婚約破棄寸前で覚醒した第三王子は悲劇を回避するために心の内を秘匿するが疑心暗鬼で今日も胃が痛い
短いです。念のためR15
ほんの数秒前まで憂いを帯びた目で彼女を見つめていた男は、意を決したように目の前にいる青い瞳の令嬢に力強く言い放つ。
「マルガレーテ伯爵令嬢。僕は君との婚約を破棄しようと考えていたけどやめた」
「えっ」
貴族らしい上品な顔立ちのマルガレーテは一瞬何を言われたのか理解できない。
大きな目をパチパチ瞬いて婚約相手の顔を見つめるばかり。
しかし彼の言葉は続く。
「気の迷いだった。許して欲しい」
「メルクス殿下、それは……口に出す必要がなかったのでは……」
冷静に正論を述べるとメルクスは微妙な表情をした。
「いいから聞いてくれたまえ」
「はい」
「僕が間違っていた。ピンク髪のふわふわした子爵令嬢などの色仕掛けに一瞬たりとも気を取られるべきではなかったのだ」
「気を取られたのですね」
マルガレーテの視線が一瞬冷ややかなものとなる。メルクスは王族や貴族たちが通う学園で一人の女性に言い寄られ、彼女の悩みを聞かされているうちに道ならぬ関係へと発展しかけていた。それは事実だが、たしかにマルガレーテにわざわざ言うべきことではなかったかも知れない。
「う、む……だがしかし! 真実の愛というのは真っ赤な嘘。あれは僕に気に入られるための口実に過ぎなかった」
「真実の愛を囁かれたのですね」
メルクスの言葉が熱をおびれば帯びるほどマルガレーテはその言葉尻を捉え、さらに彼を追い詰めていくのだが……彼女に悪意はない。ただ相槌を打っているだけ。
「もう迷いはない。僕と結婚してくれ」
マルガレーテの鋭い言葉に突き刺されながらもメルクスは言う。
自らの潔白を示したという達成感が彼の中にあったのだが――、
「あの」
「なんだい?」
「私たち婚約してますので……」
わずかに語尾を濁しながらマルガレーテが返す。
束の間の沈黙。
気まずい雰囲気に包まれるふたり。
「殿下の素直な気持ちを聞けたのは、まあ、あれですけど……複雑ですね」
自らの不貞を告白されて はいそうですかと答える女性など居ない。
ましてメルクスは第三王子。王太子の予備の予備という割と自由なポジションゆえに、婚約相手であるマルガレーテも彼の女性関係が多少乱れているかも知れないということを覚悟の上で婚約している。
(私にバレぬよう黙ってしていればいいものを……)
彼女が表情を変えずにそんな事を心のなかで考えていると、メルクスはとんでもないことをいい出した。
「もしかして婚約破棄されたかったのか?」
「そういう意味ではありません」
きっぱりと否定するマルガレーテ。女心を微塵も理解していない彼に対して呆れてものも言えない心境ではあるが言葉を選んで、噛み含めるように彼に告げる。
「この先も殿下は色仕掛けされるたびにこうして告白なさるのでしょうか」
「それは……」
口ごもるメルクスを畳み掛けるように嫌味を言おうとした彼女だが、口から出た言葉は存外に優しいものだった。
「私だけを見てほしいです。お慕いしております、殿下」
両手を胸に当て、彼に向かって一歩足を踏み出してマルガレーテがつぶやいた。
メルクスはその美貌に胸を打たれたのか頬を赤く染めている。
端から見れば愛を希う乙女のセリフだが、ここでの意味は異なる。マルガレーテはただただ面倒なだけだった。自ら浮気を告白してくるような男だ。難しい理屈をこねても理解できるはずもないだろうという思いがそこにあった。
「君だけを……」
「はい」
精一杯の心を込めて、まさに真実の愛とはこれだとばかりの迫真の演技……でもなかった。マルガレーテの目から見てもメルクスは美男子である。剣術も魔法も成績優秀で非の打ち所はない。ただ女癖が良くないだけのこと。
「今日から僕は君だけを愛する」
