七夕のお願い
小学校の二者面談が終わった後、廊下に飾られていた七夕の短冊に気が付いた。
まさきはどんな願い事を書いたのだろう。
かよ子はまさきの短冊を探しながら、去年の事を思い出していた。
去年まさきが一年生だったときのクラスメイトたちの短冊は、次のようなものだった。
『さっかーせんしゅになりたい』
『かみがながくなりたい』
『ゆーちゅーばーになりたい』
『だんすがうまくなりたい』
『けんがじょうずになりたい』
『おかねもちになりたい』
『かんじがうまくなりたい』
『さんすうがはやくなりたい』
『げーむがじょうずになりたい』
その中でまさきのお願いは、
『さむらいになりたい』
だった。
卒園式で語られた将来の夢は、周りの子たちもケーキやさん、アイドル、花屋さん、ヒーロー、足が速くなりたいなどだったのに、たった数か月で子供たちは将来を見据え始めていた。
数か月の間に何があったのか。
取り巻く現実が変わったのか。
ただ一人、まさきだけが変わっていない。
三年くらいお願いが変わっていない。
そう思ったのだが、その数日後に学童で書いた短冊のお願いは教室で書いたものとは変わっていた。
「はい、これ。『ほんやさんになりたい』って書いた」
ため息を吐きながら学童で書いた短冊を渡してきたまさきに、かよ子は戸惑った。
「あれ? サムライじゃなかったの?」
「だっておかあさん、本屋になりたいんでしょ? だからいっしょにした」
やれやれというように言われ、かよ子は頭が疑問符でいっぱいになった。
ふと、まさきに「おかあさんの夢は?」と聞かれて本屋になりたいと話したことを思い出した。
「そっか。でもどうしてお母さんと一緒の夢にしたの?」
そう聞けば、まさきは当たり前のように答えたのだ。
「おかあさん大変でしょ? だからぼくも本屋になればいいでしょ」
手伝ってくれるということかと気が付いて、かよ子はなんとも言えない気持ちになった。
嬉しい。
だけど同時に、こんなに小さいのに自分の夢を語るより、いつも「忙しい」「大変だ」と口にしてばかりのかよ子を助けるための力になると言ったまさきに、申し訳なくなった。
かよ子が本屋になりたかったのは嘘ではないが、本当の一番の『夢』は口にできなかった。
親に馬鹿にされた過去があったから。
けれどそれをまさきに伝えていたら。きっと応援してくれたのだろうなと思う。一緒に夢を見てくれたのではないかと思う。
そう思うと、気恥ずかしさよりも少しの後悔と、それからじんわりと胸が温かくなった。
「ありがとう、まさき。そんな風に言ってくれて、おかあさんすごく嬉しかった」
だけど、かよ子はまさきの親だから。
それだけで終わりにはできなかった。
「お母さんのこと心配してくれてありがとう。それだけでお母さんの力になるよ。だから、まさきはまさきのなりたいものになってね」
「だから本屋になりたいんだってば。そしたらお母さんとずっといっしょにいられるでしょ?」
その言葉に、かよ子は言葉が継げなくなった。
こんなに毎日一緒にいても、子供の事なんてすべてわかるわけじゃない。
たった一つの願いに、どれだけの思いが込められているのだろう。
まさきはただ母の身を案じているだけではない。
まだまさきの中には、母と離れたくないと思う気持ちがあるのだ。
小学校という新しい場所に自分の足で歩いて行くようになったからこそなのかもしれない。
まさきの中に確かに育つ自分に対する自信と、未来への希望と、やる気と、それから母への寂しさと心配と少しの不安。
「そうだね。一緒にお仕事ができたら楽しそうだね」
いつも叱ってばかりなのに。
そんな母親でも助けたいと思ってくれる。
一緒にいたいと思ってくれる。
なんて幸せなことなんだろう。なんて恵まれているんだろう。
かよ子は視界が揺れるのを必死に堪え、「今日はシチュー作るね」と笑った。
要領も悪く、料理も上手くはないかよ子が今から作るには遅くなってしまうけれど。
それでもまさきは「やっひー!」とぴょんぴょん跳ね上がって喜んだ。
その勢いで滑って転んでソファに倒れ込み、「あぶないよ!」と遅すぎる注意をかよ子が発するのはお約束。
すぐに何もなかったように遊び始めたまさきに笑って、かよ子はその日もまた家事も育児も頑張ろうと力を得て、元気に動き出すのだった。
◇
そんなことを思い出しながら、今年はまた成長しているだろうかと、二年生になったまさきの短冊を探した。
なかなか見つからなかったが、それもそのはず、まさきの短冊は笹に隠れた奥の、目立たないところに潜んでいた。
『ウイルスがぼくめつしますように』
ただただ素直で、優しい願いがそこにはあった。
それがまさきだと思った。
いつも誰かのことを考えている。
サムライになりたいのだって、誰かを助けられるように強くなりたいからだと言っていた。
変わらなくて嬉しいこともあるのだと、かよ子は思った。
そしてそれは成長していないということでもないのだと。
かよ子は家に帰り、スマホのカメラで撮って来たその短冊の写真を陽一に見せた。
「それでね――」
勢いこんで話そうとしたかよ子に、陽一は「あー」と顔を顰めた。
「二年生になったのに漢字が一つもないじゃん」
そういうことじゃない。
「いや……。言葉は大人びてきたよね」
「聞きかじりだろ? だけどさ、現実問題としてウイルスが全部いなくなったら生態系が」
「それ、絶対まさきには言わないでね。そんな現実教えるのは今じゃないから」
思った通りの話にならない。
何故こんな釘をささなければならないのか。
ため息を堪えたかよ子に陽一は笑って言った。
「インフルエンザとか名指しじゃなくて、ウイルス全部ってとこが合理的だよな」
だからそこじゃない。
かよ子の思いは陽一とは永遠に共有できない気がした。
この些細な、だけどかよ子にとっては大きな意味のある話は自らの胸に秘め、また来年の七夕を一人楽しみに待つことにしたのだった。
それから何年後かの七夕。
「今年のオレのお願いは一味違うぜ! 『来年のたなばたのおねがい十個になりますように』って書いてやったぜ!」
あんなにピュアピュアだったまさきが、ついに小学生らしい『ワル』を身に着けたなと思ったのだが。
「それってさあ……、『お願いが十個』であって、十個叶うとは一言も言ってないよね」
「え? あ……。アアアァァァーーッ!!」
数年経ってもまさきはまさきだったという話は、またどこかで。




