生まれ変わった少女
【注意】この作品のみにおける設定の解説
《継承者》
転生者は異世界から転生した者だけど、継承者は過去に生きた人の記憶と力を受け継いだ者。
つまり、他人の記憶と力を持ってるって設定です。
でも、自分の人生を生きるべきだと思っても、その記憶に引きずられることもあるよ(継承者のジレンマ)。
ガタガタと揺れる馬車の中。
ベアトリーチェ・ルフトは、夢の微睡みからゆっくりと目覚めた。
「おや。やっと起きたのかい?」
優しい声に視線を動かせば、目の前の席に座る翡翠の髪と瞳を持つ若々しい男性。
十歳の娘を持つとは思えない若々しさを誇る父ベイン・ルフト侯爵に、ベアトリーチェは笑顔を向けた。
「申し訳ありませんわ、お父様。よく眠ってしまったみたいで」
「別に謝ることはないよ。寝る子は育つと言うしね」
ベインはそう言いながら、娘の頬にかかった桜色の髪を直す。
ベアトリーチェは「ありがとうございます」と感謝してから、その翡翠色の瞳を外へと向けた。
窓から見える景色は、活気付いた賑やかな街並みーーー人々の笑顔が溢れる光景。
ベインは、そんな光景をじっと見つめる娘に優しく声をかける。
「もう王都に入ったよ」
「……そうですか」
「あぁ。あと少しで婚約者君とご対面って訳だ」
そう……ベアトリーチェ達が領地から出て、こうして王都を訪れているのは、ベアトリーチェの婚約者に会うためだった。
彼女の婚約者となるのは、この国の第二王子リヴィエ・フォン・ルーフレール。
ベアトリーチェと同い年であり、王命によって充てがわれた婚約者であった。
本来なら王族の婚約者となることは誉れだろう。
しかし、ベアトリーチェの心は晴れない。
何故なら、彼女の心にはーーー〝彼〟が住み着いていたからだーーーー。
ベアトリーチェは、ルーフレール王国にあるルフト侯爵家の一人娘である。
そして、彼女は世にも珍しい前世の力や知識を受け継ぐ者……〝継承者〟の一人だった。
彼女の前世は、かつて人間と亜人の戦争で亜人側に立ち、亜人達を守るためにその命を持って、彼らが住むフォーゲル大陸全土を覆う結界を張った女性。
人間達の間に語られる、残酷なる亜人の王の妻だった者……草木を操る森の精の変異種ーーー〝花乙女〟。
当時の記録を探すのはとても大変だった。
なんせ数百年の出来事であり、現在も今だに残る結界がフォーゲル大陸を守っている。
もうほとんどの人間がかつて人間と亜人の間に戦争があったことを知らないだろう。
しかし、史実としての文献も確かに残っていて。
……まさか人間達の方が残酷であったのに、彼の方が残酷だと語り継がれている事実には衝撃を受けずにいられなかった。
人間に都合がいいように湾曲された歴史が残っていることは想像に容易い。
こんな歴史を残した人物に検討はつくが……初めて人亜戦争の歴史を読んだ時は、今は亡き奴に軽く殺意を抱いたものだ。
今世ではかつて敵対していた人間に生まれ変わる。
なんて、皮肉的なのか。
彼女はそう思わずにいられない。
しかし、忘れてはいけない。
継承者はあくまで、前世の記憶を引き継いだ他人だということを。
例え、前世の記憶に苛まれようと過去に囚われてはいけない。
自分自身の人生を生きなければならない。
花乙女とベアトリーチェは別人だ。
そうは思っても、前世の記憶に引きづられてしまうのも、〝継承者のジレンマ〟というもので。
ベアトリーチェは、どうにもならない感情を抱きながら生きてきた。
そして、彼女の心に今だに巣食うーーー〝彼〟の存在。
二度と会えぬと思って、〝来世での再会〟なんて約束を下手に交わしてしまったからこそ、忘れることができずにいた。
激情のようで、でも穏やかで。
慈しむようで、愛おしむような愛情を……前世の自分が抱いていたことを受け継いでしまったから、忘れられなかった。
(…………厄介な気持ちを受け継がせましたわね、前世のわたくし)