「嬉しいですわ」
「だが逆に不安だ」
「はい?」
「君が浮気をしてしまうのではないかと……」
不意にメルクスから瞳の奥を覗き込まれ、彼女は絶句した。
「……そこで黙り込むなよ」
「いえいえ、そんな! 多少強引な公爵令息に言い寄られたとしても心を乱すことなど決して、決してありませんわ!」
「言い寄られたのか」
メルクスが残念そうに溜息を吐いた。マルガレーテは続ける。
「または隣国の王太子に密かに爵位を与えられていて、いつでも離縁することができる状態だとしても! 決して!」
メルクスは目を細める。ずいぶん用意周到だなと心のなかで思いながら。
「殿下へ誓ったこの愛は変わりませんわ!」
「そ、そうなのか……」
「はい」
そしてまた一段と気まずい沈黙。
お互いに視線を合わさないまま時間だけが過ぎてゆく。
窓の外で木々が風に揺れる音を聞いてメルクスは咳を一つしてから気を取り直して彼女に向かって言った。
「まあともかくあと一年後に控えた結婚式までは平穏に暮らそうじゃないか」
「当然ですわ」
その言葉を聞いてメルクスはマルガレーテの肩に手を置き、そっと抱き寄せた。
この瞬間、彼らはお互いに確信した。
「……本当かなぁ……だってキミ、転生者でしょ?」
「えっ」
「婚約破棄されないとわかって小さく舌打ちしたよね」
指摘されたマルガレーテは思わず再び舌打ちしてしまう。
それは貴族令嬢にあるまじき行為。
「……では、まさか殿下も?」
やんわりと抱擁から逃れ、マルガレーテは探るような目で彼を見る。
自分の前にいるイケメンの皮を被った普通の男性を。
「うん。婚約破棄すると絶対不幸になるからね」
メルクスが白い歯を見せてニカッと笑う。
この男、わかってる。マルガレーテは諦めたように両手を大きく広げてから、そばにあった豪奢なソファーに遠慮なく腰を下ろした。
「……お互いに化かし合いは終わりで良さそうね。そうです。私は転生者よ」
あっさり自白した彼女を見てメルクスは大いに笑い、隣に腰掛けた。
事情はどうあれ婚約者同士の二人は先ほどまでと一変してリラックスした様子で語り始める。
「浮気相手、なんでピンク? 髪がピンクとか、それロマンなの?」
「いやぁ、ついさっきまではメロメロだったみたいよ。メルクス」
「自分のことでしょ! わからないの」
「さあね」
続いてメルクスからマルガレーテへ。
婚約破棄後のプランなどを尋ねられ、彼女は素直に答えたりもした。
「あなた幽閉されてから一年後に病死する予定だったのよ」
「ひでえなぁ……」
「浮気者なんてどうなったっていいのよ!」
ごもっともだと彼は頷き、彼女も笑う。
そのうち、ふと思い出したようにメルクスはマルガレーテに質問した。
「なんか固有スキルあるの?」
「私、相手の嘘がなんとなくわかる」
マルガレーテは相手が嘘をつくとその背中から黒い靄が立ち上るのですぐに分かるらしい。これは彼女が転生者を自覚する前から所持していたスキルだという。
「なにそれ! こわっ!」
「私に嘘はつかないほうがいいわよ。ところであなたもあるの?」
余裕綽々といった様子でメルクスに問いかける彼女だが、
「あるよ。僕のは……相手が何を考えてるのかがわかる」
「ちょっ、私よりも怖いじゃないの!」
最終的には『喋らずに相手に伝わるならそれはそれで便利か』ぐらいの認識でマルガレーテは納得した。
こうして、疑心暗鬼になりながらも彼らは一年を無事に過ごし、結婚を果たす。
そしてお互いの固有スキルを武器に貴族たちの悪事を暴き、断罪し、その功績を持って王太子から継承権を譲られた。
マルガレーテの支えもあってメルクスが名君となった後も、二人は浮気も離縁もすることなく仲良く暮らすのだった。
(了)
お読みいただきありがとうございました。
※誤字を修正(2024.07.18)