87話 激戦! 嫁度対決! 【奈月編 後編】
前回を中編。
今回を後編にしました。
水色の木漏れ日。
鼻腔をくすぐる柑橘系の香り。
時計の音と、奈月の鼓動の音が、チグハグなリズムを奏でる。
抱きしめる力がまた少し、強くなった。
「ねぇ……シンタロー……」
「……ひゃ! ひゃい!」
「し……シンタローって、私のことどう思ってる……?」
依然背後から俺を抱きしめながら、彼女は遠慮がちにそう言った。
「そ、それはもちろん、頼りになる相棒という「そういうの……聞いてるんじゃない。い、異性としてどうか聞いてるの……っ!」
質問を濁そうとした俺を食い気味に止める。
「えっ……いや、急に聞かれても困るというかなんというか」
「……き、きらいなの?」
「いや嫌いなわけないだろ!」
「じゃあ、すき?」
「ど、どちらかと言えば……」
「ねぇ、なんでにごすの……?」
背後にいた奈月は華麗にステップを決めて、椅子に座っている俺の正面にまわった。
肩を手で掴まれて逃げられない……!
奈月の暗く青い瞳に、じっと睨まれる。
「いやだって、お前と俺ってそういう雰囲気じゃないだろ!」
かなりアバウトな回答だけれど、奈月になら伝わるだろう。
何度も言うように、俺たちは兄妹のように育ってきた。
今更異性として見ろと言われても何やらもにょい気持ちになるのだ。
「そういう雰囲気って、どういう雰囲気……?」
伏し目がちな彼女。
意味は理解しているけれど、その雰囲気という言葉の詳細を、何故か奈月はどうしても俺に言わせたいらしい。
「そ、そりゃアレだろ……こ、こひ、恋人てきな……?」
……めっちゃ噛んだ。……我ながらキモいな。
「…………シンタローは、私みたいな女の子と、恋人になるのは嫌……なの?」
奈月の瞳はみるみるうちに滲んで、朝露に濡れる花弁、今にも滴り落ちそうな雫のような涙を生成する。
こんな綺麗な涙を見せられて誤魔化し通せるクズ男がいるだろうか。
「そんなこと一言も言ってねぇだるぉっ!? むしろ奈月みたいな美少女に俺みたいなクソ隠キャゲーマーじゃ釣り合わないというかなんというかっ! 拡マガ無しの単発撃ちvectorと8倍AWMくらい差があるというか! とにかく奈月は美少女だっ! まごうことなき美少女だっ!」
「び、美少女っ!」
「ああそうだ! お前は美少女だ! 俺みたいな寝ても覚めてもFPSのことしか考えていない唐変木よりもアラブあたりにいる石油王の方がお似合いなくらいの美少女だよ!」
俺は巻き舌とFPSゲーマーには分かりやすい例えを使って奈月を褒めそやした。
けれど彼女はそんなことお構いなしに顔を歪める。
「せ、石油王なんてどうでもいい! わっ……私は最強の隣にいる2Nだもん! シンタローのそ、そばにいるっ!」
「ふぁっ!?」
奈月は俺を抱きしめる。今度は背後からじゃない、正面から。
メイド服からは芳しい乙女の香りがした。
「こ、これはおくすりのせい……だから仕方がないの……えへへ」
彼女の小言をしっかりと聞き取りつつ、ついでに静かに深呼吸した。
……いやそんなことはどうでもいい!
ツンデレの微かなデレの兆し、芳しい乙女の香りなどは前菜に過ぎない。主菜、メインディッシュは、女性特有の柔らかな双丘。
控えめではあるけれど確かな柔らかさ(本当に控えめ)を保持する双丘が、俺の頬をかするかかすらないかのギリギリを攻めていた。
いや正直言って柔らかいとは言い難いのだけれど、女の子におっぱいを押し付けられているという事実だけで俺はスケベな気持ちになれた。感謝します(スタヌ感)
「……ベル子やルーラーに密着されて嬉しそうだったわよね。どう? 私のもそんなに捨てたもんじゃないでしょ?」
「おち、おちち、落ち着け奈月!」
テンパリすぎてお乳って言っちゃったよ!
「ふふっ」
微かに視線を感じて、奈月のおっぱいから顔をあげる。
「っ!?!?」
奈月は俺のテンパリ具合を、頬を真っ赤にしながらニヤニヤしながら見つめていた。
こいつまさか……!
