2話「チョップにはチョップを」
たまに、頭の中に?が一気に浮かぶことがある。頭をぶつけたせいかもしれない。
ここは何処?
僕は誰だ?
何年くらい……
「ねぇライったら!ほんとに大丈夫!?」
声が聞こえる。目を開けると、真っ赤に燃えた瞳が心配そうにこちらを見つめていた。
「誰?」
「はぁ?」
ぼやけた声を出すと、驚いたような声と顔が返ってきた。なぜだかこのやり取り記憶に新しい。
頭を犬のようにブルブルと振ってから、もう一度彼女に視線を戻す。
「どうしよぉ…ライの頭がおかしくなっちゃった…」
などとごにょごにょ言いながら頭を抱えている。今にも泣きそうだ。
「あれ…シュナ? シュナじゃないか。おはよう」
「ライ!!記憶が戻ったのね!!よかったぁぁ!」
心からホッとした顔をしている彼女は、僕の10年来の幼馴染、トリシュナだ。お姫様のような可愛らしいお顔に似合わず、ところどころ跳ねてる赤髪に元気で大きい声は、彼女の性格をそのまんま表している。
試しに彼女の頬をムニっと摘んでみる。
「うむ、この柔らかさはシュナに違いなゴフゥッ!!」
彼女はエヘッと笑い、無言で腹パンが来た。うむ、この手の早さと威力、やはりワシの目に狂いはなかった。
彼女と僕が出会ったのは互いに6歳の時。
父の運営する孤児院に彼女は連れて来られたのだ。
初めは口数の少ない清閑な子という印象だったが、同い年の僕や2つ下のフレンとはすぐに仲良くなり、一度仲良くなるとよく喋る溌剌な女の子だとわかった。
その頃から3人は時間を共にすることが多く、孤児院が畳まれた今でも僕らの家にこうやって勝手に上がり込んでくるのだ。
「あぁびっくりした!あれ、そういえばフレンはどこ?」
僕の記憶が戻り安心した彼女は、手に持ったトンカチを元の場所に立てかけてから部屋に目を向けた。
シュナさん?記憶が混濁した僕にそのトンカチで何をしようとしたのかとても聞いておきたいんですが。
「えっと…フレンならもう学校に行ったよ」
「えぇ!もう行っちゃったの??早くない??さっき1の鐘が鳴ったばかりよね?」
シュナから伸ばされた手を握りヨイショと起き上がる。
「最近魔術学ぶのが楽しいみたいでさ、ちょうど1の鐘が鳴るタイミングで行っちゃうんだ。朝から先生の手伝いとかしながら教わってるみたい」
「そう…」
「シュナは今日も騎士団に出勤でしょ?」
「ええ、そうよ。今日も行かなきゃいけないの…」
なぜかしょんぼりとするトレシュナ。
騎士団なんて名誉なことなのに、こんな反応をするのは彼女くらいだろう。
このトランディア王国には、国の秩序と安寧を守るためのニ大巨塔が存在する。
己の身体を鍛えあげ、武の道を極めんとするトランディア騎士団。
国民の大多数が持つ魔法の力をさらに磨き、「魔術」という魔法とはまた別の力を組み合わせた「魔術師」の集団、トランディア魔術師団。
この2つの軍隊が時に隣国と、時に魔物と戦いこの国を守っている国の象徴なのである。
そして何を隠そう、目の前のトレシュナは3年前から騎士団に所属しているのだ。
「最近の騎士団の仕事、お祭りの準備と周囲の警戒ばっかで嫌になっちゃいそう。もっとこう、ドバァーって魔物でも攻めてくればいいのに」
我が国の象徴トランディア騎士団の隊員様が何やら不穏なことを言っているが、スルーしておこう。
「久しぶりにフレンと一緒にトラン城まで行こうと思ってたのになぁ」
二大巨塔のうち、魔法、魔術の学習が事前に必要な魔術騎士団にのみ、配下に専門の教育機関が設けられている。それがフレンの通う魔術学校なのである。
そして、この国を支える3つの機関はすべて王都トランの中心、トラン城の中に施設が置かれている。
そのため騎士団に出勤するシュナと魔術学校に通うフレンは通路がほとんど同じなのだ。
少し前まで2人で共に向かうことが多かったが、ここ最近はトレシュナが忙しく時間が合わないでいたらしい。
彼女は昔からフレンのことをよく気に入っていて、年上ということもあるのか何かと世話を焼きたがった。
「あ、でも魔学も今日は流石に4の鐘までよね!
