66話 もう一人の怪物
安地収縮がフェーズ4に差し掛かった頃。
私たち『VoV』は中央市街地北西の区域を陣取って、宿敵であり、私のつがいでもあるしんたろを待っていた。
「ruler、奴だ」
grimeがため息交じりにそうつぶやく。
「奴って誰?」
オーダーのくせに主語が足りない彼に対して私は若干いらつきながら返答する。もし敵がしんたろであればこの一瞬の隙に付け込まれる可能性だってある。
相手はバトルロワイヤルFPSの歴史史上、間違いなく最強のプレイヤー。
一瞬だって油断できないのだ。
「……cross flareだ。Sintaroのムーブにそっくりな韓国人。お前も気にしていただろう?」
その名前を聞いて高まった戦意が一瞬で萎える。
戦意の代わりに湧いてきたのは、どす黒い嫌悪感だった。
「あぁ、あの偽物ね。それがどうかしたの?」
私は平常心を装って、grimeに返答した。
あんな雑魚に心を乱されていると勘違いされたくなかったのだ。
「……おそらくそいつは俺たちと同じ中央市街地にいる。ruler、銃声とキルログはしっかり把握してくれ」
「私はしんたろを本気で殺す。それ以外の有象無象はあなたたちでどうにかできるでしょ」
「そうもいかないだろう。彼女……いや彼だったかな? とにかくcross flareは強敵だ。警戒しておいてくれ」
「……」
しんたろの偽物cross flare。
……いや、偽物というのもおこがましい。
あいつはしんたろのムーブを模倣しているように見せかけて、全く別のムーブをしているみっともない道化。
投げ物や足音の聞かせ方などは若干似ているけれど、それだけ。
しんたろの立ち回りと比べればお粗末極まりないものだし、全く理にかなっていない。
むしろしんたろのムーブに寄せようとするあまり自身の立ち回りに綻びが生まれている。
その綻びは、今大会の平均レベル、つまり雑魚には咎められないわずかな綻び。けれど、世界ランカー相手ならそのわずかな綻びでさえ致命傷となりうる。
cross flareの気持ちの悪いところはそれだけで終わらない。
綻びを、淀みを、ディスアドバンテージを、持って生まれたまぁまぁのエイム力で補っているのだ。よって、今大会程度のレベルなら多少無理矢理だけれど撃ち勝ってしまう。
素人目にはあたかもしんたろのムーブを成立させているよう見えてしまうだろう。
私はそれが許せない。
しんたろのムーブはもっと強靭で狡猾で残忍。
必要じゃないリスクは一つも負わない。相手も殺すためなら手段を択ばない。
そんな勝ちに終始した美しい……いや、美しすぎる立ち回りなのだ。
……それを……土足で踏み入り、汚すクソ女。
「…… Fu○k off…………」
何も見えていないくせに、私としんたろの間に割って入ろうとするクソ女。……2Nだって一緒だ。
あいつらはなにも見えてない。
だからしんたろに追いつくなんて妄言を吐けるのだ。
しんたろの心の虚を埋められるのは、私だけ。
私の心の虚を埋められるのも、しんたろだけ。
どれだけ強くなろうとも満たされないこの心を、最強なら埋めてくれる。
ほかの雑魚なんていらない。
強い私ともっと強いしんたろだけで。
diamond rulerとSintaroだけで、完結するのだ。
「ruler! cross flareが詰めてきている!」
「……わかってる」
本当、鬱陶しい。
力の差というものを愚物には理解できないのだろう。
……仕方がないので理解させてやる必要がある。
私はアサルトライフルからМ24に持ち替えて、cross flareがいるであろう区画の方へ移動を開始した。
***
「はぁ……はぁ……っ!」
味方三人を失いながらも、僕は最終安地になるであろう中央市街地にたどり着いた。
おそらく、この区画には奴がいる……。
北米最強のスナイパー。diamond ruler。
ここまできて、チームの人選を誤ったとひどく後悔する。
数合わせのつもりで公式大会に興味のあるミーハーを三人連れてきた。
実力も人格も性別さえもどうでもよかったのだ。僕にとっては兄さんと戦うことがすべて。
兄さんと銃口を合わせることができればそれでよかったのだ。
けれど、それじゃダメだった。
兄さんには勝てなかった。
「っ!?」
一瞬。ほんの一瞬。
建物の屋上から、何かに反射した光が目に入る。
嫌な予感が全身を貫く。
これはまぎれもない、死の予感。
体をとっさにかがめると、先ほどまで自分の頭があった場所に鋭い風切り音がした。
反射した光は、純白のM24の銃身。
見なくても分かる。世界最高速のクイックショット。
「diamond ruler……!」
僕はすぐさま近場にあった建物に転がり込む。
敵は四人、いやもっといるかもしれない。
北米最強のスナイパーに鮮血の皇帝、ここに兄さんまでくれば僕に勝ち目は無い。
最善手は短期決戦。rulerにカバーが入らないくらい速く、泥沼の接近戦に持ち込む!
