〈第八章〉 ただいま
西暦 2528年9月14日午前6時
いまだ、かの超長距離の新型の武器は試作段階なのか、それによる攻撃だと認められているのは、前線基地に一発、本部に二発と計三発分となっている。
けれども、いつでも前線基地程度破壊できるともとれる攻撃をまじまじと見せられた兵士達は、仕方のない事なのだろうが不安で自分が見えなくなっていた。リヒトはその悪意がチヒルのものだというのは認識できるが、度重なる子供じみた嫌がらせにストレスを感じていた。
今朝、エリカたちは出撃する運びとなった。作戦には超長距離砲の撃破も含まれている。どうやら本部は混乱の中、やはりリヒトを捨てる選択をしたのだとエリカは辟易とする。けれども、他に切れる強いカードが無く、本部で作戦を考案する人材が経験の少ない若手しかいないのだから仕方がないというのもあり、理がかなっていない、というわけではないのだろう。
残った兵士はそこの前線基地を離れて、別のところに集め、残存する兵士全てで一点をつき前線を突破する作戦らしい。そこで超遠距離で確実な被害を出せる重力砲がどうしても邪魔となってしまうのだ。
だからエリカはそれに対して苦言を呈することも愚痴をこぼすこともしないが、どうもリヒトはそれだけではないように感じた。
裏にチヒルがいるのだろうかと勘繰る。そうだ、確かに彼はどこかでまた会えるといったのだ。であるならばその重力砲にチヒルが乗っているというのは十分に予想できた。そうなってしまうと、エリカやゼーン、フリージアでさえも自分の敵となってしまいそうで、リヒトにはどうしようもなくそれが怖い。
それならばいっそのこと自分一人で戦ったほうがましなのではないかとすら思ってしまった。
ホシナシビトの神話について、リヒトが知っているのはおよそ今から一万年ほど前に誕生したホシナシビトは、同星に住んでいた他の人種にまさに奴隷として扱われ、耐えがたい仕打ちを受けてきていた。そして誕生から数百年経った時に救世主が現れた。
名は覚えていないが、どうもホシナシビトに人知を外れた力を与え、星の外の逃がしたというものであった。
同時に彼は予言も残した。西暦に直して2512年に一人の少年が生まれるというものであった。彼は幼いときに両親を失い、そして最後にホシナシビトを引き連れて約束の地に到達するというものであった。
約束の地というのはそれ以上明記されていないが大半の学者はホシナシビトが失ってしまったかの星であると解釈している。
これがリヒトがヴァンジンから聞いた神話についてである。
リヒトはこの神話が嫌いだ。過去の知らない人の言うように生きならなければならないのだと言われているようで。決まった未来に向かって突き進むほかないのだというようで嫌悪感を感じていた。
同時に自分を自分としてみてくれていないようで悲しかったのだ。何かをなす偉人なのだとみられているようで怖かった。皆、その幻影にもたれ掛かっていた。ヴァンジンもハルカもチヒルも、リーヴァも、誰もかも。
それがリヒトにとって耐えられなかった。
リヒトは苦痛をぐっと飲みこんで軍服を着る。外で皆が待っているのだ。急がなければならない。鏡の前で顔を洗って深呼吸をする。
「帰りたい」
リヒトは弱音を口に出す。
「こんな場所、こなきゃよかった」
頭に水をかける。水がやけに冷たくて先ほどまで燃え盛るような激情は不思議と落ち着いて、それでもいまだに頭の片隅にしこりが残る自分の顔を鏡で見る。
「――疲れた」
顔をあげると、髪に残った水が滴り軍服を濡らす。リヒトは部屋の電気を消してドアを開ける。きっとみんなが待っている。
エリカは誰よりも早く、戦闘機に乗り込む。フリージアもゼーンも遅れてくる。三人は戦闘機に乗りワープに入る。以降、皆話していない。
都合よく敵軍は全軍出払っていて、一騎打ちのような形で四機と重力砲を主砲に積んだ大型戦闘機が見合っている。
突如、その巨体の後ろからエリカたちと同じの規格の戦闘機が出てきた。中に生体反応はないのを見るに遠隔で操っているのだろう。
