白雪
麗奈と阿斗里は、10日目に入った。
「樽」は2つある。
1つ目の「樽」は、金がかかるほう、と聞いていた。博士から。
もう一方は、本物ではない。
しかし、よく見なければならないのは、2つ目のほうだ。
気に掛けなければならないのはそっちで、しかも筑波大学から博士が拝借してきたという、最新技巧付き。
なのである。
「10日目」
と麗奈は言った。
「よく育つねえ」
対する阿斗里。
「あたしは、博士の研究内容にしか。興味はない」
1つ目の「樽」を見ながら、阿斗里がよく言うセリフ。
リンゴには、興味はないようだ。
博士が生み出したサイクルに至るまでには、相当量の論文と年月が費やされたのに。
実になるまでは、10日だけ。
麗奈と阿斗里は、その10日間を博士に、見せてもらったに過ぎない。
博士は出戻りで、元々は工場勤務。
表情の冴えない人だった。
今も、冴えないのかもしれないが。
本業の研究以外でやっている「副産業」のほうに、内輪から定評があった。
まず、顕微鏡。
それが、「樽」の中身なのである。
顕微鏡で見える核、核、核。
虫とも言えない。
阿斗里がよく見つめている「樽1」のほうには、生きたものが入っている。
生きているから、金がかかると博士はよく独り言つ。
顕微鏡で見える世界に、生きるもの。
ユーグレナ、アメーバ。
藻などもあるが、彼らをとにかく「樽」の中で生かしている。
博士の副産業に使われるのは、「樽2」のほうだ。
リンゴが苗から育って、10日。
実が出来るまでが10日で、博士は「樽2」の生きていないほうを使って、育てる。
それで、10日。
「人工生命体で、リンゴが育つとは。皮肉なものね」
と阿斗里。
「人工って言ってもさ、核だって本物に似せているし。ちゃんと分裂もするのよ。違いは電気が必要か、そうじゃないかっていう話で」
と麗奈。
「こいつら、乾電池のプラスとマイナスが好みなんだって、云っていたけれど。本当?」
「博士が?」
ざっくばらん。
の、一言が似合う博士だが、「副産業」ということで。
「最短で、どのくらいに果実が出来るのか」
というのを、人工生命体を使って。
本業の片手間に、やっていたのである。
結果は10日だった。
アメーバ?
ミドリムシ?
で、だって?
内輪以外の評判というのは、いいものとは言えなかった。
筑波大学の最新機材だろうが、人工生命体だろうが、「真核生物に似せてある」という時点で、評判が良くなかった。
リンゴ以外でもやって、どれも早く実をつけたという記録が、博士のノートにある。
「でも一応ね、本物も。観察用には取っておかないと」
博士は、にこやかに言って、
「さて、試食会といきましょう」
と続ける。
安全性の問題は?
人工生命体で育った食物、遺伝子組み換えと同じように。
いや、それ以上に、人体に害はあるのかないのか。
そのへんは、麗奈も阿斗里も研究室の一員として、成分なんかも調べたが。
成分的にも、問題はなかった。
ただ、博士にも誤算はあったのだろう。
「試食会」としてリンゴを切って皿に載せたのは、3人のみだ。
内輪の中でも、その3人だけだった。博士、麗奈、阿斗里。
見た目にも、普通のリンゴ。
切ってみると、蜜も入っている。
さて、それから?
誤算だったのだろう。
と麗奈は思っている。
真核生物は、評判がよくない。
何故って?
時に食中毒を引き起こす種も、いるからである。
全てではないが。
症状が特に酷かったのは博士で、倒れた姿はおとぎ話に出てくるプリンセスのようだった。
もちろん、人工生命体というのは、偽物である。
研究室にはもう1つ、「樽1」がある。
麗奈は思った。
仕込もうと思えば、研究室の誰だって出来る。
程なくして阿斗里は、博士の研究内容を大方、引き継ぐ形になった。