元お義兄様
入学式が終わり、寮の仲間とも自己紹介が済んで、次にやることはあいさつ回りである。そして挨拶する際に重要なのは、この場所で最も権威と権力を集める人間に真っ先に挨拶するということ。
それが知り合いならば、猶更。
生徒会室の扉をノックし、中から返事が聞こえる。
……久しぶりに聞いた声だ。会うのはいつぶりだろうか。長く会っていないのに、その声はまるで変わっていない。
「失礼いたします」
許可を得た私は、静かに扉を開けた。
皇太子リダンと、彼の親友であり側近でもあるアーセナル伯令息のロギア様。それ以外に人はいない。
「……お久しぶりです、殿下」
「久しぶりだな。健勝で何より、だな」
「そう見えるのであれば、なによりです」
どうにも会話が続かなかった。
知らない仲ではない。悪い仲でもない。
会話が続かない理由は、ハッキリとしている。それを私は見た。
「お嬢様、私は席を外します」
「……えぇ。認めます」
お嬢様。
リリスにそう呼ばれることに少し背中がむず痒くなる。一応彼女は、私に付き従う侍従兼護衛という役を演じているのだから仕方のないことだが。
「ロギア。私は彼女とゆっくり話がしたい。席を外してくれるかな?」
「……畏まりました、殿下」
そして殿下も同じことを思っていたのか、リリスと同様にロギア様を外に出す。
背中で扉が閉まる音を聞く。あちらはあちらで、何かを話すのだろうか。そんなことをふと思ったが、目の前の人間を見ればその思いはすぐに散逸する。
「会うのは何年ぶりでしょうか、お義兄様」
「……3年、と言ったところか。弟の国葬以来だ。それと『お義兄様』はよせ。もう君と私とは、縁が切れているのだから」
「そう、ですね。失礼いたしました」
殿下と私の関係は、ひとことで言えば義兄妹になるはずの予定だった関係である。彼の弟、第二皇子ベゼル殿下が私の婚約者だったのである。
そしてその婚約者は3年前のあの日、炎の中に消えた。
エンディミオン家は私を残して業火に焼かれ、あまつさえ第二皇子の命さえも奪った。その罪は、たとえエンディミオン家に一切の過失がなかったとしても許されるものではない。それでも家が取り潰しにならず、所領や遺産も名目的には「一時的な管理」になっているのは陛下の要望らしい。
それでも、エンディミオン家を没落させるには十分な材料だったわけだ。
「リダン殿下はお変わりなく、ご健勝で何よりでございます」
「そうかな。いや、そうかもな……」
殿下はそう言うと、うつむき嘆息した。自分が3年前と変わらないということが、酷く憂鬱、そんな顔をしている。
「君は、だいぶ変わったな」
「変わらざるを得ません。あのようなことがあれば……」
誰でも、と言いかけたところで止めた。
変わらない人間が目の前にいるのに、その言葉はただの皮肉でしかない。
「そうだな、変わらざるを得ない。……でも君は、変わる前の方が良かった。少なくとも、私はそう思っている。3年前の君は、もう少し溌剌とした子だった」
「……もう、あの頃には戻れませんよ」
一度決めた覚悟は、一度燃え上がった感情は、そう簡単に消せるものではない。
「君が羨ましいな」
「えっ?」
羨ましい? 何をだ? 世界を恨み、こんな人間になってしまった自分が?
「いや、なんでもない。聞かなかったことにしてくれ」
「はぁ」
その言葉に首を傾げるしかなかった。
一方、リダン殿下は慌てて話題を変えるかのように、ひとつ咳き込んだ。
「それで、私にはただ挨拶しに来ただけか? 入学式当日にやってくる確かに連中は多いが、生徒会室に来ることはなかったな。大抵、式が始まる前か直後だからね」
「ご多忙かと思いました由に。それに、人前で話すようなことではありませんでしたから」
「確かに、弟のことは人前で話すようなことではないが――」
「それ以外にも、もうひとつお話があります」
「もうひとつ?」
今度は殿下が首を傾げる方だった。
ここにやってきた理由の半分は、確かに元義兄への挨拶もある。けれど帝国という枠組みで見れば、そんなことは前振りに過ぎない――と言っても、この話題を先に思いついたのは、今頃ロギア様とご歓談中だろう。
防音に気を使った扉ではあるから外の声は聞こえないけど、リリスのことだ、無粋かつ無神経に話している公算大。
「『西部解放戦争』について、忠告を」
私がそう述べた瞬間、リダン殿下は弟のことを話していた時以上に真剣な顔つきになった。