リヒトのいない戦場に絶望感を覚えながらもどこか安心すら感じていた。これで、自分はようやくリヒトのために何かできるのだと。これでリヒトはあの星に戻ることも無く、彼の前で自分たちが死ぬところを見せずに済む。
フリージアは先日エリカからリヒトを逃してかつ自分達だけでその敵に立ち向かうと話を聞いて、狂信的な域に至ってしまっている姉を憐れみながらも、それを否定することもできず、たとえ死んでもリヒトは覚えてくれるのだろうとそれに合意した。
ゼーンが無言でエリカの隣に並んだ。
「じゃぁ、行こう」
エリカがそういってエンジンを全開にする。
リヒトが戦闘機に乗ろうと部屋を出ると誰もいなかった。文字通り誰も。
人が出払っているのは知っていたけれども、まさかフリージアたちもいないとは思ってもいなかった。おいて行かれたのだ。なぜか、は見当がついたがそれでも悲しくはあった。
「こんなの、違う」
けれどもそれを認めるのには少し時間がかかった。
リヒトは走ってみんなを探す。もしかしたらいるのかもしれないと。けれどもいくら探しても見つからない。
そこでようやくいないのだと理解できた。かもしれないが無くなった事実に気づくとリヒトはその場に膝をつく。
まただ。また、置いて行かれた。両親に次ぎ、リーヴァも、ベルグマンも、そして、ゼーンもフリージアも。
「これじゃぁまた振り出しじゃないか」
頭を強く地面に叩きつける。
結局自分はどこまで行ってもホシナシビトの船の、あの自室から逃れられないのだ。結局背負うものだけ増えていくのだ。
なぜこのような目に合わなければならないのか皆目見当がつかない。もはや運命を呪うことしかできない。
だれも自分を理解してくれていないようなそんな孤独感を再び覚える。違うのかもしれないとは思いながらもリヒトにはもう、そうとしか考えられなかった
リヒトはそれを否定したくて立ち上がる。戦闘機に飛び乗り宇宙へ飛び出した。戦闘機の中でかられる焦燥はとどまるところを知らず、どこまでも加速していく。
ついに、どろどろとした蛇がごとき悪意に気が付かない。
――と、――と、フリージアが――に殺されてしまう前に間に合えと進んでついに止まってしまった。
自分は何のために急いでいるのだろうか。ふとわからなくなってしまった。リヒトは行き先もわからずにゆっくりと動く。先ほどまで感じていた焦燥は行き場がなくなり霧散してしまい、今では自分が何をしていたのかも何をしたかったのかも忘れてしまった。
――早く、家に帰らなきゃ。
しばらく戦闘機を動かしていると目の前にホシナシビトの船が現れる。
――迎えに来たぞ、リヒト。
それは聞きなれた声であった。リヒトはその船に入り戦闘機から降りる。なれたようにリヒトは倉庫の扉のパスワードを打ち込み展望室に入る。そこには相変わらず小汚い清掃服を着た中背がいた。
リヒトは彼の名前は憶えていないが、生まれた時から知っていた。リヒトはひどく疲れたように展望室のソファに座っている彼に言う。
「ただいま」
「もういいのか?」
「ん? なにが? それよりも、他にいないの?」
「あぁ、みんなもういない」
「そっか」
そう興味がなさそうにリヒトは言って居住区に向かう。エスカレーターを降りて、重い扉を開けると、まるで時間が止まってしまったかのように何も変わらない、音一つしない街がリヒトを迎える。
リヒトは陰鬱そうに、いつも通りゲームセンターに向かう。ちょうど日が昇り始めたころで朝日が木の隙間からこちらを見ている。
リヒトは奇妙なデジャブを感じる。湧き上がってきたのは誰かと一緒に遊んだ記憶である。
椅子に座ってスタートボタンを押す。そうだ記憶では隣の席に彼女は座っていた。やっていたのはレーシングゲームだろうか。彼女はやけにそのゲームがへたくそで、リヒトがいろいろと教えながら遊んだ。彼女とクレーンゲームもやった。けれども彼女は景品をつかめてもいなかった。彼女はゲームがへたくそだったのだ。
花火について彼女から聞いた。どうやら棒状のものから物からすごい勢いで火が噴き出すらしい。狂気しかないものだと感じたが、なぜか楽しそうだった。
