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物語の小説化の技法  作者: 種田和孝
第二章 基本中の基本
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【初級】会話描写の典型的な失敗例

 ここでは、問題のある会話描写の典型例を四つほど挙げます。

 その一。未刊作品の内、少数とは言え、決して無視できない割合の作品に次のような問題があります。

 象徴的な発言のみを会話文として提示し、それ以外は地の文で描写していく。そんな手法があります。ところが、この手法を用いているのかと思いきや、再び会話文が出現する。良く見ると、登場人物たちの会話が有りのままに続いている模様。つまり、発言と発言の間に一々大量の地の文が挟み込まれている。

 現実の会話の様相と照らし合わせると、その会話の描写は異常です。そして多くの場合、挟み込まれているのは心理描写です。例えば、老獪な政治家二人が腹を探り合いながら対話をするのでもない限り、そんな会話はあり得ません。会話の情景を思い浮かべ、一つ一つの発言の背景を考えながら、それをそのまま記述していくのはやめましょう。

 その二。会話文自体はどのように表記すべきなのでしょう。

 会話の構成の節で示した例文に「ひっどおい」との発言があります。この発言を日常的な口調ではなく正規に表記すると「ひどい」となります。ちなみに、漢字表記の「酷い」には「ひどい」と「むごい」の二つの読みがあり、ルビを振らない限り判別できません。

 当然ですが、「ひっどおい」と「ひどい」にはニュアンスの違いがあります。前者からは拗ねているような印象、怒りの表現ではあってもどことなく甘えているような感じ。後者からは冷徹な怒りもしくは不快感。ただし、耳で聞くのと文字で読むのとは違います。「ひっどおい」を文字で読んだ場合、幼稚で愚かとの印象も受けるはずです。

 読者は知性や有能さを好みます。多くの作品で主人公に天才や敏腕などの属性が付与されることからも明らかです。逆に、読者は登場人物の愚かさに苛立ちます。この観点からは「ひっどおい」との表記は不適切です。ニュアンスは多少変わりますが、例えば「ひどい……」などと記述し直した方が良いでしょう。

 次に「酷い」という漢字表記について考えてみます。これが「ひどい」と読まれることはあっても、「ひっどい」や「ひっどおい」と読まれることはありません。「馬鹿じゃないの?」も「ばっかじゃないの?」とは決して読まれません。つまり、話し言葉をそのまま書き記そうとすると、かなりの部分を仮名表記にせざるを得なくなるのです。

 仮名表記ばかりになると可読性が著しく低下し、読者は読む意欲を直ちに失います。つまり、表現の現実味と文章の可読性は対立関係にあるのです。そのバランスをとるためには、砕けた話し言葉はかなり控えなければなりません。砕けるのは文末や語尾程度に抑えた方が良いでしょう。

 その三。会話文における一人称代名詞はいかにあるべきなのでしょう。

 未刊作品だけでなく一部の既刊作品にも見られるのですが、男性登場人物がどのような場面でも「俺」と名乗る。これはその人物に対する評価を決定づけます。例えば、粗野、粗雑、尊大、幼稚、社会性の欠如など。作者の意図に関わらず、そのような属性をその人物に与えることになってしまいます。

 場所と場合と相手によって言葉遣いを変える。日本語話者にとっては当然のことです。男であれば、「僕」、「俺」、「私」などを使い分ける。それが自然です。もちろん創作上、意図的に「俺」を貫いているのであれば、問題はありません。

 なお、一人称視点を採用する場合、会話での名乗りと主人公の内心での名乗りを一致させる必要はありません。

 例えば、皆さんが誰かと討論をしているとします。そして、相手の意見に賛同できなかったとします。その時、皆さんは「俺は賛同できない」と考えるでしょうか。主語を省略して「賛同できない」と考えるのではないでしょうか。論理性の高い黙考を長々とする場合には、主語を省略せずに考えることもあり得るのでしょうが。

 つまり、現実世界の個々人の内心には大抵の場合、一人称代名詞は存在していないのではないでしょうか。それに対して、小説の心理描写ではもちろん、誤読を招かないよう適時一人称代名詞を使用する必要があります。

 会話での名乗りの変化。内心での名乗りの省略。そのような現実を考え合わせれば、心理描写では「僕」、会話描写では「俺」でも構いませんし、その逆や、その他の組み合わせもあり得ます。

