86話 激戦! 嫁度対決! 【奈月編 中編】
「「…………」」
静寂に包まれるリビング。
肩が触れ合うほど近い距離に座っているというのに、お互い無言。
俺と奈月は十年以上の付き合いがあるはずなのに、謎の気まずさに襲われていた。
今までずっと、良くも悪くもお互い兄妹のように接してきた。
だからいざこういう雰囲気になると、俺も奈月もどういう態度をとっていいのかわからないのだ。
バツが悪くなった俺はコーヒーをすすりつつ、奈月をチラ見する。
「……っ!」
同じタイミングで、彼女もこちらに視線を飛ばしていた。
「ぁ……ぅ……」
奈月は顔を赤くして、あわててうつむく。
なんだよそのしおらしい態度……っ!
姉に一服(水道水)盛られた彼女は、いつもより数倍大人しく、まるで気弱だった昔の頃に戻ったように静かだった。
……奈月からツンをとればただの美少女なので本当に対応に困る。
「「…………」」
そしてまた訪れる静寂。
……気まずい。
ゲームの中じゃ冗談抜きで世界一の連携を見せる俺たちだけど、リアルじゃただの仲が悪すぎる幼馴染。お互い気を使って話を回すなんて芸当、土台無理な話なのだ。
しかし、気まずい空気のままじゃ俺の胃に深刻なダメージが残るのも事実。
やはりここはヘッショ覚悟で空気を変えるしかない……っ!
「な、奈月って、結構エロいよな」
俺は、普段なら口が裂けても言わないような台詞を口にする。
この気まずい空気、その原因、元凶は、姉が奈月に施したデレ? の暗示によるもの。細かい効果はわからないけれど、奈月の正気を失わせるということは確実。
ならば被弾覚悟で奈月を怒らせ、暗示を解けばいい。
精神的ダメージか物理的ダメージの二択。俺は後者を選択した。正直この硬直した空気よりもいつものじゃれあいの方がまだ気が楽だ。
「……あと、足とか? スラッとしてて綺麗だよな!」
さらに追い討ちをかける。
さぁ怒れ! 怒りによって目覚めるのだ! ジャックナイフウーマン!
いつもならここらでブチギレて俺の頭に何かしらの攻撃を加えようとするはず……!
俺はチラリと、奈月の様子を伺った。
「し、シンタローは、私の足が好きなの……?」
彼女の表情は、前髪で隠れて見えない。
けれどおそらく、額に青筋を浮かべて激昂していることは確実だろう。
「お、おう。魅力的だと思うぞ」
「……そう」
彼女はおもむろに椅子から立ち上がる。
ゆらりと揺れるその姿は、死刑台に向かう執行人のようだった。
一時の痛みと引き換えに、胃に穴が開くことを回避できるのであれば致し方あるまい……っ!
俺は覚悟を決め、目をつむり歯を食いしばった。
「…………………な、奈月さん?」
十秒ほどだろうか?
いくら待てども、奈月は俺に攻撃してこない。
俺はおそるおそる薄目をあけて、彼女の様子をうかがう。
「奈月さんッ!?」
奈月は何を思ったのか、耳まで真っ赤にして短いスカートをたくし上げていた。
「……ぅぅっ……ど、どう?」
「ちょっ! マジで何やってんだよ!!」
スラリとのびる足、膝上のニーソ。
じわりじわりと奈月はさらにスカートをたくし上げ、絶対領域がどんどん肌色に浸食されていく。
前髪から覗く奈月の顔と絶対領域、視線を何度も往復させる。
表情から察するに、彼女の抱いている感情は怒りでも嫌悪感でもなく、羞恥。
自分の生足を晒して恥ずかしがるただの美少女がそこにいた。
何故だ!? 何故彼女は自分の足を俺に見せている!?
怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ照れながらスカートをたくし上げている!?
訳がわからないッッッ!!
「っ!」
巨大な疑問を置き去りにして、俺の脳内を毒ガス(煩悩)が侵食する。
奈月の行動原理はわからない。
けれど、このままいけば安地の面積はどんどん狭まり、敵は燻り出されるだろう。
敵から射線を切れば、キルはとれない。
数多のFPSプレイヤーを蹴落とし、世界ランキング1位の玉座に座る者として、そんなヌーブはできない……! 死んでも……できない!
「な、奈月、はやく隠せ!」
口では奈月に制止をうながしつつ、指の間から視線だけはしっかり合わせる。
覗け……っ! 覗け……っ! 覗けぇぇ……っ!!
エイムが苦手な俺だけど、この敵だけは確実にキルして見せる……っ!
我を忘れて、奈月の股間をガン見する。
「お、おしまいっ!」
「あぁっ!!」
スカートはガバッと音をたてて、俺の視線を遮った。
あともう少しだったのに……っ!