――そうだ、僕は花火をやった。他にも二人いて、その一人のことがどうも自分は気になっていたのだ。
ぼんやりと楽しい記憶が思い返される。
「なんだこれ」
変な気がしてリヒトはゲームセンターから出た。
やけにかさばる服に嫌気がさして服を脱ごうとしたところで手を止める。自分はなぜ軍服を着ているのだろうか。そもそも、自分は何をしていたのだろうか。
そこでようやくリヒトは自分が忘れていることに気が付いた。同時に自分の心に巣を張る蛇のごとき悪意にも気が付く。
自分は何をしていたのだろうか、そんなことわからないが再び焦燥感が心のどこかで燃え始めた。
わけも分からずリヒトは走り出していた。何かしなくてはならない。リヒトは居住区を飛び出して先ほど乗ったエスカレーターを駆け上る。
展望室を通り抜けてリヒトの乗っていた戦闘機を洗おうと雑巾を絞っている中背の横を通り抜けて戦闘機に飛び乗る。
「やっぱり行かなきゃ」
よくわからない感覚であった。自分はいかなければないのだ。何処に? そんなものは知らないがとにかく体が動いていた。
「そっちじゃない」
そう言って中背が倉庫の隅にある機体を引っ張ってきた。
「これを使え」
それは少し古いけれども性能だけは確実で、まさに人知を無視したホシナシビトに適合するためだけに作られた戦闘機であった。
「壊れてたから、直しといたぞ」
リヒトはコックピットに乗り込んで操縦桿を眺める。以前に乗せてもらったこともあったので操縦方法は、普段より複雑であったが、すぐに理解できた。
「ありがとう。行ってきます!」
リヒトはエンジンを全開にした。中背はもうすでに慣れたことだと、少しばかり呆れたそぶりを見せて再び展望室に戻っていき、流星のごとく進むリヒトを見送った。
エリカはついに最後のレーザーを討ち果たしてしまった。ゼーンはまだ生きているのだろうかフリージアはどうだろうか。敵はまるで遊んでいるかのように軽やかに巨体を動かして、本体はもちろん敵が遠隔で操縦しているはずの戦闘機にも一撃も当たっていない。数は精々三機であったがその一つ一つが比べもにならないほど強かった。
けれども相手の攻撃は吸い込まれるように当たるので笑えない。何とかこらえてはいるが、もう直にそれも終わるだろう。
「もういいんじゃないか」
エリカは小さくこぼす。
果たして自分は何のために生きていたのだろうかそんなの知る由もないがきっとリヒトが何か意味をつけてくれるだろう。
リヒトはもうホシナシビトの船に帰ることができただろうか。今頃彼は何をしているのだろうか。
そう言ってエリカは巨体の背後を取ろうと機体を動かした。
フリージアはもう意識がないかもしれない。先ほどからフリージアと無線が通じない。ゼーンは辛うじてこらえているようだがもうなぜ動けているのかもわからない。エリカも意識が飛びそうになるのを必死にこらえて何とか辛うじて動いている。
そもそも、主砲の重力砲による攻撃が当たれば逃れられないうえに途轍もない圧力がかかるのだ。それに加えて動けなくなる。
何とか避けたとしてもそこにレーザーが影響を受けたり、操作がままならなくなってしまったりする。
エリカは、リヒトなら何とかしてくれたのかもしれないと、泣き言を吐きそうになり、慌ててそれを呑み込む。それを言ってしまってはフリージアにもゼーンにも合わす顔が無くなってしまう。エリカがわがままを言ったのだから自分にはその責任があるのだと自分に言い聞かせる。
けれども、それは絶望的な状況で目の前に現れた藁にしては上等すぎるものであった。
「そうだ。もう、無理だ」
小さくそう呟いてしまった。エリカはハンドルから両手を放して顔の前に両手を運ぶ。そこにとどめと言わんばかりの重力砲が飛んできた。これで終わりなのだと目をつぶり、そのまま気を失ってしまった。
再び目を覚ますとエリカは戦闘機の操作室らしきところにいた。目の前で、ポニーテールで髪をまとめていて女性的に見えるがおそらく男、が退屈そうにモニターを見ている。