私も午後は意地でも働かないから、今日のお祭りは3人で一緒に回りましょ!」
いいのかそれは。てか騎士団ってそんな自由なの?
「どうだろうな。フレンは学校の友達とかと…」
「あ、そろそろ行かなきゃ!じゃあ後でね!」
言いたいことを言った彼女は、人の話も聞かずにクルッと踵を返すと来た時と同じようにセカセカ走っていった。
相変わらず台風のような子だ。
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僕は部屋を出て、外付きの共用階段を降りる。
僕とフレンが住んでるのはシンプルな作りの2階建て共同住宅だ。全部で8部屋くらいだっただろうか。
階段を降り、道路と共同住宅の間にあるら小さな庭に入る。
正座で座り、部屋から持ってきた真剣を側に置く。
姿勢を正してから僕は意識を整えた。
1分ほど経ってから立ち上がり鞘から剣を抜く。
深呼吸をしてから、父に教わった型通りに体を動かし素振りを始める。
「シュッ! シュッ! シュッ!」
1つ1つ、身体全体の動きを意識しながら丁寧に。
父は、母と出会い孤児院を始めるまで剣術の師範をしていた。
それを聞いた僕は剣術の稽古を父に頼んだらしい。
というのも、あまり覚えていないのだ。
僕はなぜか小さい頃の記憶があまりない。
確か5歳の頃から父に剣術を教わっていた。
剣の攻め方には幾通りもある。自分と相手どちらが攻めるかでも変わってくる。その幾通りもあるパターンをそれぞれ「型」として父は幼い僕に教えた。
剣の動かし方だけではない。軸となる両足、腰、頭の動き、目線、意識なども細かく指導され、稽古後は身体以上に脳がパンクしていたものだ。
「覚えるには1年、忘れるのに1ヶ月だからな」
父がサボろうとする僕に口酸っぱく言ってきた言葉だ。
「なら1日くらいいいじゃないか!」とよく言い返していたが、父が亡くなってからだろうか。毎日欠かさず教わった型を反復するようになってから、もう長い年月になる。
別に冒険者になろうとか、騎士団に入ろうって訳でもないのに、小さい頃から何かが僕を突き動かして剣を振り続けている。
朝の日課を終え、真剣を部屋に戻してから鞄を持って再び外に出た。
ふわぁと欠伸をしながら住宅街を進む。
まだ1の鐘が鳴って間もなく、日も見えて来ないため辺りはほんのり薄暗い。寝ている人も多いだろう。
歩いている人も稀にしかいない。
「おはようトム爺。朝から元気だね」
「おぉ、ライか。おめぇも早えなあ相変わらずぅ」
「リアさん、おはよう」
「おはよう。フレンちゃんは元気かい?」
「ようライ、今晩飯食べ行くわ」
「うん、待ってるよ」
稀に会う人とすれ違いざまに言葉を交わしながらゆったり歩く。
しばらくして目的地に着いた。
『ゴーグル亭・預かり』
無骨な文字で書かれた看板。その横に引き戸。引き戸の鍵穴にポケットから出した鍵を差し込み、ガラガラと空ける。
中に入ると、手前に簡易な客席とテーブルがいくつも並び、奥にカウンター、そのまた奥に調理場が目に入る。
シンプルな作りの大衆食堂だ。
「ゴーさんは…寝てるかな」
雑に並べられた客席を抜け、調理場奥の控え室に荷物を置き、調理場に戻る。
控え室から持って来た、水を生み出す魔道具で手を洗い慣れた手順で朝の下準備を始めた。
―――
「いらっしゃいませっ!」
明るい声がゴーグル亭に響く。
2の鐘が鳴ってしばらく経った現在、仕事前に朝食を食べに来るお客さんのピークは過ぎ去り、店内は席の1/3が埋まっている程度だった。
「悪いねミア、マリ。昨日から慣れないポジション任せちゃって」
「ばっちぐー!大丈夫だよライ君!私にかかればよゆーだよ ♪」
「問題ない。わたし優秀。才色兼備なの」
僕はホールでセカセカと働く女の子2人に声をかけた。
元気な声と、飄々とした声が帰ってくる。
元気な方がミア。ショートカットの黄色い髪に、いつもニコニコした表情筋の柔らかな笑顔。昔から元気いっぱい100パーセント!といった感じの女の子だ。
そして静かな方がマリ。落ち着いた灰色の髪。いつも淡々とした雰囲気で、横のおてんば元気ちゃんを見守っている。難しい言葉をよく使い頭のよさをアピールしたがるところがあるが、毎回微妙にズレている。
