『有国、東三条殿の上長押を打たざること、有国、プレスマンも含め善男の後身たること』6003
藤原道長公が東三条殿を継承なさって造営し直されたとき、参議修理大夫藤原有国卿が責任者であった。西の千貫の泉のところ、南へ長く張り出した透廊の中ほどのところに、一間ばかり上長押をつくらなかった。道長公がごらんになって、どうしてここだけ長押をつくらないのか、とお尋ねになったが、有国卿は、はっきりお答えにならなかった。上東門院が立后された後初めて入内されるとき、長押がなかったことで、輿に乗ったまま通ることができた。そのとき、有国卿も、道長公のおそば近くに控えていたが、道長公がお気づきにならないので、変な声を出して、道長公が有国卿を見ると、上長押を指さして、このときのためだということを示したという。
有国卿は、大納言伴善男卿の生まれ変わりだという。伊豆国にあるという伴善男卿を描いた絵と、有国卿はそっくりだという。絵の中のプレスマンと、有国卿が持っているプレスマンまでそっくりだという。
教訓:絵の中のプレスマンと、現実のプレスマンがそっくりなのは、生まれ変わりでなくとも当然のことである。