エリカはあわてて隣を確認する。そこにはフリージアも、ゼーンもいた。フリージアはどうやら頭部に怪我をしているようであったが、ひとまず、よかったと安堵のため息をつき、そのあとすぐに、自分は捕らえられたのだという結論に至る。
手は雑に結びつけられていて、頑張れば逃げられそうだ。
フリージアとゼーンのそれぞれ脈を確認して、再びあたりを見回す。生憎、フリージアもゼーンも起きてはいないので逃げだしはしないが、いつでも逃げ出せるように扉の位置などを確認する。
エリカは男が何を考えて自分たちをとらえているのかと考えていると、それに男が答えた。少し驚くがリヒトもそういうふうにしてくるので、それ以上は驚かない。
「お前らは、人質だ」
中性的な声で女性かと錯覚するが、やはり彼は男であった。
「別に、私たちをとらえても私たちの軍はもうここには来ないよ?」
「あー、そんなのわかってる。何年見てきたと思ってんだ。そうじゃない。私が欲しいのはリヒト。ほら、ちょうど今来たみたいだよ」
そう言って彼は細くきれいな指でモニターを指す。そうして彼はどこか見慣れた笑顔でモニターに向き合う。すぐにエリカは思い出した。リーヴァと名乗る少女もこの笑顔を見せていた。
エリカは彼の指先、モニターに映っているリヒトを見てわずかに歓喜して、その直後に焦りに変わる。リヒトがここに来てしまってはどうしようもないのだ。
「ダメ、逃げて」
思わずそう呟く。こんなところで死ぬのは自分達だけで十分なのだ、リヒトは死ぬべきではないのだと。逃げて生き延びてほしかった。
もう二度と会えなくなってしまうのだとしても、エリカという存在をリヒトが認知できなくなってしまっていて、あの時のすれ違いが今生の別れになってしまったとしても。
リヒトには生き延びてほしかった。
――うるさい。
頭にリヒトの声が響く。
――僕は戦いたいから戦ってるんだ。みんなと一緒にいたいから戦うんだ。みんな僕を置いて勝手に押し付けて死にやがって、誰がそんなもん背負ってやるか。そういうのは生きて、自分で背負って生きていけ! もうこんなのたくさんだ!
ヒーローのようには言わなかった。けれどもリヒトは、リヒトなりの、リヒトの答えを持って現れた。そんなリヒトはまさにエリカにとってヒーローのようであった。
エリカは強く衝撃を受けた。初めて自分にリヒトが本音を吐いてくれたような気がした。それが何よりも嬉しくて、自分がふがいなくなる。
けれども、ふがいなくていいのだろう。リヒトはそれが欲しかったわけじゃないのだろう。エリカは意を決したように自身を縛り付けていた紐を解いた。
ちょうど、二人は戦闘をしていて気づいていない。その隙に二人の紐を解いて二人を担ぐ。重かったがこれくらい頑張ろうと思えた。
自分は間に合ったのだろうか。自分は何のために何をしているのだろうか。全く確信は持てない。けれども直感が大丈夫だという。こいつを倒せばいいのだと、記憶よりももっと深くに刻み付けられた思い出がそう叫ぶ。
本能のままにリヒトは叫んだ。こうしていいのだと確信を持っていた。
リヒトは少しばかり敵を観察する。あたりに感知されている重力場から推測するに、巨体に積んである大きな主砲が所謂重力砲というものなのだろう。
リヒトは戦闘機を動かした。重力砲とやら結局のところ当たらなければ、それほど被害が出るわけでもなく、レーザーの標準が歪むだとか、戦闘機の操作が影響を受けるだとかそんなのも、それを理解したうえで動けばたいしたものではないのだ。
リヒトは巨体の周りをまわり、ざっと見まわした。けれどもあたりを衛星のように飛び回っている戦闘機がそれを妨害する。
巨体自体の動きは遅いが戦闘機が厄介であった。自分とおおよそ同じレベルで動いている。反射速度も同じくらいと言っても差し障りなかった。
――プレゼントは受け取ってもらえたかな?
彼がそういう。
――お前は何なんだ。
――受け取ってもらえたようだね? これで三回目の自己紹介になるね。私はチヒル。準備はいい? リヒト!