彼女たちは今年13になる歳で、フレンの1つ下だ。昨年初等学校を卒業し、今年からここゴーグル亭に勤め始めた新人ちゃんである。
その可愛い新人ちゃんに慣れない仕事をしてもらわなきゃいけないくらいには、ここ3日間のゴーグル亭はバタバタしていた。
「いやぁ、ほんと悪いのぉミア、マリ!駄賃はちゃ〜んと色付けとくもんで、美味しいもんでも食べな!」
「ゴーさんほんと!?」
「やった。狂喜乱舞」
調理場のイスに座りながらガッハッハと愉快そうに笑うのは、ここゴーグル亭の店主、ゴーグルである。
御年50の大ベテラン。相変わらずな声の大きい人だ。
そしてなぜ彼が呑気に座っているのか、加えてなぜ最近のゴーグル亭が大忙しなのかというと、3日前に店主ゴーグルが右足を骨折し仕事ができなくなったからである。
3日前の朝、僕がゴーグル亭に着くと下からうめき声が聞こえ、地下への階段を降りてみるとゴーグルが右足をおさえて倒れていたのだ。
料理長である彼が動けなくなり、ゴーグル亭は瞬く間に火の車と化した。
ホール担当だった女の子シルフィーがキッチンに入り、別の担当だったミアとマリにはホールに入ってもらったのだ。
ホールはお客さんと直にコミュニケーションを取る仕事だ。慣れない中で大変だっただろう。
僕は調理場とホールを兼任するような形で動き回っていた。
足を骨折したゴーグルは自分も働くと言って聞かなかったため、座りながらジャガイモやにんじんの皮剥きを任せて大人しくしてもらっている。
「ゴーさん大好き!!」
「うむ。相思相愛」
「ガッハッハ!もっと言っていいんじゃぞ!」
駄賃を増やすと言ってもらったミアとマリは、ダダダッと調理場に入っていきゴーグルに抱きつく。
調理場でお皿に料理を盛り付けていたシルフィーが、呆れた様子で僕の方を向いた。
「ゴーグルさんあんなこと言ってますけど、うちってそんな余裕あるんでしたっけ。その辺はライアートさんが管理してるんですよね?」
彼女、シルフィーはフレンと同じ15歳。初等学校の頃からのフレンの友達だったりする。常に落ち着いていて、あまり会話の輪に入らずその場を俯瞰して見ているような印象の子だ。
「いやぁ…余裕は全然ないんだけどね…あはは…」
実はゴーグル亭、まったく余裕なんてない。
「国のため身を粉にして働く阿呆どもに、安く美味い飯をたらふく食わせてやる」というゴーグルの信念のため、なんとか利益が残るギリギリまで値段を下げている。
僕らへのお給料はしっかり配ってくれているが、その代わりゴーグルは毎日もやし炒めを1人むしゃむしゃと食べている。そういう男なのだ。
まぁ毎朝硬いパンばっかり食べてる僕が言えることではないのだが。
彼の昼飯グレードアップのためにもこれ以上の出費は避けたい。避けたいが…
「大好き!」
「ガーッハッハァ!そんなに喜んでくれるとワシも頑張れアァ!痛い!ミアよ、足当たってる痛いアァ!ミアよ」
「ゴーさん大丈夫?不幸中の幸い?」
「どちらかと言うと幸い中の不幸あぁ!ミアよ!」
あんなに嬉しそうに戯れてる3人の前で「そんな余裕ありません!ダメ!」なんて言えないよね…
僕の顔にそう書いてあったのか、シルフィーはため息をついて「まぁ、何でもいいですけど」とこぼしてから止めていた作業を再開した。
―――
それからもう少しして客の数もまばらになってきた頃、奥からツカツカと足音が聞こえてきた。
「ん…?誰か来る…?」
奥から調理室に入ってきたのは、すらりと背が高い妖艶な女性だった。胸まで伸びた赤に近い紫色の髪を片側に横流しにしている。
「あっ!キメルダの姐御!何しに来た!」
ミアが両手をチョップの形にして腰を屈めるという謎の構えで女に対峙する。
女はフッと鼻で笑ったあと、バッ!と素早く腰をかがめミアの頭に完璧なチョップを食らわした。崩れ落ちる哀れなミア。
僕は呆気に取られながら、思い出したように口を開いた。
「あれ...おかしい。裏にいたはずの彼らはどうした!?」
僕に視線を移した女は、仁王立ちになり勝ち誇ったような蠱惑的な笑みでこう言った。
「あぁ、ガキどもならみんな、裏でお寝んねしてるよ?」
次回 第3話「過去と恩」