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物語の小説化の技法  作者: 種田和孝
第四章 雑記
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小説執筆における人工知能の利用 その二

 世間では相も変わらず、AIを使用した無邪気な作品生成や、AIの利用を勧める無責任な創作論が増え続けています。今、この解説書を読んでいる人たちが余計な問題や紛争に巻き込まれないよう、まずは著作権に関してもう少し詳しく説明しておきましょう。

 小説の執筆にはいくつかの段階があります。物語のテーマを決める。物語の舞台となる世界や状況などを設定する。プロットを作成する。ストーリーを作る。実際に文章化し、作品として具現化する。作者それぞれに創作の手法は異なるとは言え、大まかにはそれら五つに分類できるでしょう。

 テーマとは、例えば「争いの中で芽生えた愛、そして悲劇」というような、いわゆるお題目です。

 舞台設定とは、例えば「中世のヨーロッパ。二つの有力な家が反目し続けている」などです。

 プロットとは、例えば「反目し合う家の息子と娘が偶然に出会い、恋に落ちる。密会を重ね、最後には駆け落ちを決意する。しかし、両家の者たちに追われ、心中のような結末を迎える」というようなものです。骨子もしくは大筋、粗筋と呼んでも良いでしょう。

 ストーリーに関してはすでに小説の構成要素の節で解説しました。つまり、刻一刻と推移する一連の事態であり、そのまま文章化すれば直ちに最終的な成果物である小説が出来上がる。そんな水準のアイデアです。

 前節で、著作権は「思想又は感情を創作的に表現したもの」の作者に与えられる権利であると簡単に述べました。しかし、実はもう少し複雑なのです。テーマや設定やプロットの中に思想や感情があり、それを構造化して創作的に表現したものがストーリーであり、実際に文章化して作品として具現化することによって著作権が発生する。つまり、著作権法に基づく保護の対象となるのは、ストーリーと文章の二つなのです。

 なお、ストーリーは考えたけれども、文章として書き記す形での具現化は行なっていない。その段階では権利は発生しません。そのストーリーは未だ作者の脳内妄想に過ぎませんから。

 保護されるのは文章表現である。そのように単純に考えている人もいると思います。ストーリーも保護対象である。そのことに意外感を持つ人もいるかも知れません。実際、弁護士などの専門家も「保護されるのは表現である」と言います。しかしそこには、「まず第一に」という暗黙の前置きがあります。

 例えば、著作権の中には翻案権というものがあります。作品を別の形で表現し直す権利であり、財産権に分類されています。原作とそれを別の形で表現し直した作品。両者の共通部分はストーリーなどのアイデアです。つまり、その種のアイデアも保護対象となるのです。

 例えば、誰かが小説を発表したとします。そして、作者とは異なる第三者が作品の映像化を目論んだ。その際、保護対象がまさに文章だけであるとすると、好き勝手に映像化し放題となってしまいます。文章と映像では表現方法が異なるのですから。つまり、映像表現の中に元々の文章そのものが現れることはほぼないのですから。あるとすれば、小説内の会話文の一部が映像内の科白となって現れる程度です。しかし現実には、好き勝手な映像化は許されません。許されない根拠となるのが、ストーリーなどの高度に構造化されたアイデアも保護対象であるという法の規定および判例なのです。

 付言すると、著作権法の規定と運用には曖昧さがあります。プロットは保護されないが、ストーリーは保護される。それならば、どこまでがプロットで、どこからがストーリーなのか。プロットやストーリーなどの用語は自然科学的な厳密さをもって定義されている訳ではありません。そのため、創作の現場では盗作騒動が頻繁に発生します。そのような騒動に決着を付けるには、究極的には裁判官の判断を仰ぐしかありません。

 さらに付言すると、保護対象となるのは実はストーリーと文章の二つだけではありません。具体的かつ詳細な人物造形なども対象に含まれます。人物造形を保護しないと、他者の作品の登場人物を勝手に使えるようになってしまうのです。


 前節で、人間によるゴーストライティングの件に触れました。ストーリーと文章の作成を複数人で分担した場合の権利関係は煩雑であり複雑です。

 前節での解説は、作品の発注者が行なうのは概略の提示程度のみ、資料集めからストーリーの作成から執筆までをライターが行なう場合を想定しています。

 それでは、異なる前提でこの問題を論じてみましょう。もし、ある人物がストーリーをほぼ完全なる形で作り、別の人物がそれを文章化した場合、その権利関係はどうなるのか。その場合、ストーリーを作った人物が作者となります。文章化した人物は翻案しただけ、簡単に言えば書き起こしただけです。つまり、文章化した人物は創作を行なっておらず、例えば海外作品の翻訳者などと同種の立場にあると見なされるのです。

