【中級】小説の構成要素
小説は様々な要素で構成されます。例えば、事態の推移に関する記述とそれ以外の記述。例えば会話文と地の文。例えば主人公と語り部。例えば、情景描写、背景描写、心理描写、人物描写など。ここではまず、事態の推移に関する記述について説明しましょう。
小説が小説であるための要件は何か。古典的には次の三つとされています。虚構であること。明確なストーリーを有すること。散文を主体とする文章で記述されていること。現代的にはさらに二つが加わります。登場人物の内面が描写されていること。登場人物と登場人物を取り巻く環境、特に社会とのかかわりが描かれていること。
上記五つの要素の中で絶対的に不可欠なのはストーリーです。それが欠落した作品は小説ではありません。虚構性の強さに応じて、随筆のようなもの、もしくは随筆紛いの何かと見なされることになります。
ストーリーとは、時々刻々と推移する一連の事態です。
例えば次のような記述。担任の先生が教室に入ってきてホームルームが始まる。ホームルームが終る。入れ替わりに別の先生がやって来て、授業が始まる。
例えば次のような記述。戦場で両軍が対峙する。天候の悪化で開戦には至らない。一週間待ち続け、その間に両軍ともに戦意を喪失し、和解して引き上げる。
例えば次のような記述。高校入試に失敗し、第二志望に進学する。三年後、第一志望に進学した者たちよりも良い大学に進学する。四年後、皆が同じ会社に就職する。
これらが事態の推移に関する記述です。一つ目の例では、事態の推移を分単位で記述しています。二つ目の例では週単位、三つ目では年単位です。
ところが、例えば上記の一つ目の例。未刊作品では次のような書き方を頻繁に目にします。
今日も退屈だな。
「それでは今日の予定。今日の昼に(中略)が行なわれる」
もうすぐ最後の大会。今度こそ決勝まで行きたい。頑張ろう。
「はい、皆さん。教科書を開いて。五十六ページ」
これでは読解不能です。小説の体をなしていません。何が起きているのか分かりません。事態の推移に関する記述が欠落しているのです。
事態が推移した際や場面が転換した際には、その場その場で、そのことが明瞭に識別できるようになっていなければなりません。長々と詳しく書く必要は無いのです。所々に小さな記述。それで良いのです。例えば次のように。
今日も退屈だな。
担任の先生が教室に入ってきてホームルームが始まった。
「それでは今日の予定。今日の昼に(中略)が行なわれる」
もうすぐ最後の大会。今度こそ決勝まで行きたい。頑張ろう。
ホームルームが終った。入れ替わりに別の先生がやって来て、授業が始まった。
「はい、皆さん。教科書を開いて。五十六ページ」
小説を書くのなら、次のことを忘れてはいけません。事態の推移こそがストーリーであり、ストーリーこそが小説の根幹です。事態の推移に関する記述を最優先。何を差し置いても、事態の推移に関する記述だけは欠かしてはいけません。
最後に一つだけ、技術的な問題に触れておきます。事態の推移に関する記述があるにもかかわらず、なぜかもたついていて、中々ストーリーが進まない。そんな作品になってしまう原因は大抵の場合、現在形の文を過度に使用していることにあります。
何かが起きる。それを過去のものとする。何かが起きる。それを過去のものとする。そのように記述していかないと、ストーリーは進行しません。物語内で時計の針を進めるためには適時、現在形ではなく過去形で記述する必要があるのです。
念のために補足しますが、現在形のみを用いて小説を書くことは可能です。そこには利点もあります。例えば、過去形の文を連ねるよりも現在形の文を連ねた方が、臨場感が高くなる。例えば、文末の「た。」の頻出を回避できる。ところが、実際にやってみれば分かりますが、現在形のみで作品を構成すると、小説ではなく舞台劇の脚本のようなものになってしまうのです。
現在形のみで極めて自然にきちんとストーリーを進めていく。それはオーバー・ザ・トップ、最上位クラスを越える小説家の技法です。
ここで論題を変えます。小説の執筆に際して書き忘れが無いよう、まずは情景描写、背景描写、心理描写、人物描写などの役割を明確にしておきましょう。
情景描写は、そこがどのような場所なのか、どのような状況にあるのかを記述したものです。演劇で言えば、舞台装置のようなものです。
背景描写は、概念的には情景描写と同種のものですが、より観念的で大きな描写です。例えば、その物語世界はいかなる世界であるのか。その中で、登場人物たちはいかなる大局的状況に置かれているのか。それらを説明するものです。
心理描写は、登場人物の思考や感情を直接的に記述したものです。小説の要件の現代版では必須の要素とされています。
人物描写は、登場人物の内面や外面を客観的に記述したものです。例えば、容姿、服装、表情、仕草、その他の言動など。言わずもがなのことだとは思いますが、登場するのはいかなる人物か、それは読者の主要な関心事の一つです。
情景にせよ背景にせよ、心理にせよ人物にせよ、それ以外の描写や記述にせよ、均等に書かなければならない訳ではありません。どれかに重点を置き、その他は控えめにしても良いのです。
