠征で獲得した城塞を中心としたダローミア伯爵領が成立してからは後方となったが、備えを怠っているわけではないことが見て取れた。領主ダールガム男爵は北部人らしい寡黙な武人だったが、その見た目の通り、領地経営にも生真面目さをもって望んでいたようである。
門前には多数の天幕と木箱、馬車が並び、書類の束が次々焚き火にくべられている。食料にすら事欠く各地の領邦を転戦しつつここを目指したのは、まさしくこの兵站拠点がためのことである。連隊はもはや壊滅、馬も潰れ始め、これ以上の行軍も戦闘も、難しい段階に達している。どこを最期の地に選ぶか、というなら、食料があるところ、となるのは人の性だろう。せめて最後の晩餐くらいは、たらふく食べたい。
しかし……
「これは見事ですな」
木箱が積み上げられ、領主館の櫓門を基点とした郭を形成している。馬車にも木箱が固定され、動かして門や壁の代わりにすることを考えていると見えた。前線の崩壊を察知し、踏みとどまり、備えている。
「輜重将校の仕業とも思えんな、おい貴官」
今まさに、荷物へ釘を打っていた兵に問いかける。制服は……隣接する北部のファルムリーン連隊。輜重連隊は確か南部貴族の誰かの領地連隊であったはずだから、妙なことである。
「なんだ、今は忙し……あ、いや、なんでありますか」
騎兵将校様だ、と慌てて敬礼する。
「この輜重隊の指揮官はどこだ」
「はぁ……わかりません……であります」
「わからん?」
オークレイと顔を見合わせる。どういうことだ。
「では、最高位の指揮官は」
「ええと、指揮官様は、誰もいらっしゃいませんで。うちの殿……あいえ、ファルムリーン様も、既にお亡くなりになりました」
「ううむ……? では貴官の作業は、誰に命じられたものだ」
「へえ。奥方様に頼まれまして」
どういうことだ。
作業を中断させるわけにもいかず、ファルムリーンの敗残兵から聞き出した「奥方様」の居所に向かう。連隊の兵達へは櫓門を抜けた広場で休止を許可した。
領主館は、館というより砦といった雰囲気の武張った建物で、薄暗い石造りの廊下を歩いていく。われわれを追い越した兵が、ノックもなしに開いた扉の向こうから、よく通る声が響いた。
「ご報告、伺いますわ」
「は! 物見より報告、魔狼騎兵二百並びに小鬼歩兵八百がノーザレン方面より稜線を越えました」
馬鹿な。昨日も数十ばかり魔狼騎兵を撃退し、ノーザレンの防衛態勢を整えたというのに。進軍が速すぎる。
「……騎兵と歩兵は足並みを揃えておりますの?」
「はい、そのように報告を受けております」
「猿真似でしょうけど……こちらの戦術が効果があると知れてしまいましたのね」
指揮官然とした喋り方ではあるが、やはりこの声は……と、足を止めてしまう。
「殿?」
「あ、ああいや……」
「立ち聞きしてないで、入っていらっしゃい! サーリンガム男爵」
思わず背を縮こまらせてしまう。
「はい。ボーツシャー様……」
言いながら部屋へ入ると、広げた地図を囲むバラバラの制服の男たちと、場にそぐわない豪奢な布張りの椅子に脚を組んで腰掛け、扇子を指揮杖のように振るう巻き髪の女性。
「学院時代じゃありませんのよ、ダールガム男爵夫人ですわ」
「失礼。ダールガム男爵夫人」
応えつつ思う。子がいないなら——第二王子の婚約破棄が昨年初め、ダールガムへの嫁入りは今年に入ってから噂となっていたから、まだいないだろう——夫君が本隊で戦死された以上、あなたはやはり、ボーツシャーでは?
「さて」
扇子を広げ、彼女が口元を隠す。
「貴族将校がいない状況でしたから、わたくしが皆様に『お願い』してきましたけれど、こうして」
彼女が私の方を見て、扇子を少しずつ閉じていく。どうにも演劇じみている状況だ。しかし目が離せない。
「サーリンガム男爵が到着されましたわ。以降は彼の指揮に従いなさいませ」
「そっ、そんな! 奥方様!」
「我々は奥方様をお慕いして……」
「真っ先に逃げたのは南部貴族どもですよ!」
なるほど、概ね分かりたくもない事情は分かった。本来このダールガムで兵站拠点を構えていた南部諸侯の輜重連隊が、さっさと物資を捨てて逃亡。残されたダールガム留守居の兵が主君の妻である彼女のもとまとまり物資を管理していたところへ、崩壊する前線から次々敗残兵が合流。この拠点を運営していたところに、嫌われ者の南部貴族が逃げてきて、現在に至る、というわけだ。
これほど正確に敵の出現を報告できているわけで、我々の兵力も、どこの兵かもとうに承知している、ということだろう。メアリを伺えば、打てば響く、とでも言いたいのか頷いている。そりゃどうも。
「ケツをまくった腰抜け共に代わりお詫び申し上げる。随分我ら南部貴族が迷惑をかけたようだな」
数名の兵たちがぎょっとした顔で振り向く。そこまで言ってないよ、というあたりか。
「私が、この場で最高位の武官だろう。防戦の指揮を執る。あぁ、逃げるつもりなど毛頭ないから安心し給え」
こちらも、終の棲家と定めてここへ来た身だ。全ての帯剣貴族に義務付けられた領地連隊の整備。その定数は一千であるが、南部貴族の例に漏れず、我が連隊は出征時の実数は五百。現在は二百そこいらの騎兵である。ここにいるのはほぼ同数の歩兵。なんとか、一日程度は凌げるか。明日は? そんな先のことはわからない。
「あら、随分口が悪くなりましたのね」
「状況の良し悪しと口の良し悪しが、比例する質でして」
「在学中から知れればよかったですわ」
「生憎、最近気づいたのです」
すっごく状況が悪いからね!
「あの……」
どこぞの連隊兵がおずおずと尋ねる。いいぞ。
「奥方様とこちらの連隊長は、お知り合いで」
「学友でしてよ。彼は極めて優秀な戦術眼を持ち、兵棋でも教師陣をたびたび打ち負かしていましたの」
実際は、単に速さだけを重んじた私が、陣形変換中に襲いかかって勝利を収めることが、しばしばあっただけである。ついた渾名は拙速のウィリアム。
だというのに……おお、と兵たちがどよめく。メアリの言うことだけを聞くと、まるで極めて優秀な貴族将校みたいだ。そいつにすべてを任せたい。誰だろう。私だ。あんまり任せたくないなぁ。
「わたくしが皆様の現状を彼にお伝えして、あとはお任せすれば、生きて帰れる可能性は大きく上がりますわ。よね?」
「おぉ、任せ給え諸君。このサーリンガム男爵が生還させてみせるぞ。ではダールガム男爵夫人、現状を報告してくれ」
もはや自棄であった。どうにもならないときは、責める人間ももういない。皆で仲良く死人になったあとなら、死人に鞭打つこともないだろう。




