【プロローグ】モノクロなキラキラ①
「ヒロ、急いで! 置いてっちゃうよ!」
銀杏の絨毯が敷き詰められた一本道を、少女に手を引かれ、少年は駆けていく。カクテル光線に照らされた光の道は、突き刺す木枯らしとは裏腹な熱狂へと二人を誘うーー
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桜咲く春先から約半年もの間、二リーグに分かれて行われるプロ野球ペナントレース。そのそれぞれを制した両雄が優勝旗をかけて雌雄を決する大一番。
<日本シリーズ>
近年では親会社のマネーゲームでチーム格差が生まれ、この晩秋の風物詩も代わり映えのしない面子が定番となっていたが、今年は大方のプロ野球ファンの予想を裏切るダークホースが現れた。
<埼玉キャッツ>
地元埼玉を基盤とした鉄道会社を親会社に持つキャッツは、かつては五年連続リーグ優勝を達成したリーグ随一の強豪チームだったが、ここ近年は資金力豊富なIT企業の新規参入で競争力を失い、万年最下位のリーグのお荷物と化していた。
今シーズンも主力選手の多くを他球団に流出し、大方の解説者がキャッツを最下位予想する厳しい下馬評。
しかし蓋をあけると若手選手の躍動と新外国人の活躍によりシーズン序盤から好調をキープし、終盤にはライバルチームの主力に怪我人が続出するなどの幸運にも恵まれ、あれよあれよとリーグの頂点に立ってしまった。
埼玉を根城にした地域密着の小さな鉄道屋が、世界を股に掛けるマンモス企業を打ち負かす。
まさに窮鼠猫を噛むとはあべこべの弱小チームの下克上は、判官贔屓なライトファンの関心をも誘い、球場は例年にない熱気に包まれていた。
勿論、その一角には、近年はめっきり数を減らしながらも、一途に四半世紀ぶりの歓喜を待ちわびていた熱狂的なファンの姿もあった。
***
「やった! キャッツ、勝ってるよ!」
ポニーテールの黒髪をたなびかせてぴょんぴょんと飛び跳ねる少女も、歴は浅いながらに熱烈なキャッツサポータの一人だ。
遅れ馳せ付いてきた少年も、三六〇度のサポーターが織りなす大歓声におもわず息を呑んだ。
「嬢ちゃん! 坊主! 遅かったな!!」
豪快な大声に二人が振り返ると、球団チームカラーの緑色の半被を羽織った大柄な男が一人。
中谷 亮治。応援団のリーダー的存在で三〇年来のキャッツファン。
少女も応援の熱量であれば引けを取らないが、この男は年季が違う。前回の優勝の時も身にまとっていたという応援団の象徴には、甘いも辛いも経験した彼の血と汗が染み付いている。
「ねえねえ、おじさん。試合はどんな感じなの?」
キラキラと栗色の目を輝かせて訊ねる少女に、中西も頬を上気させて開口する。
「初回にフォアボールと連打でキャッツが一点を先制してな。あとは投手戦よ。やっぱ嬢ちゃんの親父さんはすごい奴だよ。ほら見てみろよ」
中西が指差したスコアボード。対戦相手『文京ラビッツ』の列には綺麗にゼロが並んでいる。
「スタメン全員億は稼いでいる金満ラビッツ相手に中盤までノーヒットピッチングよ。貧乏人のおじさんはそれだけで胸がスカッとしちゃうね」
二人がグラウンドの中心に目を移すと、そこにそびえ立つのは「一八」の背番号を大きな背中に記した大柄な男。逞しい筋肉を湛えながら、足の長さとスラっとした体型からどこかスポーツマンらしからぬ繊細さを感じさせる体躯。艶やかな黒髪と優しげな栗色の瞳は少女と瓜二つ。
彗星のごとく現れたキャッツ躍進の立役者、早乙女 一希は威風堂々のピッチングで相手チームを圧倒していた。
ゆったりとしたモーションで両腕を大きく振りかぶる。グラブと左足を胸の高さに持っていくと一転、素早く弓矢のように引いた左腕をキャッチャーミットめがけて振り下ろす。
ボールがキャッチャーミットを叩く甲高い音と打者アウトを告げる審判のアウトコールがファンの歓声にかき消される。
文京ラビッツのスコアボードにはまたゼロが追加される。
ーーあと一イニング
キャッツ黄金期にもなし得なかった日本一の栄冠は目前まで迫っている。
緊迫の状況。父の勇姿を見届ける少女、早乙女 望美は手に握ったお守りをギュッとした。
「パパにもらったんだ。必勝祈願のお守りだって。私に出来ることは信じて応援することだけだから……」
快活な幼馴染が見せる普段と違う仕草に、思わず少年も真似て神頼みをする。
ーー今は祈るだけ……
普段物静かな少年、梅田 寛和の胸には確かな熱い想いが滾っていた。
ーーでも、いつか僕もあんな風にスタジアムの中心に立ってキラキラと輝きたい!
二人の想いを受けた一希はラビッツの並み居る好打者を相手に切り捨てアウトを重ねていく。
そして遂にあと一球ーー
オーバーハンドから放たれた球は打者の手元で鋭く落ちてバットは空を切る。
マウンドに出来る歓喜の輪。それに呼応するように望美と寛和も身を寄せ合って喜びを分かち合った。