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暗雲①

 第九十四代、ジョージ十三世。ジェームズ八世の太子。

 天下を治給ふこと廿九年、内国おほむね静謐なりき。

 此時魔王討伐の兵を挙ぐ。

 ジョージ十三世の太子マーカス戦場に(ぼつ)し、天下これを痛惜す。

『王国年代記』より





◆ジョージ十三世二十九年 十二月二十三日


 十二月の、北から吹き下ろす風は鋭く、肌を切るようだった。

 馬上で外套の襟をぎゅっと掻き寄せながら、一応「行進」といえる程度の列を形成し、連隊は王都の北門へと続く街道を進む。

 門前の広野には、色とりどりの布で張られた粗末な天幕が並び、煙が低く漂っていた。焚き火の匂いに混ざる焦げ臭さは、旅路でついたものではなく、焼き払われた村の残り香だろう。想像以上に、多数の流民が発生している。

 北部流民の避難キャンプが王都外郭に設けられたとは聞いていたが、もはや目を覆いたくなる惨状である。泣き声と喚き声。焦燥した母親の声。焚き火の前でぼんやり遠くを見る老人の影。そして破れたりちぎれた各地の領地連隊制服を着た怪我人たち。

「おお……サーリンガム様!」

 すれ違いざま、痩せぎすで片腕を襷のように包帯で吊り、ボルバラ領邦兵のジャケットを羽織った廃兵が掠れた声を張り上げる。

「旦那、あんたらが食い止めてくれなきゃ、うちの村は全滅だったよ……」

「いや、あれは……」

 馬の速度を落とし、浮かびかけた言葉をいくつか飲み込む。

「貴官らの奮戦あってのものだ。よく生き残ってくれた」

 その一言で済ませ、先に進む。男は涙声で何度も頭を下げ、見送っていた。

 ……褒められる筋合いじゃないんだが。まぁ、責められるよりはマシかね。

 背後で馬の蹄が軽く跳ねる。代々サーリンガム家の被官である従士——副官オークレイが馬を寄せてきた。

「殿。この様子は」

「出征前は祝祭一色だったのに、こうも暗く沈むとはね。負け戦はするものじゃない」

「それは」

「やれ『遠征は成功した』だの『魔王の喉元へ迫った』だの、よくもまぁ理屈をつけたものだ。北部の穀倉地帯はほとんどが失われている。王太子マーカス殿下は戦場で行方不明だ。これを負け戦と言わず、なんというかね」

「……せめて宮廷内ではお控えください」

「わかってる。諸卿の前で口に出すほど命知らずじゃないさ」

 とはいっても、内心はかなり捨鉢な気持ちだ。諸侯の二十人にひとり以上が、この戦役により二ヶ月で鬼籍に入った。この国は、もつのだろうか。

 鬱々とした気持ちをさらに腐らせる陰鬱な黒が、いやでも目に入る。

 かつては絢爛な垂れ幕がはためいていた市壁には、今では分厚い黒布が垂らされている。まるで王都そのものが弔いの衣を身に纏ったようだ。

「殿下は行方不明じゃなく戦死になったようだし、言葉を改めるべきかな」

「殿が改めるべきは態度です」

「よく言われるんだよねそれ」

 警備隊の制服を着た兵が流民への対応に右往左往するなか、王都北門を誰何も受けることなく通った。

 王都の中も、外と大差はない惨状をさらしている。

 市場を見れば出店の半数が閉まり、開いている店も在庫は乏しく、どこも食材の棚は空だ。隊の調達にも支障をきたすかもしれない。ここに留まるなら、伯父上へ要望書が、ざっと一束ほど必要だろう。

 みるからに市民たちの顔色は悪く、あちこちで怒声や呻き声が聞こえる。

「警備隊や近衛は何をしておりますやら」

「流民だけでも警備隊の手には負えんだろうが、確かに近衛の白マントとすらかち合わないのは妙だな」

 客観的には王都内に南部の領地連隊が武装して侵入している、という状況のはずだ。やらないが、今ここで馬を走らせれば王宮を落とせるのではないか……本来なら近衛がすっ飛んで来るべきで、場合によっては包囲されてもおかしくない。

 学院時代に作業服で伯父上——平素より領地を代官に任せ在京している南部貴族、マンカスター伯爵——の邸宅へ向かう度、近衛にとっつかまっていたことを思い出す。「貴族街をうろつく賤民」だの言われたな。

「どこにいるやら。王宮に引きこもったかね」

 伯爵が自領に戻るはずの我々をわざわざ王都にまで呼びつけた理由は、この様子では自らの王都邸の警護役というところだろう。しかし今にも暴動が起きそうなこの王都の状況では、果たして半壊したうえ残存兵も満身創痍な連隊で邸宅を守りきれるか。

 兵たちを振り返るが、当の彼らは呑気なものだった。

「ウィル様よ。こりゃ伯爵さまの護衛も大仕事だな!」

「中央には近衛がいるだろ。俺らは『補助』よ『補助』」

「そうだそうだ。王都にゃ王がいて、近衛がいて、俺たちはその後ろから槍を立ててりゃいい」

 楽観的といえば楽観的だが、激戦を潜り抜けた後だ。魔族どもを相手にするよりは、なんであれマシだろう。それに南部の田舎領地の兵らしい、領主への素朴な信頼でもあるように思える。彼らが気楽さを維持できるようにするのもまた、私の務めである。のだろう。多分。

「王都のお偉方の前では『殿』か『連隊長』で頼むよ。諸君らが改めるべきは態度だ」

 兵たちがゲラゲラ笑う。大丈夫かな。

 服喪の垂れ幕が規則正しく並ぶ大路を抜け、伯爵邸にいたる。ひっきりなしに官服や軍服が出入りする門前で馬を降り、馬丁へと手綱を握らせた。

「全体休め。オークレイは着いてこい」

 無言のまま、彼は背を守るように後に従った。まずは伯爵へ連隊の到着を報告せねば。王都の空は暗い。故郷、南部の明るい空は、はるか遠くであった。


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