そう叫ぶとチヒルは巨体をゆっくりと動かしてと動かしてリヒトに迫る。同時に戦闘機も動き出した。リヒトはその迫りくる戦闘機を前にどう攻略をするかと思索を張り巡らせる。
弱点は果たして何であろうか。すぐに思いつくのは本体は小回りが利かないことだろう。主砲には十分な質量があり、それに可動域が狭いので背後などを取ってしまえば、それが通るのかは別として攻撃はできるだろう。
出せるうちで最も早い速度に最速で至り、仰角を取りにくいその機体の下に潜り込む。目の前には二機戦闘機が待機していた。リヒトに向かってすかさずレーザーを打ってきた。それをすんでのところで避けたリヒトはそのままその戦闘機に突撃していきそのうち一機に至近距離でレーザーを撃つ。できればリヒトはそこで一機は潰したかったところであったが当然のように避けられた。リヒトは小さくため息をつくとそこから一気に距離を置いて遠くから本体のほうに向かってレーザーを撃つ。
けれどもそれも当たり前のように避けられてしまった。
そもそも戦闘機に対処をすることに時間を取られすぎたのが原因であった。もうすでに残りの戦闘機もリヒトに向かってきてしまっている。
けれども、三機がすでに本体の正面にそろったのだ。リヒトは再び速度を限界まで上げて、縫うように隙間を抜けて背後に回る。背後を取るとすかさず巨体のブースターに向けてレーザーを放ったが生憎それは対策されていた。対レーザー用の障壁に防がれた。使い捨ての障壁なので何度か当てれば壊れるだろうが、その何度かが到底現実的な数字ではないのでリヒトはまたため息を吐いた。
いつも乗っていた戦闘機とは少し違うものに乗っていたリヒトに対してチヒルは思い当たるものがあったのか、余裕そうに言う。
――やっぱ速いな。コバエみたいでイライラする。
――長引くのは嫌なんだ。すぐに終わらせてやる。
そう言ってリヒトは副砲から飛んでくる太いレーザーを避ける。一撃一撃が当たってしまったら負けだろう。けれども不思議とそれは楽しかった。記憶には自分が何をしていたのかとかそういうのなんて全くないし、戦闘機も乗って戦うなんてことしたことがなかったが、こうしているのが体にはなじむ。
レーザーの陰に隠れるように飛んできた戦闘機からの攻撃をレーザーで相殺してそれの余波を回避する。敵戦闘機はそれに直撃してしまったようで、戦闘機自体がもうすでに制御を失ってしまっている。
そうしていると敵船からの通信が入る。
――なにこれ
思わずリヒトはチヒルに問いかける。するとチヒルは楽しそうに笑いながらそれに答えた。
――私じゃないよ。私じゃなくてエリカが話したいそうだよ? あぁ、もう忘れたか。
そういうとチヒルは腹を抱えて笑い始めた。しばらく笑い、彼は息を吸う。チヒルはモニターに映る、必死に攻撃を通そうとするリヒトを退屈そうに眺める。随分と火力が不足しているようで面白みがない。
操るために持ってきた戦闘機はすでに二台になってしまったが、その分操縦に集中できるのでたいして問題はなかった。しかもいざとなれば先ほどエリカ達から鹵獲したものを使えばいいだろう。
リヒトは、エリカ、からの通話に出る。聞きなじみのあるやわらかい声であった。
「リヒト! この船の弱点はわかる?」
知らないはずの声であったが味方なのだとすぐにわかる。
果たしてどのような間柄だったのであろうか。忘れてしまったことを悲しく思い、けれどもホシナシビトの船で一緒にいた人とイメージが重なり、安心感を覚えつつそれに答える。
「まだ、わからない」
変えてきた言葉が敬語ではないことにエリカは驚いた。今まで敬語だったからこそどこか違和感を覚えた。けれども、おかしなことに記憶を失ってエリカのことを忘れているリヒトのほうが距離感を近く接してくれるというのが嬉しい反面悲しくもあった。
「じゃあまず、外部装甲の破壊は難しいと思う。同様にエンジンとかブースターもどれも熱への耐性が高すぎる」
エリカは今二人を担いで船内を歩いていた。地図が欲しいと思いながら外部につながる扉を探す。
そうしてエリカは船の上部、重力砲の制御部分にたどり着いた。
「だから、狙えるのは多分重力砲の発射口。そこだけは重力砲に影響が生まれるから多分何もない。そこから重力砲の制御部分を破壊出来たらそのまま倒せる」
エリカは制御室と書かれた部屋を眺めながらそう言った。おそらく室内では強力な重力場が生まれているのだろう。壁が特殊な構造になっていて重力の効果を遮断するので何とか実用化に持って行けたのだろうが。であるならばそれを破壊してしまえば、すぐに重力によりこの船は崩壊する。おそらく、唯一それが勝ち筋だろう。
そして、エリカはリヒトがそれをなすまでに、おそらく、エリカと一緒に鹵獲されたであろう戦闘機を見つけ出し、それで脱出しなければならない。
「わかった。やってみる」
リヒトはそういうと再び巨体の正面に立つ。重力砲に直接レーザーをぶつける、というのは難しい話だ。第一に遠距離で打てば強い重力場によりレーザーがさらされてしまうだろう。だからまず遠距離ではあたらない。次に近距離で打ち込むことを考えるのだが、同様の理由で難しい。であるならば残るのはゼロ距離で主砲の中に直接レーザーを叩き込むことだ。自分もまきこまれるだろうが、数分宇宙に出た程度であればホシナシビトであるならば無事だろう。そして、最後の理由。
――どう? 話は終わった? 重力砲に直接レーザーを叩き込むなんてできるの? 無茶じゃない?
