勝負
リムジンの運転席のドアが開き、中から白と黒を基調のメイド服を着た女性が降り、幹菜に一礼をした。
幹菜がよろしくと一声かけると、誄の方に近寄りお預かりしますと、誄が持っていた荷物を軽々と持ち上げ、リムジンの後部座席に放り込む。
「それではごゆるりと。お嬢様、くれぐれも無理をなさらないように、はしゃぎすぎると、周りが大変なことになりますので」
それだけ言い残し深々と一礼した後、リムジンで走り去っていった。
華々出幹菜。お嬢様と言う言葉が一番よく似合い、一番似合わない人物である。前者は家柄で、後者は人柄。
家は相当な金持ちで、完璧な箱入り娘なはずであり、幹菜本人が誄逹に時折話す幼少期の話を総合してもこの性格になるのは可笑しいと判断した。
しかし、昔を知るクラスメイトに幹菜のことを誄が聞いたことがある。
曰く、お嬢様。
ちょうど一年くらい前のある日を境に、口元を手で隠してコロコロとお上品に笑っていたお嬢様が、わんぱく小僧に変貌したと言うのだ。そして最後に、今のほうが私は好きだけどと付け加えた。
そんな幹菜に対して誄は不満を述べる。
「荷物持ちいらなかったんじゃないのか?」
それに対して幹菜は人差し指だけ立てて、口元に持って行き左右に振って言った。
「子供の遊びに、大人が出てくるなんて興醒めも良い所じゃないかしら? だいにんきがあるなんて格ゲーだけで十分よ」
少し唖然としながら誄は慌て続ける。
「全くだ」
興奮気味で顔を赤らめた幹菜はまくし立てるように言葉を繋げる。
「じゃあ、勝負のルールを説明するわね。単純明快、驚かせた方が勝者。チームは女子チームと男子チームに別れましょう。それではショッピングスタート」
その掛け声と共に幹菜は、好乃々と阿奏を連れ去っていった結果、誄は一人取り残されてしまった。
ため息をつきながらぶらぶらとウィンドウショッピングを開始したものの誄は全く勝ち筋が見えていなかった。
金持ちと庶民的な思考を併せ持った幹菜を驚かせるような物は思い付きすらしなかったし、特に問題な点は手持ちが少ないということだ。
小物屋、骨董品屋、アクセサリーショップと色々回ってみたが誄の予想を裏切ることなく、事は進展しなかった。
途方に暮れ、罰ゲームの恐怖に頭を抱えていると誄の目に本屋が目に入った。
ごく一般的な本屋で規模はかなり大きい、休日ということもあり外からは立ち読みをしている客がちらほらと見てとれた。
悩んでいても始まらないと、本屋の自動ドアを潜ると意外な人物が今購入したばかりであろう袋に入った本を大事そうに抱えていた。
「幹菜。どうして一人で本屋から出てくる、阿奏達はどうした」
「だって、今日は※※※※の発売日だよ。延期に次ぐ延期を繰り返し、発売はもうされないと噂されていた。一巻から三年待ってやっと販売されたのに待てる訳ないじゃん」
全く返答に成っていない返事を誄に返した幹菜は、袋から本を取り出すと誄にこれこれと指さして顔に近付ける。
普段本をあまり読まない誄でも名前だけは知っている有名な本だと確認した途端に、幹菜は、直ぐに手元まで戻しもう待てないと一声上げて本を勢い良くめくる。
十秒もしないうちに全てめくり終えると、いい話だったと感想を漏らした。うっすらと涙ぐんでいる。
「いくら何でも速読過ぎるだろ、ちょっと本を貸してみろ」
誄は本を取り上げ、適当なページを開け、そのページに関する問題を出した。
「ぱっくんちょ」
幹菜は正解を口にした。
問題を出した誄本人が一番驚いていた。問題の出し方がかなりひねくれた出し方だったからだ。問題は至ってシンプルでこのページはどんな描写だったでしょうと言う物である。普通に読んでいたとしても、回答が困難な問題であり、速読なら尚更である。
速読とは本来、目に入った重要そうな単語を繋ぎ合わせ、物語のアウトラインだけを組み立てるという物である。細部までは、ましてや、ページ数など気にしない。
誄の予定では、覚えてないじゃんからの分かる訳ないじゃんと言う流れの会話を想定していただけに次の言葉が出て来ない。それを不思議そうに幹菜は見ていた。
誄は混乱する頭をフル稼働して状況を整理していた。
要するに、幹菜はこの厚い本を数秒で一字一句を速読した……、違う…それだけでは足りない、更に―――。
「まぁ、いいや。もうその本は暗記したからあげる」
本屋は基本的には静かな場所だ。だから入口で長話をすれば目立つ。しかし、それ以上に目立つ異常が本屋で起きた。
子供を大きな声で叱る母親の声が響き、一斉に他の客が声のした方向を見る。 本棚で隠れて見えないが数秒した後、怒鳴り声が聞こえ方向から子供の鳴き声が聞こえてきた。
その鳴き声は誄達が立っている入口の方に近付いき、母親らしき人が子供を抱えて慌て走ってくる。
母親が幹菜のことを見て一瞬足が止まり、罰が悪そうに会釈をして直ぐに本屋から走り去った。
「いつもはあんな人じゃないのに……。まぁ、私達も退散しましょうか」
そう言って本屋を後にした。
「そう言えば、勝負の方は何か良いものはあったかしら?」
「分かっていて聞くのは酷じゃないか?」
「そういうと思って見つけておきました。あっちを右でそっちを左に行くと露店があってなかなか変わっていて素敵でしたよ。では、私は阿奏達に合流するから」
誄があっちとそっちを確認し終え、隣を見た時にはもう幹菜は遠くの方で手を振っていた。
そして、誄は思った。
三年待ち続けた物を数秒で消化してしまうのは幸福なことなのかと。
あっち行ってそっち行った誄は幹菜が言っていたであろう露店を発見した。
遠くから見るにアクセサリーショップのようだが別段変わった物が置いてあるようには見えない。
「いっらしゃい」
声をかけてきた店主を見て、誄は確かに変わった物があったなと理解し、目眩を覚えた。
店主こと、数分前に別れたばかりの幹菜がつけ髭と丸眼鏡をつけ、笑顔で出迎えてくれたおかげである。
「あんちゃん、何か買うつもりなんやろ。わしは何でも知ってるでぇ、そんなあなたにこれです」
エセ関西弁を巧みに使いこなしている幹菜は高そうな指輪を取り出し渡す。
誄はこのぺてんに乗ることにした。
「残念ながら手持ちがないので、また今度にしてくれ。幹菜」
「大丈夫やでー、三年ローン組めるでー。今ならー、敷金礼金無しやでー。後、幹菜やないでー。なみさんやでー」
「……なみさん、ローンは怖いので遠慮しておきます。お金ないのでまた今度で」
「金無いってのは嘘やなぁ、あんさんジャンプしてみぃ……。ほらぁ、ちゃりんちゃりん良い音鳴らしてるじゃないか、ちっ、しけてるなぁ、まぁ、帰りの電車代だけは残しといてやるよ」
誄は飛び跳ねてなどいないし、財布など差し出してはいない。幹菜が勝手にポケットに手を突っ込むと、財布を抜き取り、四分の一ほどお札を取り出しただけである。
じゃあ、これをと指輪を誄に渡し、またどこかに走り去って行った。
誄の手元には、誄自身が着けるには小さい指輪と電車代だけが残ったのだった。