85話 激戦! 嫁度対決! 【奈月編 前編】
「あ、あちぃ……」
十五時を回ったというのに、まったく衰えを見せない日差し。
今日四度目の日光浴(拷問)に飽き飽きしながら、俺は最後の嫁度対決開始の合図を待っていた。
「ラストは奈月か……」
正直言って不安しかない。
今日三回くらい俺の頭を狙撃しようとした仲が悪すぎる幼馴染。そんな彼女が成り行きで俺の嫁度対決に参加しているのだ。
今頃彼女も後悔しているだろう。ルーラーと張り合ったばっかりに、俺みたいな隠キャゲーマーの嫁(仮)にならなければならないという事に……。
合宿や公式大会を経て奈月と少しは距離が縮まったかに思えたけれど、今日の彼女のムーブを見る限り、距離が縮まるどころか殺意が三倍増しくらいになっているような気がする。ツンデレからツンツンになった感じだ。笑えねぇ。
「……よし、ヘルメットはかぶったし、胃薬も準備オーケーだ。これで戦える」
あらかじめ玄関から拝借しておいた自転車用ヘルメットを被り、薬箱で埃をかぶっていた胃薬をポケットに忍ばせる。
ブーストを決めてヘルメットさえかぶればヘッショワンパンは回避できるはず。
「日本リーグも控えてるんだ……こんなところで死ぬわけにはいかない……俺は生き残ってみせる……っ!」
硬く拳を握りしめ決意を新たにすると、ピロリンとスマホがなる。
嫁度対決、最終ラウンド開始の合図だ。
「……グッドラックハブファン……っ!」
そう呟いて、俺は玄関を開けた。
「お、おかえりなさい! ご主人様っ!」
「へ……」
目の前の光景に、文字通り目を疑う。
ピクリと動くネコ耳。
シワひとつないメイド服。
恥じらう幼馴染。
「仲が悪すぎる幼馴染が、俺の性癖どストライクのネコ耳ミニスカメイドになっていた件について……!」
思わず小声でそう呟く。
紛れもないミニスカメイド服。
黒いネコ耳はどういう原理かピコピコ動いている。尻尾も同様だ。
俺はミニスカートの中から覗く黒い尻尾がどういう風に接着されているのか考えつつ、奈月のムーブの意図について考察を始める。
現状はまさに、予想だにしない展開。
玄関開けた瞬間ヘッショされても動じない心持ちでいたけれど。奈月はそのさらに斜め上。
まさかのミニスカご奉仕メイドとかいうツンデレ属性無視、萌え不可避の超速で攻めてきたのだ。
「……それにしても、お前がそんな格好するなんて珍しいな……」
「こ、これにはやむを得ない事情があって……! アンタこそ、なんでヘルメットなんてかぶってるの?」
「こ、これにはやむを得ない事情があって……!」
ヘルメットを外しながら、奈月を観察する。
俺の質問に対して、何か後ろめたいことでもあるのか、しどろもどろしていた。あとすごくえっちだった。
少しすると、おそらく全ての元凶であろう姉が、視界の端からフリップを持って割り込んでくる。
「説明しよう! 今、奈月さんは悪の科学者サエーコにより! とあるおくすりを飲まされている! このおくすりは強力で、奈月さんを強制的にデレ期に移行させているのです! あ、自然由来の成分(水道水)だから安心してね〜」
奈月には見えないようにフリップをかかげ、ダミ声でよくわからんことをのたまう姉に、俺は思わず本音を漏らしてしまう。
「う……うぜぇ」
「ひぅっ! 説明してあげたお姉ちゃんになんて事言うのよ!」
「さ、冴子さん邪魔しちゃダメですよ!」
「さえこ、ぬーぶ」
泣きそうになる姉を拘束し、裏へ引きずり込むベル子たち。
とにかく、今の奈月は俺の姉にそそのかされ、正常な判断ができないようになっているみたいだ。
フリップに書いていたように、おくすりとは即ちただの水。
幼い頃から思い込みの激しい奈月。
どうせ惚れ薬がどうのこうのと信じ込まされてただの水を飲まされたのだろう。
そうでもされなきゃこのジャックナイフウーマンがこんなあられもない格好をするわけがない。
「そ、それじゃあ、リビングに行きましょうか……」
「お、おう」
棒立ちしている俺に彼女はとぼとぼと近づいてきて、遠慮がちに腕を掴む。
瞬間、女の子特有の甘い香りがした。
落ち着け……! 相手は奈月だぞ……!
十年以上も付き合いのある幼馴染、まさに家族みたいなものなのだ。
幼い頃一緒にお風呂に入ったこともある間柄。
そんな彼女に今更欲情するのは……なんだかこう、気が引けるというかなんというか……とにかくもにょい気持ちになってしまう……!