彼はそいう言うとチヒルの陰から衛星のように飛び回っていた戦闘機が出てきて、チヒルは副砲をかまえた
最後の理由は、おそらくチヒルがゼロ距離まで近づかせるなんてことしないだろう。現状、リヒトは残りの二機に阻まれて最初に加えた攻撃以外で本体に攻撃を加えられていない。戦闘機が減っていけばいくほど操作精度が上がるのだろう。であるならばこれ以上戦闘機を破壊せずに直接本体を狙うという策にもあったが、リヒトはすぐにその考えを否定した。
結局のところ戦闘機があるかぎり到底重力砲には近づかせてもらえない。
なんと面倒くさい敵だとリヒトは嫌気がさしたがそれを鼻で笑い飛ばした。
――後で泣き言言ってもやめないからな。
――はっ! やってみろよ。
そう叫ぶとチヒルは畳みかけるかのようにレーザーをすべてリヒトに向けて撃つ。同時に届くわけではなく、どこかに誘導するかのように。リヒトはそれに気づかないで避けて、落とし穴、先程のエリカたちとチヒルの戦闘時に起きた重力場に足を取られた。
ちょうどそこにチヒルは戦闘機から攻撃を叩き込んだ。
――これで終わりか?
強くなったのは兵器だけかと過去のリヒトを思え返しながらチヒルは高ぶっていた心が急速に冷めていくのを感じた。エリカたちの扱いなどを考えていると小さく声が聞こえた。
――油断したな。
カウンターが飛んできた。その言葉の通りに、チヒルには油断があったのだろうわずかに戦闘機の回避が遅れてまた一機制御を失った。
まさにリヒトからしてみたら絶体絶命、確実に仕留めていたと思った矢先のカウンターにチヒルはわずかに驚く。モニターに現れたのはエンジンをむき出しにした重厚な装甲をすべて取り外した戦闘機であった。チヒルは顔をしかめた。
――装甲をおとりにはしないんじゃなかったのか?
