【プロローグ】モノクロなキラキラ④
「望美。お待たせ。遅くなってごめんね」
日課となった朝食後のキャッチボール。冷えた身体が温まり、汗を拭うくらいの時分になって迎えがやってきた。
「寛和くんもいつも望美と遊んでくれてありがとう」
ーー随分見ない間に大きくなったね
目の前に立つ、いまや時の人こそ、半年前に会ったときに比べて見上げるほどになっていた。
「遊んであげているのは私のほうなんだから」とブーをたれる望美を優しく宥める一希。
ごく当たり前の日常。身近だったその背中。
それがどこか遠く、大きく見えた。
”幼馴染のお父さん”だったその人はたった一年で”憧れのヒーロー”になっていた。
「おじさん。ピッチングを教えてくれませんか」
寛和はどこかよそよそしくも、意を決してお願いする。
「よし来た」とこちらはあいも変わらず二つ返事をすると、文字通り日本一のピッチャーによるマンツーマン指導が始まる。
ありふれたようで、どこか特別な、小昼のひと時……それはとても長いようであっという間のひとときだった。
***
「それじゃあヒロ。また再来週ね!」
「娘が本当にお世話になりました」
手を繋いで去っていく二人に、寛和と母は見えなくなるまで手を振り続ける。
ーーまた再来週
それは、「これまでお世話になったお礼」と招待されたキャッツの優勝旅行の話だった。
「それにしても本当に良いのかしらね。私たちが参加して……」
不安げな母の声に、寛和は別れ際のやりとりを思い出すーー
***
「おじさん。悪いよ。家族でもない僕と母さんまで呼んでもらうなんて」
「いいや。お世話になったママさんはもちろん、君にもお礼がしたいんだ」
遠慮がちに声を小さくする寛和に対し、一希は首を横に振った。
「比喩でもなんでもない。君たちのおかげで僕は頑張れたんだ」
ーー勝てば日本一の大一番。最小リードで迎えた試合中盤。一点でも失えば試合の局面が大きく変わる緊迫した展開は、シーズンをMVP級の活躍で終えたエースにとってもシビアなシチュエーションだった。
特にまだ実績の浅い一希にとって、そのプレッシャーは計り知れないものであった。
もしここで打たれたら、これまでの努力も水の泡になってしまう。
震える手足を落ち着かせるためにタイムを取り、マウンドを外す。
それでも動悸が収まらないーー
「そんな刹那、聞こえたんだ。望美や君の応援が」
ーー「声援が力になる」それは陳腐な表現だけれども、あれがあったから切れずに投げられた。試合終盤、精魂尽き果てて腕が上がらなくなっても、君たちの姿が見えたから最後の力を振り絞ることができたーー
ーーそれになんたって……
「お父さんとして、君たちにカッコいいところを見せたかったからね」
柔和な顔を綻ばせた一希はバックから取り出した緑の帽子を寛和に被せると、ポンとその頭を撫でた。
「『家族でもない』なんてつれないことを言わないでくれよ、ヒロ」
***
「せっかく誘ってくれたんだ。行こうよ、優勝旅行!」
いつも大人しい息子の快活な一声。それに母も「そうね」と笑顔を返した。
遠くで眺めるだけだったキャッツの選手たちにすぐそばで会うことができる。
それにーー
「『ヒロ』か……」
初めて呼ばれた自分の愛称。息子に諭すような、その言葉が耳を離れない。
寛和は帽子を深く被り直すと、震える拳をギュッと握り直した。