赤髪の少女との邂逅
寮へと戻る道すがら、珍しいものを見た
「うわ」
ある光景を前にして、リリスはあからさまに嫌な顔をしたのである。
「……どうしたの?」
「世の中には天敵と呼べる存在がいる。悪魔にもそれがある」
「…………あれがどうしたの?」
私はそれに視線を戻した。
そこには、1人の少女を数人が囲んでいる様子である。雰囲気はかなり嫌悪で、放っておけば暴力沙汰にもなりそうな光景だが、多くの人間はそれを見て見ぬふりをしている。
「平民がよくこの学園に入れたものですね」
「どこの馬の骨ともわからぬ者の入学を許すとは、この学園も落ちたものだ!」
その人は、数人の貴族の令息令嬢に囲まれていびられていた。
この光景自体、珍しいものではない。ほぼ貴族学校に近いこのセントケントラド学園において、平民という存在はいうだで異質なのである。そして、その異質な存在を許せない貴族も当然いる。
才能があって身分が保証できれば、自由に入学できるという建前が許せない、そんな貴族たちが平民を取り囲んでいた。
「あぁいうのが嫌いなの? 悪魔のくせに、今更良心に目覚めたの?」
「そんなバカな話があるか」
眉間にしわを寄せながら、リリスは続けた。
「あそこにいる赤髪の少女。アレが嫌だと言っている」
「…………は?」
言っている意味が分からなかった。
え、あれが?
リリスはあぁ言っているが、私には、あれが人から嫌われるような容姿をしているとは思えなかった。確かに、平民であることで貴族からはいびられているようだが、それをリリスが気にすることではないだろう。
「なにそれ。もしかしてあの子が、神の使いか何かとでも言いたいわけ?」
だから私は冗談のつもりでそんなことを言ってみたのだが、
「それに近い」
リリスは真顔でそんなことを言ったので口を紡ぐしかなかった。
そんな彼女が恐れる少女。
……いったいどんな人間なのだろう。
私の中で、面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だという心が霧消し、好奇心が取って代わる。彼女に話しかけたら、リリスはいったいどんな反応をするのか気になる。まぁ、いきなり殴りかかることはないだろうが。
「おい、なんとか言ったらどうだ!」
貴族の令息が、少女の髪を掴んで耳元でそう叫んだ時、私は彼らの間に割って入ることにした。
「お、おい……」
リリスは止めようとしたが、私はそれを無視する。
私は少女の髪を掴んでいた貴族令息の手を振り払いながら間に割って入り、彼女を守るような形で彼らに対峙する。
「な、なんだお前……」
「おい、失礼だろう! このお方は――」
先ほど新入生代表挨拶をしたというのにそれを知らない男と、ちゃんと私を知っている男。そしてたぶん私を知っているだろうけど、「だから何」みたいな反応をしている女。いびっていたのはその計3人。
「知らないお方もいるようなので再度自己紹介します。エンディミオン公爵家の長女、ミドラーシュと申します」
自己紹介すると、男2人は一歩下がった。
「……こほん。ミドラーシュ様の前で醜態をお見せしました。非礼をお許しください」
「あなた方の名前を聞いても?」
「…………ラブラドライト伯爵家次男、ノクトと申します」
「ジェネクス子爵家、ゲイザー・ジェネクスです」
どちらの家名も知っている。
ラブラドライト伯爵家は帝国南部の穀倉地帯を治める領主。ジェネクス子爵家は領地を持たないが代々が高級官僚として名を馳せる家柄だ。
「それで、そこのあなたは?」
私はまだ名乗っていない、男2人の後ろにいる女子生徒に聞いた。佇まいからして、この3人の中では別格なのはわかっているし、そしてこんなことをやりそうな人間にも覚えがある。
「あぁ、失礼いたしました。アイスベル・ミュートリア。畏れ多くも皇帝陛下を輔弼する宰相を務めさせておりますグラスベル・ミュートリア侯爵は、我が祖父ですわ」
「えぇ。存じております。私の父も世話になったと申しておりました。【ミュートリアの殺人劇場】のご令嬢とお会いできて光栄です」
「ありがとう。私も没落公爵の娘さんに会えてうれしいわ」
間に入ってきたが、先ほどよりも雰囲気が嫌悪になる。少し離れたところでリリスが目頭を押さえているのは、私が赤髪の少女を助けたこと以外にもありそうだ。
私が没落公爵の娘であることは否定できない。家族使用人は全て殺され、私が相続するはずの所領や財産は、私が未成年であることを理由に一時国有化されている。
「それで没落公爵の娘さんが、私に何の用かしら?」
「いえ、あなたに用があるわけではありません。私はこの子に用があるので」
私は平民の少女に向き直る。
彼女は状況を理解できていないようで(当たり前だが)、少し涙目で震えている。人間というよりは小動物。他人に庇護欲を掻き立てさせることに関して、彼女は他に類を見ない才能があるようだ。
それとわかっていて、庇護欲に目覚めかけている私がいる。もっとも、ミュートリア侯爵令嬢相手に権威による恫喝が通じない以上、暴力に訴えるしかないけれど……。
「リリス」
私は彼女の名を呼ぶ。あまり呼びたくはない、悪魔の名を。
「なんだい、お嬢様」
「私はこの子と静かにゆっくり話したいから、どうにかしてくださる?」
「……本気かい?」
「本気よ」
この期に及んでまだ彼女は、この少女を警戒しているようだ。
「……はいはい、わかったよ。まったく、仕方ないお嬢様だね」
「ちょっと、あなた何? 勝手に私たちの邪魔を――」
リリスが近寄ってきて、それを追い払おうとするアイスベル様。しかしながら人間の階級なんて関係ないところに住んでいる悪魔には、それは通じない。
「あぁ、はいはい。わかったから、少し散歩にでも行ってきてくれないか」
リリスは右手をクルリと回す。すると、私たちを囲んでいた3人が一斉に踵を返した。
「えっ。ちょっと」
「なんだ、身体が勝手に!」
そしてリリスが適当な方向を指差すと、3人はその方向へ綺麗に足並みをそろえて「散歩」しに行ったのである。
「……どうやったの?」
純粋な疑問である。
その疑問に、リリスは疑問で返した。
「ここは本当に魔法の才能がある奴が集まってるのか? あの程度の魔法に対抗しないなんて」
「…………一応、そういう学園よ」
どうやら、詳しくは聞かない方がいいらしい。