 前節ではさらに、AIによるゴーストライティングにも触れました。その前提も上記と同じです。つまり、人間が行なうのは概略の提示程度のみ、資料集めからストーリーの作成から執筆までをAIが行なう場合を想定しています。

 ここでもし、人間がストーリーをほぼ完全なる形で作り、AIがそれを文章化した場合、その権利関係はどうなるのか。その場合、すでに前節で述べた通り、人間による創作性の存在が認定される可能性、著作権が発生する可能性があります。ただし、可能性の高低については、実質的に低の方に近いと考えておく必要があります。

 小説の場合、ストーリーを文の集合体として具現化することによって著作権が発生する。だから、肝心の具現化をAIが行なうと形式上、作品は機械生成物となってしまい、著作権が発生しなくなる。それが一般的な認識です。

 いや。それでも可能性は十分にある。そのような見解もあるようなのですが、私は次のことも考え合わせて述べています。AIの操作、つまりAIへの指示は書き記した文章で行なう必要があります。人間がストーリーをほぼ完全なる形で作り、それを元に作品を生成するようAIに文章で指示する。これは奇妙な話です。そのような詳細かつ膨大な指示書を書くぐらいなら、自身で直接に小説を執筆した方が早いはずなのです。つまり、そのような小説生成を行なう者はプロットに近いストーリー、もしくはプロット程度のものしか作っていない。穿った見方ではありますが、それも一般的な認識でしょう。

 ちなみに逆に、AIがストーリーを作り、人間がそれを文章化した場合、著作権が発生する可能性は高の方に近いと考えられています。

 ここでは何度も「可能性が高い、可能性が低い」などとあいまいに述べていますが、それには理由があります。法の条文も判例も無い状況では、これまでの法の運用実態との整合性以外に判断の基準が無いのです。

 世の中の一部には、いっそAI生成物にも人間生成物と同等の権利を認めてしまえという意見があります。もちろん、それは極論や暴論であり、実現の可能性はありません。著作権という制度の存在理由は、創作活動を促進し、文化をより豊かなものにすることにあります。AI生成物に人間生成物と同等の権利を認めると、文化が破壊されてしまう可能性が高いのです。

 現在、文化を破壊するものとして重大な懸案事項となっているのは著作権トロールの存在です。ここで言うトロールはファンタジーに登場する異形の怪物ではありません。自身の権利を過剰に主張し、他者の権利を侵害したり、他者の活動を妨げたりする者です。

 AIを用いて小説を大量に生成し、それらをどこかで公開する。その上で、他者の作品に自身の作品との類似性が無いかを調べ上げる。類似性を見付けたら著作権の侵害を通告し、裁判に要する経費よりも幾分低い金額の賠償金を請求する。それが著作権トロールの典型的な手口です。

 ただし現状、小説の分野では、その手口による事案の発生は確認されていません。AI生成小説にも何らかの権利が認められるようになった場合、その種の事案が発生し得ると考えられているだけです。

 AI生成物の公開場所としては二種類のものが考えられます。一つ目は、著作権トロール自身が開設したウェブサイトです。しかし、著作権トロールの獲物となった人が「そんなマイナーなサイトなど知らない。見たこともない。だから依拠性がない」と突っぱねれば、話はそれで終わりです。そこで二つ目。著作権トロールは小説投稿サイトなどを利用します。

 ですから、各小説投稿サイトの運営者はAI生成物の大量投稿を排除しなければなりません。そうしないと、小説投稿サイトは著作権トロールのためのプラットフォームと化してしまう可能性があります。


 今、この解説書を読んでいる小説執筆者の多くは、おそらくAIによる小説生成に消極的もしくは否定的な見解を持つ人たちでしょう。そのような人たちにとっては、ここまでの説明に大した意味はありません。問題はここからです。

 現在、AI生成物であることを自己申告させる小説投稿サイトや、AI生成物であることを自動的に検出しようとする小説投稿サイトが現れ始めています。このような状況下で、自分の手で書いた作品がAI生成物であると判定されてしまう可能性はないのだろうか。実はある。それが問題なのです。