「シンタロー……見過ぎ……そ、そんなに私の足が好きなの……?」
「はぁ!? 見てねぇし!? 全然見てねぇし!? 手で目隠ししてたし!?」
「……じゃあなんで、私がスカート下ろした瞬間、残念そうな声をあげたの? 見えなかったらそんなこと分からないわよね? ねぇ、なんで?」
すこし自虐的な笑みを浮かべながら、奈月はそう言う。
「そ……それはあれだろ、やっぱ2Nさんの考えることは手にとるようにわかるっていうか……! なんというか……っ!」
俺は必死に言い訳した、
正直ガン見してたけど、それを悟られる訳にはいかない。
今の気持ちを例えるなら……妹のパンツをガン見してた事を親に悟られたくない的な……? よく分からんけどそういう気持ち。
ベル子あたりならオープンにスケベしたい気持ちをさらけ出せるんだけど、奈月に対してはなぜかそういう感情を悟られたくないのだ。
「…………まだ、気にしてるの?」
「…………え?」
奈月は、節目がちにそう言った。
気にしてる? 俺が……?
何を……?
「まだ、シンタローは気にしてるんでしょ……昔のこと」
「…………あ」
昔のこと。
その一言で、奈月が何を伝えたかったのか理解する。
俺は昔、彼女に酷い仕打ちをした。
四六時中一緒に居るくらい、仲が良かった俺たちの関係。
そんな関係を歪めてしまうほど、俺は奈月に酷い事を言った。
「シンタローが私のことをなんでもわかるように、私だって、シンタローのこと、わかるんだからね……?」
「……っ」
透き通る瞳。
心の奥底を覗かれる感覚。
けれど不思議と、嫌な感じはしなかった。
「……ごめん」
俺はたぶん、恐れている。
関係が近づけば、距離が近くなれば、大切な幼馴染をまた傷つけてしまうリスクも高くなる。
もちろん、奈月を傷つけようなんて気は一切ない。
けれどそれは五年前も同じだった。
俺は自分の心に余裕がなくなると周りが見えなくなって、塞ぎ込んでしまう。
そのストレスを、鬱憤を、もしかしたらまた奈月にぶつけてしまうかもしれない。
そう考えると、怖くて近づけないのだ。
五年前、俺の一言がきっかけで、大切な幼馴染を失った。
けれど今、何の因果か、俺と奈月のボロボロになっていた関係は修復されつつある。
俺の中にある奈月への思いも、奈月が俺に抱いている感情も、どういうものかはまだわからない。
けど……俺の心の中にある思いに、確かなものがあるとすれば……。
俺はもう二度と、彼女との関係を……幼馴染という繋がりを……失いたくないということだけだ。
「俺……怖いんだよ……」
認めてしまえば、溢れ出る。
茶化していた感情が、見て見ぬ振りをしていた過去が。
「また、お前を傷つけてしまうんじゃないかって……たまらなく怖いんだ……。今は、ジルやベル子もいて、大会でも好成績を残せてるし、心に余裕があるけれど……これから先、もっと強い敵や、呆れるほど高い壁が確実にある……。そうなった時、俺は……」
自分の弱さを否定する為に、俺はFPSをはじめた。
今はまだ、世界ランキング1位という心の拠り所がある。
けれど……それを失った時。
俺は、今までの俺でいられるのだろうか……?
昔みたいに、強さに取り憑かれて大切な人を傷つけてしまうような人間に戻ってしまうんじゃないだろうか?
「大丈夫」
「え……」
背中から、嗅いだことのある、優しい香りがした。
「奈月……」
彼女は、背後から優しく俺を抱きしめていた。
「何があっても、大丈夫」
優しい声音。
……優しさに触れて、今まで強張っていた心が、閉じ込めていた弱さが、滲む。
「大丈夫じゃなかったらどうする……俺には、お前や、ベル子、ジル、大切なものが多すぎる…………俺は、強い人間じゃないから、またきっと間違える……そうなった時、もう誰も俺を」
守ってくれない。
そう言いかけた瞬間。
奈月に口を塞がれる。
「今度こそ、私が守る」
抱きしめる力が強くなった。
「あなたの背中も、仲間も、私が守る。その為にもっと強くなる。最強よりも……シンタローよりも、私は強くなる」
「……っ!」
『私はまだ、アンタより強くなってないから』
彼女が散々言ってきた言葉が、脳内にフラッシュバックする。
奈月が強さを求める理由。
その一端を垣間見た今、目の奥から熱いものが込み上げてきた。
「…………ごめん……ありがとう……」
自然と出てきたのは、二律背反のそんなセリフだった。