ベアトリーチェは年齢にそぐわぬ大人びた、悲しげな笑みを浮かべた。
本当は今すぐ全てを投げ捨ててしまいたいと思う気持ちがある。
だけど、その気持ちは彼女自身のものではない。
遠い過去の、違う女性の気持ちだ。
分かっているのに……花乙女から継いだ想いの所為で、彼を探しに行けたらと思ってしまう。
(本当、厄介なモノですわ)
「大丈夫かい、ベアト」
「っ‼︎」
急に声をかけられてベアトリーチェは息を飲む。
そして、ぐちゃぐちゃな心を隠すように微笑んだ。
「えぇ。大丈夫ですわ」
「…………そっか」
ベインは悲しげな笑みを浮かべる。
そして、彼女の頭を撫でながら謝った。
「ごめんね」
「…………お父様?」
「ベアトがこの婚約を望んでないこと、分かっているよ」
「っっっ‼︎」
「ベアトがわたしに何かを隠していることも」
ベアトリーチェは大きく目を見開く。
彼女は自分が継承者であること、前世のことを一つも語っていない。
輪廻転生の概念はあれど、継承者自体が珍しいものであり……継承者の力や知識を原因とした面倒ごとに巻き込まれる恐れがあったからだ。
しかし、それがバレていたとは……思いもしなかった。
「…………父親だからね。娘が何かを隠していることは分かる。でも、無理に聞き出そうとは思わないよ」
「………ごめんなさい……」
「構わないよ。わたしだって全てを話したことがある訳じゃないからね。それでも、二つだけ、聞かせてくれるかな」
「………………」
「ベアトがこの婚約を望まないのはーーーー相手が〝死神王子〟だからかい?」
死神王子ーーー。
リヴィエ・フォン・ルーフレールは、生まれた時に母を殺したと言われ、魔物が使うとされる闇属性の魔法を使うことから、実の親である国王を始めとする数多の人々から異常なほどに恐れられ、そう呼ばれている。
しかし、前世の記憶があるベアトリーチェからしたらそんなの気にする要素ではなかった。
生まれた時に母を殺したと言われているのは、偶々、産後の肥立ちが悪かっただけであると聞いているし……現代では失伝されたようだが、闇属性の魔法は全ての魔法の始まりとされている。
ゆえに、彼女が恐れることは何もない。
ベアトリーチェはゆっくりと首を横に振った。
「なら、好きな人がいるからかい?」
そう言われて彼女はそっと目を伏せる。
ベアトリーチェに好きな人はいない。
花乙女が好きだった人に対する気持ちに、引きずられているだけなのだから。
ゆえに、彼女はその質問にも否定を返す。
「いいえ、いませんわ」
「嘘をつかなくていいんだよ? ベアトが幸せになれないなら、意味がないんだ。元々、わたしは王に嫌われているからね。婚約を断って、更に嫌われようと構わないんだよ」
ベアトリーチェはそんな父の言葉に苦笑してしまった。
今の彼女はただの子供でしかなく、責任と義務が生じる貴族の娘で。
それに、王命である以上、一貴族でしかないルフト侯爵家に拒否権はないはずだ。
それどころか、拒否をしたら、自身だけでなく家族にも害が及びかねない。
なのに、父であるベインはその害を省みず、娘の幸せを第一に考えてくれる。
人間の醜い一面しか花乙女は見てこなかったが……こうやって良い一面も存在することを、ベアトリーチェは知っている。
ベアトリーチェは困ったように笑いながら、答えた。
「大丈夫ですわ、お父様。会ってみてからでないと……幸せになれるかどうかは分からないでしょう?」
「…………無理だったら直ぐに言うんだよ? なんとしても婚約解消させてあげるからね」
「……ありがとう、ございますわ」
ベインはリヴィエの魔法属性云々ではなく、娘が彼の婚約者になって幸せになれるかどうかを第一に考えてそう言ってくれたのだろう。
ベアトリーチェは父の優しい思いに胸を暖かくしながら、窓から外を見つめた。
王宮に辿り着くまであと少し。