 まず、「AI生成物であるとの判定」の意味を明確にしておきましょう。

 ある作品を指してAI生成物であると断定すること。それは不可能です。公的な捜査権限をもって作者のパソコン等を調べない限り、そのような断定はできません。

 ある作品を指してAI生成物との類似性が高いと判定すること。それは可能です。捜査など行なわずとも、作品そのものを調べるだけでそのような判定は行なえます。

 つまり、「AI生成物であるとの判定」とは「AI生成物に特徴的な要素をどれだけ含んでいるかの判定」なのです。

 AI生成物との類似性の判定はいかに行なわれるのか。その詳細は明かせません。判定技術の開発者や小説投稿サイトの運営者の足を引っ張ることになってしまいますから。またそもそも、私は個々の開発者がどのような判定技術を開発しているのかを知りません。

 AI生成物には、機械的な正確性、機械的な規則性、機械的な平準性などの特徴があります。さらには、AIは「汚染された表現」を使う場合もあります。「人間によるAIデータプールの汚染」と「AIによる自然言語プールの汚染」の繰り返しの中で生み出される、AI独特の言葉遣いや言い回し。それがここで言う「汚染された表現」です。

 話は少し変わりますが、私はAIの性能を確かめるために、不定期にAIに小説を生成させて読んでいます。例えば、テーマを指定した上で小説の生成を指示すると、AIは次々に短編小説を書いてくれます。

 その目をもって小説投稿サイトの作品を無作為に選んで読んでみると、AI生成物にしか見えない作品がゴロゴロと出てくるではありませんか。もちろん、そのような各作品にAI生成物であるとの但し書きはありません。ただし後日、それらの作品を再び確かめてみると、その時には、AI生成であることが明かされている。そんなこともしばしばです。それが小説投稿サイトの現状です。

 人間の目をもってしてもその程度の判定は出来ます。AI生成物との類似性の自動判定は、人間の素朴な語感に基づいて行なわれるような水準のものではありません。おそらく、前記の特徴などを目印として、より高い水準で行なわれるものとなるでしょう。

 この件に付随して、ここで一つ皆さんに忠告しておきます。文章表現に凝れば凝るほど、うろ覚えの言い回しを使いがちになります。うろ覚えを自覚した際には、まずは国語辞典を参照しましょう。AIの活用はその次です。

 さらに言えば、AIは誤字脱字の指摘等の訂正作業には大いに役立ちます。表現の確認作業を任せるのも良いでしょう。AIも嘘ばかりを言う訳ではありませんから。ただし表現の確認に関しては、さらに国語辞典などで念押しの確認をした方が良いでしょう。


 ここまで長々と書いてきましたが、いよいよ本節「小説執筆における人工知能の利用 その二」の核心部分に進みます。

 皆さんはAIに小説の書き方を尋ねたことがあるでしょうか。私は面白半分、興味本位で何度か試してみたことがあります。

 意外にも、AIはそれなりにまともなことも教えてくれます。例えば、「純文学、大衆文学、ライトな小説の文体の違いは」と尋ねてみたところ、AIは「その順番で、文は平均的に短くなっていきます」と答えました。おっしゃる通り、確かにその傾向があります。

 そんな概説のような質疑を繰り返した後、私は個別の具体論を尋ねてみました。例えば、「純文学の書き方を具体的に教えて」とか、「大衆文学の書き方を具体的に教えて」などと。ところが、AIの返答は何ら具体的ではなく、概説の水準にとどまるものばかりでした。

 それとは対照的なのがライトな小説です。

 いわく、作品は主人公の心理描写で始め、その後、直ちに事件を起こしましょう。

 いわく、文はなるべく短くし、各文の文末で改行しましょう。

 いわく、会話描写では、会話が途切れた所にそれを表現する空白行を入れましょう。

 その他もろもろ、「ライトな小説の書き方を具体的に教えて」と訊けば訊くだけ、AIは微に入り細に入り大量の事項を提示してくれます。さらには、それならばとライトな小説の生成を指示すると、AIはまさにお手本と呼ぶにふさわしい出来栄えの作品を生成してくれます。なお、内容から考えて、私の言う「ライトな小説」をAIは「web小説」と解釈しています。

 一方、AIが生成した純文学作品や大衆小説の出来栄えはかなり独特であり、物によっては甚だよろしくありません。字面を見ただけで、これは人間の手によるものではないと判ってしまうものさえあります。AIは口では色々と偉そうなことを言っても、実際の書き方はほとんど理解していないのです。