例えば、文筆力を大いに振るいたければ、情景描写に力を込めれば良いでしょう。読者の感情を揺さぶりたいのであれば、心理描写に力を込めれば良いでしょう。登場人物同士の関係性を楽しんでほしければ、会話描写などに工夫を凝らせば良いでしょう。怒涛のストーリー展開を演出したければ、事態の推移を次々に記述していけば良いでしょう。
ここで重要な注意点が一つあります。一人称視点における語り部は主人公です。三人称視点や神視点における語り部は、小説内に存在する得体の知れない第三者です。小説内の語り部は誰なのか。それによって書き方が大きく変わるのです。
初心者はまずは一人称視点で執筆すべし。そもそも小説は一人称視点であるべし。それが一般的に行なわれている指導です。片やライトな小説の分野では、神視点で執筆すべしとの指導がなされる場合もあります。それらの指導にはそれぞれに背景があります。
古の紀元前から、叙事詩にせよ神話にせよ、三人称視点や神視点で物語を構成することが一般的でした。一人称視点の小説が本格的に現れ始めたのは近代に入ってからです。
現在、なぜ一般的に小説は一人称視点であるべきとされているのか。それは主人公の内面を深く繊細に描写できるからです。そのような描写が作品に含まれていること。それが現代的な小説の要件なのです。
それでは逆に、なぜ三人称視点や神視点でと古典的な推奨をする人もいるのか。主な理由はおそらく次の二つです。一つ目。物語世界のあちらこちらで起きていることを俯瞰的に描けるから。二つ目。物語の他の表現法との親和性が高いから。つまり、三人称視点や神視点は群像劇に適しているのです。さらには、三人称視点や神視点で記述された小説は、漫画、映画やテレビドラマやアニメーションなどに変換しやすいのです。
どの視点を採用するかは執筆者の自由ですが、これらの背景をきちんと理解した上で視点を選択しましょう。
小説投稿サイトで頻繁に見かける悪例は次のようなものです。
山田は走った。しかし、出発ロビーにたどり着いた時、すでにそこに朝美の姿はなかった。間に合わなかったと山田は思った。あの一言を伝えなかったことを山田は悔やんだ。
このような形で、作品の最初から最後まで山田の行動や内心の描写が続く。
これは形ばかりの神視点、実質的には一人称視点です。「山田」を「僕」に一括変換しても何の支障も無いのですから。
このような小説は実際に一人称視点で書くべきです。そうすれば、主人公の内心をもっと深く繊細に自然に描けるはずです。それが感動の超大作への第一歩です。
逆にあくまでも神視点を採用するのであれば、山田だけでなく、朝美の行動や内心も描きましょう。そうしてこそ、俯瞰的な視点は真価を発揮するのです。
もしかしたらとは思うのですが、次のような考えを持っている人はいないでしょうか。三人称視点や神視点を採った方が情景描写や背景描写や人物描写を書きやすいと。一見、確かにそのように思えます。登場人物とは異なる謎の人物が勝手に出てきて勝手に語れば良いのですから。ところが、物事はそこまで甘くありません。
視点の節やメタ構造の節で次のように述べました。語り部は前面に出てはならない、語り部は黒子であるべしと。この件をもう少し詳しく解説します。
一人称視点の小説では、語り部は堂々と前面に出てきて構わないのです。語り部は主人公であり、語り部の語り口は主人公の個性の一部なのですから。ただし、語り部が読者に直接話し掛けてはいけません。それはあまりにも不自然であり、読者の没入感を損ないます。語り部すなわち主人公の視点では、読者なるものは存在しないのですから。
一方、三人称視点や神視点では、語り部は黒子に徹しなければなりません。安直に執筆すると、読者に呆れられ罵られてしまいます。なぜ、登場人物でもないお前が前面に出てきて饒舌に喋るのだと。ここで言う「お前」は語り部のことかも知れませんし、場合によっては作者のことかも知れません。つまり安直に執筆すると、メタ構造が、物語世界から現実世界への働きかけが露骨に顕在化してしまうのです。
例えば、この解説書で再三採り上げている太宰治作「走れメロス」。執筆において太宰が極めて有能なのは間違いありません。それでもさすがに超人ではありません。「走れメロス」には力を込めすぎている箇所があります。「メロスは何々である」などと力強く繰り返されるほどに、その背後で拳を振り上げて力説する太宰の姿がちらついてしまう。それがここで論じている問題の実例です。あの太宰でさえ問題を回避しきれなかった。それは覚えておいた方が良いでしょう。
どうしても語り部を前面に押し出したいのであれば、登場人物だけでなく語り部にも魅力がなければいけません。例えば、語りがクールでスタイリッシュで格好良い。例えば、語り口が飄々としていて面白い。語り口がしんみりとしていて心に染みる。例えば、語りに諧謔や冗談や許容可能な皮肉が含まれていて思わず笑ってしまう。
単なる説明役の語り部は奥に引っ込みましょう。説明するな。描け。創作の現場で頻繁に発せられる警句です。




