お嬢様、世界を滅ぼしましょう
「――どうして」
どうして。
どうして、どうして、どうして。
握りしめた十字架に何度問いかけても、答えは返ってこない。
私が生まれ育った屋敷が燃えている。
私を幸せにしてくれた、両親が燃えている。
私が幸せにしてあげる、弟が燃えている。
私を幸せにしてくれる、婚約者が燃えている。
私の生きる意味だった、全てのものが燃えている。
私たちの社会で、幸せになる術を説いた「神」は、何も言わない。
どうして。
何度も繰り返すその言葉は、燃え盛る炎の中に虚しく消えていく。
どうして。
どうして助けてくれないの。
聖書に書いてある言葉は嘘だった。
神父が説いた言葉は嘘だった。
この世に救世主などいなく、私に救いをもたらしてくれる存在などいなかった。
この世の全てが、嘘だった。
――ならばせめて。
「せめて、その業火で私もろとも世界を焼いてほしい」
こんな理不尽な世界がまかり通るなら。
こんな不幸が蔓延るのであれば。
いっそすべてを焼き尽くしてほしい。
少女は、自らの眼前に迫る炎を前に、そう呪った。
「ならば、そうしようか」
そして炎が答えた。
今際の際の幻聴。そうかと思ったら、炎の形が変わった。燃え盛る炎は見る見るうちに人の形となり、そして見るからに人間の少女へと姿を変える。
全てを吸い込むような黒い髪、黒い瞳。
私は何を見ているのかと、何を感じているのかと、そう思っている中、その少女は答えた。
「共に世界を焼き尽くそう。この世の不幸、この世の無秩序、この世の理不尽、この世の傲慢、――その根源、神でさえも焼き尽くそう」
そんな、大それたことを……。
私は、その言葉を前にして最初は恐怖した。
炎が人となり、この世の怨嗟を口にする。怖くないはずはない。
……いや、違う。この世の怨嗟を、彼女は「代弁」している。私が心の奥に潜めていたものを、彼女は無配慮に、押しかけ強盗の如く現実に引き摺り出す。
「憎いだろう、神が」
「殺したいだろう、神が」
「復讐したいだろう、神に」
「この世の全てに、神も、人も、何もかも全てに」
「心を持つんだ、お嬢さん」
私の言葉が具現化され、押し出され、現実に飛び出していく。
数多の感情が、複雑な思いが、記憶が、記録が、想像が、思想が、思考が、全てが一つに帰結する。
「なに、気にすることはない。恐れるものは何もない」
「感情に善悪など存在しない。恨み、妬み、憎み、怒り――負の感情も、また感情であるに違いない」
時が止まったような空間で、彼女は私に語り掛ける。
私は、彼女の口から、私の思いを聞く。
「思いを力に――よく言うだろう。ならば、その言葉に従おう。君の中で燃え盛る、怒りと憎しみの負の感情を燃料にして」
――そうだ。
そうだ。そうだ。
私の心にも、火が灯る。復讐の炎が燃え盛る。
私は憎いのだ。
人も、神も。なにもかもが憎い。
憎くて憎くて。
だから、
「――殺す、絶対に」
私の心の奥深くから、感情が湧き出る。それと共に、力も。
「ならば、その願いを私が聞き入れようじゃないか」
彼女が、手を差し伸べる。
私が求めていた、たったひとつの救いの手。私はその手を、迷いなく取った
「では、君の名前を聞こうか」
「――ミドラーシュ。ミドラーシュ・エンディミオン」
「ふっ。良い名前だな。私の名前は――そうだな。リリス、とでも呼んでくれ」
そう言ってリリスは跪き、そして私が差し出した手の甲に口を付ける。
その瞬間、手の甲に激痛が走る。痛みは血管を通じて身体を駆け巡っていく。そして自分が、人間ではなくなっていく感覚を感じ取った。
その瞬間、私が何をされ、そして私たちがどういう関係になったのかを理解した。
「それでは滅ぼすとしましょう、お嬢様?」
「……えぇ。全てを焼き尽くしましょう」
「仰せのままに」