「え……えいっ!」
血の繋がった妹みたいな存在に発情するのは悪か善かという人類史史上稀に見る大激論を脳内で展開していたけれど、そのすべてを無視して、奈月は俺に控えめなその胸を押し付けた。
血の繋がった妹みたいな存在に発情するのは悪か善か。
その答えは。
あ、意外と柔らかい。
「ちょ! あ、あたってるんですけど……!?」
唐突に突貫してきたエロスをなんとか振り払う。
「い……嫌なの?」
淡い水色。透き通る瞳。
見慣れているはずのその上目遣いは、何故かいつもよりたまらなく可愛くて、奈月が奈月じゃないみたいだった(失礼)。
「……嫌なわけじゃないですけど…………」
「やっぱり……ベル子みたいなおっきい方がいいの……?」
長いまつ毛。
うるうるとくゆる瞳。
整った顔立ち。
いつも怒っているような印象を受けるツリ目も、今は弱気な子犬のような濡れて、目尻は垂れ下がっている。
ギャップ萌え。
理不尽すぎる可愛さ。
数々のイレギュラーに脳のキャパシティは限界を迎え、とうとう俺は正気を失った。
「そ! そんなことはない! 奈月のおっぱいの方が素晴らしいと思うぞ!」
「そ、そう……なら今度ベル子の胸に発情したらヘッショしてもいい?」
「え……っ」
「ヘッショしてもいい?」
「……も、もちろんだとも……!」
「えへへ……約束ね?」
「お、おう」
なにやらとんでもない約束をしてしまったようにも感じるが、今の奈月は正気ではないのだ。
正気ではない時にした約束なんて約束ではないのでこれは無効だ。きっとそうだ。
奈月は、俺の右腕に控えめな胸をおしつけつつ、リビングまでエスコートする。
小声で「こ、これはしょうがないことなのよ……冴子さんのせいで……しかたなく……」とぶつぶつ言っている。
ここで彼女に『お前が飲まされたのはただの水だ!』と言えば、彼女は正気を取り戻すだろう。
けれどそんなムーブをすれば、仲が悪すぎる幼馴染は恥ずかしさに狂い、持ち前のエイム力を駆使して俺を絶命にまで追い込むだろう。ヘッショ不可避だ。
ので……俺はあえて、事実を奈月に告げることをやめた。
あえて、だ。
別に奈月が可愛いからとかそういうのではない。
これは自らの保身の為。
生き残るための最善策という奴なのだ。俺マジ神ムーブ。
「こ、ここに座って」
「……おう」
「それじゃあ、私の作った料理持ってくるから……」
「…………おう」
ついに来た。
拷問の時間が。
数あるツンツン系ヒロインの中、奈月も群にもれずメシマズ系ダークマターヒロインだ。
その実力は折り紙付きで、毒のない安全な食材からでも相手を失神させるくらいの殺傷性を持った劇物を作ることが可能だ。
いくら今の奈月がデレ期に入っていたとしても、その実力が覆ることは無い。決してない。
俺は胃薬から三粒ほど取り出し、口に入れようとする。
これさえ飲めば、失神は免れるはず……!
「お待たせ、出来たわよ」
「えっ、早くない?」
しかし、そんな安全マージンでさえ、ダークマター製造機は許してくれない。
速すぎる調合。
速すぎる死。
俺はとっさに胃薬をポケットの中に隠した。
ええいままよ!
どんな劇物が来たとしても! 俺は奈月の気持ちを受け止める!
あのツンツンを通り越してグサグサ系ヒロインが曲がりなりにも俺の為に作ってくれた料理! 人を殺せる劇物とはいえ! 完食しないわけにはいかない!
「はい」
ことりと目の前に何かが置かれる。
俺はゆっくりと目を開いて、今回戦うであろう魔王と対峙する。
「え……こ、これは?」
思わず目を疑う。
目の前にあったのは、液体か固体かもわからないような劇物ではなく。
「……コーヒーよ」
芳しい香りのするブラックコーヒーだった。
「お前、なんでこれを……?」
「だってシンタロー、お昼から食べっぱなしでしょ? お腹いっぱいだと思って……」
「でもこれじゃあ、嫁度対決のポイントが……」
「そんなこと、今はいいわよ」
トレイで口を隠して、奈月は顔を真っ赤にして続ける。
「わ、私は……し、しんた…………だ、旦那さまに、喜んでもらいたいから……っ!」
「……っ!」
火が出るほど真っ赤な顔。
うるうると濡れる瞳。
心臓の鼓動が聞こえる。
「あ、ありがとう」
「……うん。……あの、となり座っていい?」
「……も、もちろんいいぞ!」
「……ありがと」
や、やばい!
仲が悪すぎるはずの幼馴染が、俺の心臓が破裂しそうなほど可愛いすぎる件について……!