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小学校と保育園と親と子

 七月の暑い日差しの中、全速力で自転車を漕ぐのはなかなかにリスクが高い。

 目的地は小学校。

 今日はまさきが小学二年生になって初めての二者面談だ。

 かよ子は職場を早退させてもらったのだが、途中で電車の遅延があり時間がギリギリになってしまった。

 しかしかよ子は一分でも無駄にしたくなかった。


 あまりに心配過ぎたから。

 何か具体的に聞きたいことがあるわけではない。

 心配しているのは、『何かやらかしていないか』である。

 それは勿論前例があるからなわけで。


 小学校に入学してから一年と三か月。

 これまでに数回、担任の先生から電話がかかってきたことがある。


『体育の時間にぐるぐると一人回っていて、お友達にぶつかって鼻血を出させてしまいました』


 とか。


『お友達が自由帳に書いた絵が上手だったようで、見せてといって引っ張ったら破けてしまいました』


 とか。


 悪気はないのはわかる。

 それほど大きなことでもないかもしれない。

 けれど悪気がないからいいわけでもないし、小さなことだからいいわけでもない。

 その都度、連絡網を確認して相手の親御さんに電話し、かよ子は電話口で何度も何度も頭を下げてきた。

 大抵の親御さんは優しく許してくれる。

 かよ子だって、逆の立場だったら電話で謝罪をしてくれた相手には勿論同じように「気にしないでください、大丈夫ですよ」と言う。


 しかし、相手を許すのと、我が子を思う気持ちはまた別のものだ。

 多かれ少なかれ学校生活でこういったことはあるだろうし、仕方がないとは思っても、いざ痛がっていたり悲しんでいる子供を前にすると、かわいそうに思う。

 その気持ちがかよ子にもわかるから、心から申し訳なく思うのだ。


 普段から口うるさいくらいに、「周りをよく見なさい」「力加減に気をつけなさい」などなどいろいろ注意を促してはいるものの、そこは小学生男子、夢中になると我を忘れてしまう瞬間というのが日常になんとも多い。

 すぐに改善できることではないから、日々の声かけをするしかないとかよ子も胃をキリキリさせている。


 だから面談の時にはめいいっぱい普段の様子を聞きたいのである。

 電話がかかってくるほどのことではなくとも、何か日々やらかしたりはしていないか、逆に少しは落ち着いてきたりはしていないかなど、希望と不安を持って面談に望むのである。


 そのために貴重な時間が一分一秒でも減らないようにと全速力で自転車を漕いでいるのだが、息を切らして教室についてから気づく。

 これだけ汗だくで到着すると、まず「大丈夫ですか?」から始まり「外暑いですよねえ。お仕事早退されてきたんですか? ああ、電車が遅延で! 大変でしたねえ」と盛大な世間話が始まってしまうことに。


 そうして今日も必死で切り詰めた数分を肩慣らしの世間話に費やし、ようやっとノートを開いた担任と向き合った。

 十五分をかけて聞けたことは、「去年の担任の先生から聞いていたよりも落ち着いていますよ」ということと、「やはりまだ衝動で動いてしまうところは多いですが、一緒に見守っていきましょう」ということだった。


 大体想像していた通りの結果に落ち着き、ほっとしていいやら、先は長いと覚悟を改めるやら。

 小学生になってからは保育園との違いがあまりに大きく、親も子も戸惑うことが多かった。

 ましてやまさきは日比野家にとっては初めての子であるから、何をするにも初めてだ。

 保育園で仲良くなったママたちも、みな第一子ばかりで、互いに手探り状態だった。

 日比野家はまさきが産まれてから今の家に引っ越してきたから、知り合いは保育園を通じた人たちしかいない。

 だから他のママたちが近所のママたちから聞いた情報を横流ししてもらって、やっと未知なる小学校についての準備を始めたりした。


 保育園では毎日先生と顔を合わせるから、モメ事や何かがあればその日の帰りに聞けたし、送り迎えの時に相手の保護者に会えばすぐに謝ることもできた。

 だが小学校は少々のモメ事ではわざわざ家に連絡などしない。

 学童では相手の連絡先は個人情報の観点から教えてもらえず、一人で子供が帰る子も多いので、保護者に謝罪する機会があまりない。


 そんな中でモメ事があると、かよ子の心労はとてつもない。

 だから自然と神経もピリピリ尖ってしまい、朝送り出すときまで「喧嘩しないようにね! みんなと仲良くね!」と言わずにいられなくなってしまうことがある。

 まさきの「う、うん」という戸惑った顔を見る度、何かを間違えたことには気づくものの、子どもがモメ事を起こさないために親がするべき努力がなんなのかがわからなくなり、会社に向かう電車の中でため息を吐くことになる。


 時折、女の子のママにそういった事を話すと、「へえ、そうなんだー。男の子は大変だねえ」とまるきり他人事で、性別の違いを実感させられる。

 かよ子がよく話す女の子のママの家では、傷つけられた側に回ることはあっても、逆の電話はかかってきたことがないというのがほとんどだった。


 勿論男の子でも、何事もなく学校生活を送っている子だってたくさんいる。

 みんながまさきのような子ばかりではないこともわかっているし、逆にまさきだけが特別問題があるわけではないこともわかっている。

 ただ、傷つけてしまったら相手の子も親も悲しむことがわかっているから、極力それを減らしたい。そこに尽きるのだ。


 だがかよ子は知らない。

 こんなのは序の口で、これから学年が上がるにつれ、もっと電話の内容はシビアになっていくのだということを。


 いや。

 聞き知っていても、今はまだそれを現実として受け入れる余裕が、かよ子にはまだない。

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