今世でも、恋を
壊れる音と共に開かれた扉。
眩しいほどの光と現れた彼女に、リヴィエは言葉を失くしてしまった。
桜色のふわふわとした髪に、翡翠の瞳。可愛らしい顔立ちに、薄黄色のドレス。
まるで春のようだと思うと同時に……。
頭と胸が痛み出した。
息苦しいほどの感情と、溢れんばかりの記憶が唐突にフラッシュバックする。
だが、この記憶はリヴィエのモノではない。
この記憶は……。
ーーーーーーーかつて亜人達の王であった、〝夜空の王〟の記憶。
リヴィエの、前世の記憶だった。
「ちょ、ちょっとっっっ⁉︎ 大丈夫ですのっ⁉︎」
甘やかな花の香りと、彼女の手の温もり。
いつかの記憶と彼女の姿が重なって、懐かしさに泣きそうになる。
だが、それと共に強い怒りも湧き上がって……。
(……あぁ、もう……。気持ちがぐちゃぐちゃだ。だけど……)
リヴィエは怒る前に、したいことをすることにする。
そのため、彼女の手を引っ張り、ベッドに引きずり込んで……。
…………噛みつくようなキスをした。
*****
キスをしながら背筋を撫でられて、ベアトリーチェはぶるりっと身体を震わせた。
下唇を甘噛みされ、深く深く貪られる。
このキスの仕方を、彼女はよく知っていた。
もしかしなくても、彼は……覚えているのかもしれない。
そんな思いに包まれて、彼女の中にいる花乙女が涙を零す。
条件反射のように彼の首に腕を回して、彼のパサついた髪に指を通した。
何秒と、何十秒も触れ合う唇。
たっぷりと時間が経ってからゆっくりと離れた時には……ベアトリーチェの顔は真っ赤になり、目は潤みきっていた。
「…………花乙女」
彼の口から紡がれるかつての名前。
ベアトリーチェは掠れた声で「……はい」と返事を返す。
彼女の返事を聞いた彼は、泣きそうな顔で笑って……。
うみょん。
思いっきり、ベアトリーチェの頬を引っ張った。
「…………ふへっ?」
「こーーーのーーーお馬鹿めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ‼︎」
「ふにゃぁぁぁぁぁぁあっっっ⁉︎」
ぶにょん、うひょんっと何度も何度も頬を引っ張られる。
ベアトリーチェは結構容赦ない力加減に涙目になった。
だが、彼の方もかなり涙目だった。
「お前っ、俺がいなくなった後に幸せになるとか言っておきながら直ぐに死にやがって……‼︎」
「にゃ、にゃんでひって(な、何で知って)……⁉︎」
「俺がいなくなってから大変なことが起きたら困るかと思って、俺の精霊をフォーゲル大陸に置いていたんだよっ‼︎」
「えっ⁉︎」
「だから、何が起きたかは報告を受けてたんだよっっ‼︎ お前がその身をもって不可侵結界を張ったと知らされた時……俺がどれだけ絶望したと思ってやがる‼︎」
「いひゃい、いひゃい、いひゃい、いひゃい‼︎」
ベアトリーチェは涙目になりながら、なんとか手を離してもらおうとする。
だが……ぽたりっと自分の頬に暖かいモノが零れ落ちて、その動きを止めた。
「…………本当……何してるんだ……」
リヴィエの手が離されて、掻き抱くように強く抱き締められる。
………花乙女の行動は、彼が生贄になった理由を穢すような行動だったのだろう。
しかし、それでも彼女は人間達が約束を反故する可能性を捨てきれなかった。
だから、その身をもって結界を張ったのだ。
ベアトリーチェは泣きそうな顔になりながら、その背中に腕を回した。
「…………ごめん、なさい……」
「…………違う……お前が……謝ることじゃない。全部、俺が悪いんだ」
「……でも、わたくしは貴方の行動を否定するようなことをしましたわ」
「…………いいんだ。俺の行動は……結局、意味がなかったから。俺が死んでも……約束は守られなかったと思う」
「…………(あぁ、やっぱり)」
ベアトリーチェはそれを聞いて悲しげな顔になる。
きっと、彼が死ぬ直前に聞かされてしまったのだろう。
例え、亜人達の王である彼が死んでも……殺戮は止まらないと。
「だから、お前が結界を張らなかったら……きっと、皆死んでた。ありがとう……花乙女」
弱々しい声、だった。
きっと悔しかっただろう。悲しかっただろう。
一縷の望みをかけたのに、それは簡単に壊された。
ベアトリーチェは彼の身体を抱き締める。
そして、ゆっくりと告げた。
