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物語の小説化の技法  作者: 種田和孝
第二章 基本中の基本
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【初級】語順と非標準文型

 いざ書いてみると、全然納得がいかない。なぜ書けないのだろう。心の中には言葉があるのに。ただ楽しく書きたいだけなのに。

 ありがちな話です。もどかしいものですね。そうなってしまう理由は数々考えられるのですが、この節では語順という視点からの非標準文型を解説します。

 主語を文頭に置く。日本語ばかりでなく、他の多くの言語でもそれが標準です。例えば、皆さんも英語の授業でSVOやSVOCなどと散々教えられたことでしょう。英語ではそのような語順が標準であり、そのような語順が正しいとされています。ただし念のために言いますが、ここでは「Is she a man?」のような疑問文は脇に置いておきます。

 一方、日本語ではそのような語順は標準ではあっても、そこに正誤はありません。つまり、非標準とされる語順もあり得ます。それが膠着語の一つとされる日本語の特徴なのです。

 単語や句の根幹となる部分の前後に何かが付くことによって、その単語や句の文内における役割が決まる。それが膠着語です。例えば、「私」という根幹部分に「は」という助詞が付いて「私は」という句になる。もちろん、その役割は文の主語です。

 日本語はそのような言語なので、よほど文の構造が複雑でない限り、語順を変えても意味が通じます。ただし、敢えて非標準の文型を採る以上、そこにはニュアンスが生じます。

 日本語には、強調したいことを文頭に置くという特徴があります。英語では文末ですから、その点においては日本語と英語は真逆の言語です。それを念頭に置いて以下の例を考えてみましょう。


 僕は学校へ行く。


 もちろん、この文は三つの要素、「僕は」、「学校へ」、「行く」からなります。それでは語順を変えた例。あわせて、ニュアンス込みの文も例示します。


 僕は学校へ行く。

 僕は行く、学校へ。

 他の人が行くかどうかに関係なく、「とにかく僕は」学校へ行く。


 学校へ僕は行く。

 学校へ行く、僕は。

 行き先は他にもあり得るが、僕は「とにかく学校へ」行く。


 行く、僕は学校へ。

 行く、学校へ僕は。

 行かないという選択もあり得るが、僕は学校へ「とにかく行く」。


 ただし、上記のニュアンスはあくまでも文が単独で現れた場合に生じるものです。前後にも文がある場合、その文脈によって消えてしまうこともあります。

 非標準文型の重要性は昔から指摘されてきました。しかし、小中高ではほとんど教えていません。初学者にとっては標準文型を身に着ける方が先だからです。そのせいなのか、世の中には誤解をしている人もそれなりにいます。学校で教えられた事柄のみが正しく、それに反する事柄は誤りである。標準文型のみが正しく、非標準文型は誤りであると。

 それは誤った固定観念です。正誤の問題ではないのです。日本語は膠着語なのですから。それどころか、非標準文型を用いなければ適切に構成できない文も存在するのです。例えば次の文。


 僕は彼女は来ないと思った。


 この文はどのように解釈されるべきなのでしょう。普通に考えれば、「僕」は「思った」の主語、「彼女」は「来ない」の主語。果たして、解釈の余地はそれ以外に無いのでしょうか。話は少しずれますが、例えば選手宣誓。男女一人ずつが前に出て「僕たちは、私たちは」と宣誓する。その場合、「僕たち」と「私たち」は同列の主語です。

 前記の例文を普通に解釈してもらいたければ、表記に工夫をしなければなりません。例えば次のように。


 僕は、彼女は来ないと思った。

 僕は「彼女は来ない」と思った。


 このように記述すれば、意味は明瞭になるでしょう。ところが、それでも問題が残ります。目で見る文としては明瞭になりましたが、耳で聞く文としては何の改善にもなっていません。目で見ても耳で聞いても明瞭であるようにするには、非標準文型を採るしかないのです。


 彼女は来ないと僕は思った。


 非標準文型は誤りである。もしくは、非標準文型は使わない方が良い。初心者が書いた作品の中には、そんな固定観念の存在を匂わせるものがあります。小説を書くのなら、国語の初学者の段階を脱却しましょう。大方の文では標準文型を採用するとしても、非標準文型も使えるようになりましょう。

 ここで再度「雪国」の冒頭を確かめてみます。

 

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 

 第三文が非標準の語順となっています。おそらく、作者はリズムを良くするために語順を入れ替えています。次の二文を声に出して読んでみてください。

 

 汽車が信号所に止まった。

 信号所に汽車が止まった。

 

 語感の良い人であれば気付くはずです。一つ目の文は三つに分裂している。二つ目の文は二つだと。次のように。

 

 「汽車が」「信号所に」「止まった」。

 「信号所に」「汽車が止まった」。

 

 たとえて言えば、一つ目の文は、頭が小さく、腹はデップリ、足腰は貧弱。要するにバランスが悪いのです。一方、二つ目の文が二つに感じられるのは、「汽車が止まった」の発音数が七だからです。この点に関しては、地の文とリズム感の節を参照してください。

 また、「雪国」の冒頭を次のように書き直してみましょう。

 

 国境の長いトンネルを抜けると夜の底が白くなった。雪国であった。信号所に汽車が止まった。

 

 元の文章と比較すると、第二文が唐突かつ短すぎないでしょうか。まるで余計なおまけのようです。この場合はいっそのこと、第三文と融合させたり、省略したりする方がましかも知れません。

 

 国境の長いトンネルを抜けると夜の底が白くなった。雪の信号所に汽車が止まった。 

 国境の長いトンネルを抜けると夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 

 話は変わって、地の文の長さの節で例示した次の長文。それを短文に分割することを考えてみましょう。

 

 春の公園の片隅に座る赤いコートを着た女が立ち上がった際に落として隙間に挟まったイミテーションのイヤリングの下に落ちていた五円玉。

 

 おそらく、小説執筆の初心者や国語学習の初学者は時系列順に分割しようとするはずです。公園にはベンチがあった。ベンチには女が座っていた。女はコートを着ていた。そのような感じに。これはいかにも気が利かない分割です。

 もし、語や句の順番を入れ替えるという発想があれば、別の形にも分割できるはずです。公園のベンチに五円玉が落ちていた。そこには先ほどまで女が座っていた。女はコートを着ていた。そのような感じに。これは回想の形式です。少し気が利いてきたのではないでしょうか。

 語や句の順番を入れ替える。その意識があれば、もっと自由自在に文章を書けるようになるはずです。例えば、文の意味を明瞭にする。例えば、文や文章にリズムを生み出す。例えば、長文を短文に分割する。順番の入れ替えはそれらに必須の手法なのです。


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