トキソプラズマ2
一方その頃、更に西の都では。
「う…ッ」
ヤクザが銃撃戦で腹を負傷し、痛みにのたうち回っていた。
「ワシのシマでよう勝手なことやってくれたな?」
ドサッと無造作に投げられる白い粉。
ばら蒔けば一瞬にして大金が手に入り人が死ぬ悪魔の粉である。
それをわかっていて大陸から密輸し売り捌いていた売人が今日「芝田組」の組員に拘束された。
その様子を眉ひとつ動かさず組長が見ている。
「まぁ、今回は初犯やし。そのくらいで許したれ」
「オヤジは甘いんですよ、いつもいつも」
はー…と溜め息を溢して、売人の頭から銃口を下ろす幹部の男。
「間違いくらい誰にでもある。お前もそうだろう?」
「…ッ」
芝田組の構成員は組長に拾われた人間が殆どだった。
身寄りのない子供、どうしようもない不良だった人間、前科持ち、様々だ。
「お前にもう一度チャンスをやる。この件から手ェ引くと約束しろ」
組長が鋭い眼を向けて密売人を諭した。
男は土下座してもう二度とヤクに手を出さないことを誓った。
その次の日の早朝、まるで昨日の銃撃戦が嘘のように晴れた空だった。愛犬とともに初老の男性が駅前通りを歩いていた。
「お、ケンちゃんの散歩かい?」
「いっつもおりこうさんねぇ~ケンちゃんは」
「愛犬の前だとデレデレやね」
出店作業に追われる商店街の人々から次々に話しかけられるこの物腰柔らかそうなお爺さんが、昨晩事務所で売人を諭した組長だと知るよしもない。組長の愛犬「ケンちゃん」こと、芝田ケンは想像して思わず笑みが溢れた。
「なんだ、ケン。ご機嫌だなぁ」
わしゃわしゃと頭を撫でられケンは尻尾をふって上機嫌だった。
組長の芝田賢二郎は古くからこの街に住むヤクザの家に生まれた。昨晩のような銃撃戦はしょっちゅうあることで、彼にとってもこの街にとっても日常茶飯事だった。
しかし、最近はどうもそれがきな臭くなっている。
昨晩密売人が持っていた薬は普通の麻薬ではなかった。
麻薬の密売人が、わざわざヤクザの事務所に一人で乗り込むなんて自殺行為をするだろうか。
敵対する組織のものでも頭の悪いチンピラでもない。
調べると、どうもそのクスリはまだ何処にも出回っていない新種のものらしかった。
「人間は弱い…辛いことがあるとすぐ薬に手ェ出しやがる」
そうぼやく組長の声から、悔しさが滲み出ていた。
今まで命を落としていった組員が全員クスリ絡みだったからだ。
ケンは何もできない自分を不甲斐なく感じていた。人間みたいな体があれば。人間みたいな強さがあれば、オヤジにこんな顔させなくて済むのに、と。
その晩、ケンは自宅で不審な物音に目を覚ました。
オヤジの家内が帰ってきたのだろうか。確認しに寝床の二階から一階へと降りる。
気配を頼りに、暗闇の中を進む。
歩いている途中で足下にべとり、と嫌な感触がした。
この匂い、呼吸、感触、全て常に傍らで感じていたものと一致していた。
ワン、と近所に聞こえるほど大きな声で吠える。
すると何者かがその声に慌てたようにベランダを飛び出した。
逃がすか、と後を追い庭に出るが侵入者を阻む高い塀が裏目に出る。犯人がいとも容易く用意していたワイヤーで壁を登っていく。
力の限り吠え続けて、周辺に緊急事態を知らせる。
オヤジが血を流して倒れている。
誰か、誰でもいい、来てくれ。
その想いが通じたのか、やっとパトカーが到着する。
「うるさい、吠えるしか能がねえのかバカ犬」
自分の何倍もあろう背丈のある男が門の前で待ち構えていたように銃を取り出し逃走しようとした男を撃った。
「ぐあぁ…ッ」
男が塀から落下した。
ケンの声で駆けつけた組員が照らしたライトで組長を襲った犯人が何者なのかはっきりした。
昨晩、組長が情けをかけた男だった。
頭はまるで獣のような風貌、下半身は豚のような蹄を持ち、身体中におびただしい数の鱗と羽が生えた化け物だった。
警官に貫かれた筈の脚がブクブクと音をたてて再生していく。