 その四。まずは失敗例を挙げましょう。


 獣が視界に入った。

「逃げよう」

 山田は口を挟んだ。

「今日こそは決着を付けてやる」

 鈴木は意気込んだ。

 パンをくわえたサディスティック・ビーストが急速に接近してきた。


 ライトノベル系の既刊作品の一部と未刊作品の一部には、この種の記述様式が見られます。初見の段階で、誰がどの発言をしたのかを即座に判別できるでしょうか。もちろん考えれば分かるとは思いますが、読者にそんな些末な読解をさせるようでは、読者の没入感は台無しとなり、読者はいずれ疲れてしまいます。もちろん正解は次の通りです。


 獣が視界に入った。

 山田は口を挟んだ。

「逃げよう」

 鈴木は意気込んだ。

「今日こそは決着を付けてやる」

 パンをくわえたサディスティック・ビーストが急速に接近してきた。


 失敗例も正解例も、地の文と会話文の標準的な分離表記法を用いています。そして二例とも、各発言の発言者を明記していません。その場合は「誰が、何を」と言う通り、発言者に関する記述を先にしなければなりません。

 想像するに、問題のある記述様式を採る作者は次のように執筆しています。作者の脳裏では、まるで映画やテレビドラマを視聴しているかのように物語が進行している。作者は脳裏で「逃げよう」という声を聞く。作者は山田の発言であると認識する。作者は標準的な分離表記法に則って、それをその順番でそのまま記述している。

 それは読者の認知と思考ではありません。読者の中では逆順です。文章を読み、山田が発言すると予告され、その声を聞き、物語が進行する。

 もし、標準的な分離表記法を用いて「何を、誰が」の逆順で記述するのなら、例えば以下のように発言の主体と内容を関連付けなければなりません。


「逃げよう」

 山田はそう口を挟んだ。

「今日こそは決着を付けてやる」

 鈴木はそのように意気込んだ。


 なお、標準的な分離表記法を用いなければ、以下のような記述も考えられます。


「逃げよう」と山田は口を挟んだ。

「今日こそは決着を付けてやる」と鈴木は意気込んだ。


 この問題に関して、最後に最悪の例を挙げておきます。それは次のようなもの。


 獣が視界に入る。

「逃げよう」

 山田は口を挟む。

「今日こそは決着を付けてやる」

 鈴木は意気込む。

 パンをくわえたサディスティック・ビーストが急速に接近してくる。


 文章内において、文は基本的に時系列順に並んでいる。それが読者の認識、読解の共通ルールです。また、過去形はすでに起きたことを記述するもの。現在形は今から起きようとすることを記述するものです。すると、上記の例文は次のように解釈されることになります。


 獣が視界に入った。

「逃げよう」と誰かが発言した。

 その発言に続いて、山田が口を挟んだ。

「今日こそは決着を付けてやる」と誰かが発言した。

 その発言に続いて、鈴木が意気込んだ。

 パンをくわえたサディスティック・ビーストが急速に接近してきた。


 上記の最悪例は作者の認知と思考の極致です。それでもわずか六行ですから、何とか読解できるかも知れません。しかし、もし数十行にわたって上記のような会話描写が続いたら、もはや意味不明、読解不能となってしまいます。

 率直に書きますが、既刊ライトノベルを文章表現の参考にしてはいけません。特に最近は自由を通り越して乱れすぎています。さすがに商業出版されている以上、全体がということはないものの、部分的には判読不能な作品さえあります。

 既刊ライトノベルを読者として楽しむのは構いません。ストーリー構成などを分析して参考にするのも良いでしょう。もちろん盗作はいけませんが。もし、プロの書き方を真似るのなら、悪い面まで真似するのはやめましょう。もし、判断に迷うような微妙な問題に行き当たったら、国語の教科書を基準にしましょう。

 最後に、前記の例を小説ではなく脚本の形式で書いてみます。


 パンをくわえた朝美が現れる。

 山田:逃げよう。

 鈴木:今日こそは決着を付けてやる。

 朝美は駆け足で二人に迫る。


 脚本を参考にして小説を書いている人はいないでしょうか。脚本の記述は極めて直截的かつ簡潔であり、表現の遊びのようなものはありません。色を付けるのは基本的に映像制作者や演技者の仕事だからです。脚本は脚本で立派な創作には違いないのですが、小説を書くのなら、文字表記だけで完結した作品となるようにしましょう。


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