本当は正気を保っていて、俺を困らせる為にわざと演技してるんじゃないだろうな……!
半ば強引に奈月を疑う。
そうしなければ、守るべき対象、傷つけてはいけない対象である彼女を、引き返せないレベルでスケベな目線で見てしまいそうになったからだ。
と、に、か、く!!!
今日の奈月はかなりおかしい。いやおかしすぎる。
何にせよ、姉から飲まされたのはただの水なのだ。冷静に考えて、水道水ごときでここまで狂乱するのは度がすぎている。
彼女は恥ずかしい思いをさせられている分、仕返しに俺をからかっている説は十分にある!
……許せん! 許せんぞ奈月!
一時とは言え、貴様はDTの純情を弄んだのだ!
先ほどのシリアスな空気は本音の匂いがしたけれど、その前と後のスカートたくし上げムーブ、おちち突貫ムーブはかなり疑わしい!
奈月ほどの自意識の塊ジャックナイフウーマンが、暗示催眠水道水ごときであそこまで取り乱すなんてやはりありえない!
奴は黒!
こうなったらこれ以上、奈月に主導権、もとい狂乱しているフリをさせるわけにはいかないっ!
目には目を!
歯には歯を!
暗示には真実を!
俺は椅子から飛び退いて、ビシィっ! と効果音がするくらいの勢いで人差し指を奈月に向けた。
「奈月落ち着け! 今のお前は婚期逃しまくりオバケに騙されてるんだ!」
俺はありのまま真実を伝える。
「だ、騙されてる……?」
「あぁそうだ! お前は俺の姉に、ただの水道水を何かしらの……たぶん『正気を失うくすり』だとか言われて飲まされたんだろ! だから今のお前の精神状態は正常じゃないんだ! 正気を取り戻せ! 奈月!」
俺は決定的な証拠を掴み勝利を確信した弁護士のように声高らかにそう言う。
けれど奈月はあまり動じずに、それでいて恥ずかしそうに、
「冴子さんが私に飲ませたおくすり……どういう効果があるか、知ってる?」
と、言った。
あ、あれ……いつもならこの辺で「頭を出しなさい。コレでヘッドを貫けば記憶を失うわよね」とか言いながらスナイパーライフルをかまえる流れなのに……。
動揺を悟られないよう、俺は言い返す。
「し……知らない。でも予想はつくぞ。正気を失う薬だとか、そういった類だろ……? だからこの状態はお前の意思じゃない。それは理解してる。だから薬の効果が切れたあと俺の頭をブチ抜いて記憶を失くそうとするムーブだけはやめてくれ……! いや、やめてください……っ!」
俺が最も恐れているのは、薬の効果が切れた後。
奈月が恥ずかしさのあまりキルムーブに移行してしまうという展開。
以前奈月の部屋でFPSの練習をした時も彼女は何かしら勘違いして、その恥ずかしさを拭い去る為に俺の頭を固いPCの角にぶち当てようとしたのだ。
今回はその時の比じゃない。
猫耳ご奉仕メイド、スカートたくし上げ、背面ハグ、おっぱい突貫ムーブ、本音がポロリしちゃうという俺でもかなりこっぱずかしい展開なのだ。
奈月が正気に戻った時の反動はきっととんでもないものになるだろう。恐ろしい……!
「ほ、ほんとのこと……言うとね……」
彼女は俺を壁際まで追い詰めて、ほっぺをつねる。
「私が飲んだ薬は……その……す、すなおになっちゃうおくすり……なの……っ!」
顔から火が出そうな勢いで照れまくる奈月。
「……えっ?」
予想外すぎるセリフに、思わずマヌケな声を上げる。
素直になる……?
つまり、今の奈月の行動は……。
「その……今の……は、ハグとか、そういうのは……! 私がいつもしたいって思ってる……あ、アレなんです……」
「……っ!」
どもりながら、頬を赤く染めて奈月はそう言った。
吐息があたりそうな距離に、彼女の顔がある。
恥ずかしさのあまり発熱しているのだろう、俺の頬にもその熱が少し伝わってきた。
「それって……つまり、奈月は……俺のことが……」
「そこまで!!!!!!」
ドアを勢いよく開けて、ベル子とルーラーがリビングに入ってくる。
ジルと姉も一緒だ。
どうやら、奈月の嫁度対決のパフォーマンス時間は終了したらしい。
俺は安堵したような、それでいて少し残念な、不思議な気持ちだった。