おれの名前
五歳の頃、保育園から帰ってきたまさきは何故かずっと怒っていた。
眉を吊り上げ、頬を膨らませ、全身で怒っていた。
「な、なに……? なんで怒ってるの、まさき」
母のかよ子が訊ねれば、まさきは膨らませた頬はそのままに「だって」と呟いた。
「おれ、もっとかっこいい名前がよかった!」
名前は裁判所で認められなければ変えられないのだという事実を言っても仕方がない。
この場合はどう答えるのが正解なのだろうか。
悩みながらかよ子は訊いた。
「かっこいい名前って、どんな名前がよかったの?」
「強そうな名前」
しかめっつらのまま答える。
剛力とか。
強とか。
そういうことじゃないんだろうなとは思う。
大人はつい漢字で考えてしまうが、まさきにそれがわかるはずがない。
まさきが考え付くものといったら保育園かテレビの影響だ。
ヒーローの名前か! と思いつき、まさきが好きな歴代レンジャーのレッドの名前をあげてみた。
「ユキマサとか、ジュリアンとか?」
「ちがう! そんなの全然かっこよくないし!」
それはちょっとひどい。
来週ヒーローに謝れ。
世界のユキマサとジュリアンには私が代わりにお詫びしたい。
「え~、じゃあどんなの?」
本気で困って訊ねれば、まさきがきっと睨み上げた。
「セイヤとかトウヤとかだよ!」
ん……?
と、かよ子は動きを止めた。
「そうね。確かにかっこいい名前ね。でもそれならまさきだってかっこいいと思うけど」
「全然ちがう!」
「ええ? どのあたりが違うの? なんかテレビに出てたっけ? それとも保育園にそういうお友達がいるの?」
「いるよ、ばなな組とさくらんぼ組に。おれもああいう名前がよかった! なんでセイヤにしてくんなかったのお、ねえ!」
まさきはいやいやと体をぶるんぶるん振り回し、肩をがんがんとかよ子の足にぶつけてくる。
「え、いや、ごめん、まだわかんない、その名前のどこらへんがいいと思ったの?」
「なんでだよ! せいやっ! とか とうっ! やっ! とかかっこいいでしょ!」
あー……。
「うん。なるほどね。確かに戦ってるみたいでかっこいいもんね。そういう意味だとなんかちょっと疲れちゃいそうだけどね……」
かよ子はやっと納得して、なぐさめにかかった。
しかし理由がわかっても、まさきを今の名前で満足させられるかは別問題。
かよ子はその日夕飯を作りながら切々とまさきの名前の由来やこめた思いなどを話し、『いい話』に昇華しようとしたが、まさきは「別にそういうのはいらない」と興味を持たなかった。
子供の価値観と大人の価値観とのずれというのはいつの時も難題である。
これはそんな子供たちに振り回されたり、学ばされたりする大人の日常を綴った物語である。