「…………ベアトリーチェ、ですわ」
「………え?」
「ベアトリーチェ・ルフトが……今のわたくしの名前、です」
「…………あぁ……俺は……リヴィエ。リヴィエ・フォン・ルーフレール」
「存じておりますわ」
彼の頬を撫でながら、ベアトリーチェは続けた。
「わたくしは継承者として生まれ変わりました。確かに花乙女としての力も記憶も受け継いでおります。ですが、わたくしは彼女ではありませんわ」
ハッと息を飲むリヴィエ。
そして、難しい顔をしながら起き上がり……ぐしゃりと前髪を握り締めた。
「…………うん……ごめん。そうだ……確かに……俺もさっき記憶を思い出したけど……俺は彼の……夜空の王じゃない」
「…………さっき?」
「忘れたのか? 闇魔法は全ての魔法の始まり。確実に継承者になれるか分からなかったからな……前世の内に記憶を受け継ぐ魔法を作ったんだ。発動トリガーは〝もう一度、花乙女に出会うこと〟にしてな」
闇魔法は、全ての魔法の始まりであるため……魔法を作ることもできるし、火・水・風・土などといった様々な属性を含み持つ。
逆を返せば、この世界の生き物は全てが闇属性を持つ。
だが、魔物を除いた殆どの生き物は闇魔法以外の一属性しか使えない。
それは、全ての魔法を操る才能がないから。
リヴィエが闇魔法を使えるのは魔法を操るの才能があったから。
つまり、魔物云々は関係ないのだ。
ベアトリーチェは、普通の魔法を生み出すより難しい魔法を生み出し、成功させた彼に驚きを隠せなかった。
「……相変わらず、規格外ですわね」
「お前が死んだと知って、どうしても説教してやるって、保険のために慌てて生み出した魔法だったから……上手くいくかは微妙だったけどな」
リヴィエは苦笑する。
つまり、こうして互いに前世の記憶を持って出会えたのは……奇跡であるということなのだろう。
「…………でも……俺は俺。リヴィエ・フォン・ルーフレールだ。だから、いつまでも……前世に執着してちゃダメだよな……」
「…………殿下……」
「ごめん。記憶を取り戻したばかりで、俺と夜空の王と境界が曖昧みたいなんだ。少しすれば落ち着くから……」
リヴィエは少し彼女から距離を置き、ベッドの上に座り直す。
ベアトリーチェも起き上がって乱れたドレスの裾を直すと……真っ直ぐに彼を見つめた。
「……無理に割り切らない方がいいですわ」
「…………お前、さっきと言ってること違うって分かってる?」
怪訝な顔をする彼に、ベアトリーチェはこくっと頷いた。
「だって、上手く割り切ることなどできませんもの。わたくしだって別人だと分かっていても……自分の人生を生きるべきだと思っていても。今だに前世の記憶に引きずられることがありますわ」
「…………」
「それに、無理に割り切ろうとすると心がぐちゃぐちゃになりますもの。苦しくなりますもの。記憶も感情も、全部全部……残ってるんですから。だから、もう〝どうしようもない厄介なモノ〟と思う方がいいですわ」
「…………そんなもの、か?」
「そんなものですわ。それに……殿下が前世を押し込めてしまったら、花乙女との〝約束〟もないことになるのですが?」
「…………あっ‼︎」
リヴィエは彼女の肩をガシッと掴んで至近距離で見つめる。
そして、真剣な顔で告げた。
「…………お前の未来を貰う約束」
「えぇ。いらないと言うならば、前世は前世と割り切ってくださって構いませーーー」
「いるに決まってるだろうっ⁉︎ 思い出した以上、何がなんでもお前をまた妻にするからなっっっ⁉︎」
「それは貴方ではなくて、夜空の王の気持ちでは?」
「〜〜〜っ‼︎ 意地悪言わないでくれ‼︎」
「うふふっ、ごめんなさい」
彼に出会えない間は、彼を忘れて……自分自身の人生を生きるべきだと思っていた。
だって、もう一度会えるかなんて分からなかった。
だが、出会えた今は……過去の記憶を無理やり割り切る必要はない。
だけど、過去の記憶があれど、今の二人は花乙女と夜空の王ではなくーーーベアトリーチェとリヴィエだから。
「ベアトリーチェ。どうか、もう一度俺と恋愛をしないか?」
「リヴィエ殿下。また、わたくしと恋をしませんか?」
同じタイミングで同じことを言った二人は互いに顔を見合わせて、目を瞬かせる。
そして……楽しげに笑い合いながら……もう一度キスをした。