チヒルはハルカの事を思い出してリヒトにそう言った。チヒルはどうも抑えられないような怒りを感じた。不意を突かれたことに、自分の想定通りに事が運ばないことに、ハルカのことを馬鹿にしたその戦闘スタイルに。
リヒトもそんなこともあったなと思い出しながら怒りをむき出しにしながら無造作に撃ってくるレーザーを避ける。もとより当たれば即死の攻撃だ。装甲の有無なんて関係なかった。
チヒルは先ほどよりも速度が速くなったリヒトから距離を取りつつリヒトを寄せ付けないように攻撃を続ける。けれども一度装甲をおとりにしてしまった以上もう二度目は使えない。後は簡単な仕事だ。チヒルは深呼吸をして怒りを鎮める。ただそれよりも船内で自由に動いているエリカのほうが面倒な事案であった。いつ後ろから襲ってくるか、自爆覚悟で重力砲をいじられるか。それに対する不安が脳のリソースを割いていた。いっそのことエリカをそのまま外に出させてしまえば楽だ。
チヒルはエリカたちをここから追い出そうとエリカのもっとも潜在的な部分に道を刷り込んだ。
エリカはしばらく歩いてようやく戦闘機を見つけそれに乗り込む。フリージアたちにも起きて欲しかったが生憎と起きてはない。エリカは焦る気持ちで二人を戦闘機に乗せた。少し乱暴にしたからかゼーンが目を覚ました。
「いたた」
ゼーンには目立った外傷はなく、おそらく酸欠で気を失っていたのだろう。頭痛があるのか頭をなでている。
「逃げるよ、フリージアを抑えといて」
そういうとエリカは戦闘機を走らせる。走る戦闘機を感知したのか扉が自動で開いていく。そうして戦闘機は再び宇宙に飛び立つ。
チヒルはようやくエリカたちが外に出たことに安心した。けれど同時に気が付いてしまった。エリカたちのせいでわずかに対応が遅れてしまっていたことが誤りであったと。そもそも対応が遅れてしまっていることに対して、自分は焦っているのだと。
装甲が無くなったことによりわずかに速度が速くなったのか、それともだんだんと塗りつぶした記憶をだんだんと取り戻してきたのか、同じホシナシビトの血を引くチヒルでさえ認識できない速度になっていた。
チヒルは焦りからかわずかにレーザーを押すタイミングをミスした。それで生まれた時間は一秒ほど。刹那のごとく過ぎ去る短い時間ではあるがリヒトが懐に潜り込むための隙としては十分なものであった。
巨体を動かすのは間に合わない。それは戦闘機も同様だった。
リヒトは敵船を駆け上がるように戦闘機で昇っていき、吸い込まれるように重力砲にレーザーの砲身を突き刺す。
――これで終わりだ。
トリガーを引く。
レーザーから放たれた光の熱線が重力砲の精密に作られた内部構造と壁として用いられているものをやすやすと貫き、重力場が過剰に生まれ、圧縮されていった巨体が爆発を起こす。それによりリヒト吹き飛ばされた。
飛ばされながらもリヒトはどこか達成感とそれに伴う喪失感とを抱えていた。どうも理解ができなかったがリヒトはチヒルが死んでしまうのが嫌なのであった。
耳を凝らすと、エリカ、が自分を心配している声が聞こえる。
――全部お前がやったんだろう?
リヒトは今まさに死にかけているチヒルに問いかけた。リヒトはそうなのだと確信にも似たものがあった。するとチヒルは呆れたようにため息を吐いて答える。
――今それを聞くかね。まぁそうだよ。文字どおり全部私がやった。楽しんでもらえたかな?
――あぁ、一生忘れないだろうね。
――それはよかったよ。
記憶の片隅で何かが蠢いた。リヒトの記憶に巣食っていたチヒルの悪意が体から消えていった。まるで黒で塗りつぶされていたスケッチブックに消しゴムをかけたようにリヒトは記憶を取り戻していく。
リヒトはエリカに回収されると我に返ったかのように再びエリカのことを見つめ、そしてゼーンとフリージアを見つめる。
自分はなんてものを忘れてしまっていたのだと思う。こんな大事なものを。こんなにも大切な存在を。
「まずは、お帰り、リヒト」
そういうエリカの顔を見て、エリカの名前を頭で反芻する。同様にフリージアもゼーンもそうして、思い出をひしひしと噛みしめる。安堵と、喜びと、それら全部を合わせて飲み込みリヒトは返事をする。
「ただいま」
そうだ、帰ってきたのだ。リヒトはもうホシナシビトの船の自室にはいない。そしてもうあの居住区の自室には戻らない。
もう僕は一人ではない。宝物を抱きしめるかのようにリヒトはエリカの胸に飛び込んだ。エリカは驚いたような顔を浮かべはしたがリヒトを抱き返す。今は不思議とそうしたかったから。
リヒトはしばらくそうした後、どこか恥ずかしそうにエリカから離れる。