 なぜ、純文学、大衆文学、ライトな小説でそのような差が生じるのか。

 例えば「純文学 書き方」をキーワードに一般的なウェブ検索を行なってみると、約三万二千六百件の情報がヒットします。「大衆文学 書き方」では約一万九千六百件です。

 それらに対し、「web小説 書き方」で検索してみると、実に約二百三十四万件がヒットします。つまり、インターネット上に存在する情報の量が桁違いに多いのです。そのような偏った情報を学習したがゆえに、AIはweb小説に関してだけは異様に詳しくなってしまったのです。

 ここからが本節の核心中の核心です。

 web小説と呼ばれるジャンルもしくは形式では、短文を主体として作品を構成し、さらには各種の描写を極度に簡略化します。また、作品の形態に関する些末な事柄を指南する資料が大量に存在していることからも分かる通り、一見自由なようでありながら、実態は従来の伝統的な書き方よりもはるかに形式主義的です。しかも、下手に形を崩そうとすると、体裁が無様になってしまったりします。それらのせいで、作品に作者の個性が現われにくいのです。

 小説投稿サイトには、web小説の書き方を実践している人が多数存在します。もし、努力を重ね、研鑽を積み、web小説の書き方を完璧に実践できるようになったら、その暁には何が起きるのか。作品は形態上、AI生成物に酷似したものとなってしまうのです。

 この状況を一言で表現するとしたら、とばっちり。そうであることは間違いありません。私はweb小説の書き方に否定的な見解を持っています。それでも、このようなとばっちりの発生を黙って見過ごす訳にはいきません。一般論として言えば、表現の新しい形を模索することも創作活動の一部なのです。

 同時に、今後AI生成物との類似性の判定が不可欠になっていくであろうことも理解できます。おそらく、大量投稿の排除だけでは不十分です。人間生成物とAI生成物とでは権利関係が異なる。それを考えると、両者の分別がどうしても必要になります。

 人間生成物であるにもかかわらず、AI生成物との類似性があるからとの理由で何らかの制約を受けたり排除されたりする。それは正当なのか、不当なのか。もちろん、これはweb小説に限った話ではありません。また、大量投稿ではなく通常投稿の話です。

 排除は明らかに不当です。AI生成物にも及ばない低質な作品は、低質であるがゆえにAI生成物ではないと判定され、そのまま残ることになるのですから。

 片や、何らかの制約は不当とまでは言えないでしょう。AI生成物には一定水準の品質があります。とは言え、機械的な特徴や汚染された表現などもあり、良質とは言えません。例えば、作品を何らかの基準でグレード分けする。その基準の中に、AI生成物と同水準の出来栄えでは高く評価できないとの項目も加える。各小説投稿サイトがその方向に進んだとしても、社会状況を勘案すれば、それを非合理的と批判するのは難しいでしょう。

 問題を提起した場合、解決策も提示する。それがこの解説書の執筆方針です。しかし、本節で提起した問題に対しては、注意喚起で終わりです。問題が大きすぎて、私では解決策を提示できません。また、この解説書の主題は小説の書き方とそれに付随する事項の紹介です。しかし、今回は問題が問題だけに、敢えて社会的な問題にも踏み込んでみました。

 この問題に関しては、皆さん一人一人が考え、動き、必要であれば声を上げてください。


 この節の本文を修正しました。この修正は法や規則に密接に関係しています。そのため、修正内容を以下に明記しておきます。


 これまで多くの小説投稿サイトで、AI生成小説の投稿は黙認されていました。ただし、あくまでも黙認であり、決して許容ではなく推奨でもありません。一般的にこのような場合、どうしても黙認の限度を超える者が出てきてしまいます。

 各小説投稿サイトで現在、AIの使用に関する規約の整備が始まっています。各小説投稿サイトの規約新設や規約改定はもはや黙認では済まなくなった結果です。それに合わせて、この節の本文にも修正を加えました。具体的には、本文の中盤から次の段落を削除しました。


 前節で、「AI生成物をそのまま投稿しても、おそらく一応問題は発生しない」と述べました。「おそらく一応」の中には、「AI生成であることを隠さず、通常頻度の投稿であれば」という前提も含まれています。AIを使用している人はその点に留意する必要があります。


 また、小説の生成に関するプロンプト(AIに与える指示文)を削除し、抽象的な表現に直しました。


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