「それで、エリカさん。なんでおいていったんですか?」
記憶を取り戻したらしいリヒトが思い出したかのようにエリカに問いかけた。
「それは……」
「もちろん、チヒルがエリカさんの頭をいじっていたっていうのは知ってるんです。けど、わかってもちょっとまだ悲しいです」
エリカ言葉に詰まるとすかさずそうフォローを淹れるリヒトにエリカは申し訳なく思い、言わなくてはならないのだと心を決めた。
「そんなんじゃないの。ただ、私の独りよがりなものが行き過ぎただけなの。何かしたい、何かをしてなくてはならないっていう、そんなものに駆られちゃってたの。だから、なにがいいたいのかっていうと――。ごめんなさい」
エリカはそう言って深々と頭を下げた。
「二度と、やらないでくださいね」
そういうとリヒトはどこか安心したような顔つきでその場にへなへなと座り込んだ。
しばらくして、ゼーンは疲れたのかもう寝てしまっていて起きていたエリカは、退屈そうに外の星を眺めているリヒトに振り返って話しかける。
「それで、これからどうする?」
エリカは数か月前にリヒトを連れて行った時のことを思い出していた。あの時から戦況はだいぶ変わってしまっていて、重力砲をこわしたとはいえ、重力砲は超遠距離でお前らの星に攻撃を加えられるというあくまで終戦に向けた威嚇の道具に過ぎないし、根本的な戦力差があることは変わるまい。ここから戦況を巻き返すなんてリヒトが百人いないと無理であろう。
そもそも、あのような杜撰な計画が成功するわけもないだろう。戦力を一つに集めてしまえば開いてしまったところから攻められるのが当然だろう。
もはや、あの星に未来はない。
「僕はホシナシビトの船に帰ろうと思います。もう、戦闘はこりごりだ」
疲れたように、辟易としたようにため息を吐く。
「私達もついていっていい?」
故郷を捨てるというのは怖くて不安なものでもあったが、どうにかなる、大丈夫だという安心感もあった。
「いいですよ。ほら、あそこ無駄に広いですから」
そういうとリヒトは少しうれしそうな顔をした。エリカもつられて少し微笑んでふたたび前を向く。
そんな会話をしていると、空気を読んだかのように唐突にホシナシビトの船が現れた。
リヒトが何やら会話をし、すぐに中に入れてもらえた。
「案外、早かったな」
中肉中背がリヒトと顔を合わせるなりそういった。奔放なリヒトにしては珍しいと思っていた。
「うん、ただいま」
リヒトはそういうと疲れたとソファに体を投げた。エリカは中背にお久しぶりですと軽く挨拶をしてフリージアの治療のための道具をもらう。消毒をして、縫い合わせるなんて高等な技術は使えないので、綺麗な包帯で巻きなおす。自然治癒で治る程度のけがなので大丈夫だとは思うが一応の処置であった。
眠っているゼーンを倉庫の中の戦闘機から引きずりだしてようやくエリカは一息をつけた。エリカは背負っていたゼーンを床にゆっくりとおろすと肩の荷が下りた思いでリヒトが使用しているソファの肘掛けに座る。
「疲れた」
思わずそう呟くとリヒトが眠たそうに目をこすりながら体を起こして言う。
「疲れましたね」
そういったかと思うと、リヒトは背もたれに体を預けてそのまま寝てしまった。エリカは悪いことをしてしまったと慌てて立ち上がり、寝ているリヒトをソファに横たわらせると、そそくさと展望室の一段高くなっている場所に向かう。
前線基地の無機質な壁とは違いこの船はまるで一面ガラス張りかのように宇宙がよく見える。展望室には丁寧にも木製の揺り椅子が二つあり、エリカはその片方に満足そうに座りながらユラユラと揺れる。
「その椅子はな、昔いたアンラってやつが自作したんだ。座り心地がいいだろう?」
中肉中背がそういってもう一個ある椅子を少し離したところに置いて、そこに座る。
「あぁ、名乗り忘れてたな。俺はカプレカル・リュッケン。リヒトのおじいちゃんだ。驚いたか? まあ狭い船だからな」
少し驚いて目を丸くしたエリカにカプレカルはそう続けた。
空に映る宇宙はずっと夜で、ここ数年ずっとそうではあったのだけれども、どうも不思議な気分でむず痒くなる。多分、何かから解放されたのが嬉しくて仕方がないのだろう。けれども同時に、逃げ出したことへの罪悪感もエリカは覚えていた。たいして仲間意識があったわけではないし、失いたくない大切なものがあの星にあるわけでもない。にもかかわらず、この後どうなるのかだけは克明にわかってしまうのだからたちが悪い。
エリカはそんなことを考えているうちに眠ってしまった。
時刻は午後5時の事であった。