「…………いや、ダメだ。兄さんならそんなことはしない」
考えても考えても、泥沼の近距離戦という戦術しか思いつかない。
知っている……僕は……いや、私は……兄さんの立ち回りを模倣しようとあがいている道化でしかない。
憧れの人に少しでも近づきたくて、ただうわべをなぞっているだけの紛い物なのだ。
兄さんと戦う前の私なら、根拠のない自信を武器に、立ち向かうこともできたかもしれない。
でももう、気付いてしまった。
本人に否定されてしまった。
圧倒的なプレイヤースキルに、為す術もなく殺された。反撃の余地もなく、百回戦って百回殺されると確信してしまうくらいの絶望的なまでの実力差を見せつけられてしまったのだ。
お前は俺にはなれない。
そう告げられたのだ。
次の一手も決められず屋内でまごついていると、その行動を咎めるように手榴弾が投げ込まれる。
「くそ……!」
爆炎に肩を焼かれたまらず外に飛び出そうとした。
けれど。
逃げようとした先に、7.62ミリ弾が撃ち込まれる。
「なんであてないんだよ……っ!」
rulerなら今の一撃で私を殺せたはずだ。
なのに、それをしない。
はたから見ればトロールだと罵られる行為。けれど、兄さんに格の違いを見せつけられ、否定されてしまった今の私からすれば『Sintaroならそんなヌーブはしない、紛い物なんかいつでも簡単に殺せる』と、咎められたように感じた。
逃げる。
建物の隙間を縫って、ひたすらに逃げた。
それでも彼女は追ってくる。追ってきて、私の逃げようとする先々に弾丸を撃ち込むのだ。
身を貫く弾丸じゃなくとも、rulerの狙撃は的確に私の心をえぐった。
何度も、何度も、北米最強のスナイパーは外す。
確実に殺されると思った明確な隙でさえ。彼女は私を殺さない。
左足を貫き『もっと醜態を晒せ』と、逃げの一手を強要されるのだ。
お前は気持ちの悪い偽物だと、耳元でそうつぶやかれたような気がした。
私は紛い物。
兄さんみたいな本物じゃない。
現実では、同級生に陰湿ないじめを受けるような日陰者で、学歴社会を生き残ることもできない弱者。
弱い自分を変えたくて、情けない自分を変えたくて。
偽物の自分を作り上げた。
私は最強の弟なんだと、血がつながっているんだと、そう思えば地獄のような日々も幾分かマシになった。
妄想の中に生きれば、じりじりと背中を焼く劣等感を、痛みを忘れることができた。
強くならなきゃ、強くなれなきゃ変われない。
誰にも負けないくらい強くなれば、兄さんに覚えててもらえる。強くておかしなやつを演じれば、兄さんに忘れられずにすむ。
弱くて惨めで虚構にまみれた紛い物。
「だけど……それでも、それでも……!」
分不相応にも、あこがれてしまったのだ。
モニターの先にいた最強に。
どんな逆境にいても、勇気と知略と計略で必ず勝ってしまう。
本物に。
「私はなるんだ……! Sintaroみたいな強い男に……ッ!」
折れそうな心を無理矢理奮い立たせて、銃を構える。
rulerは私をなめ切っている。その慢心を突くしか私に勝機はない。
無警戒に私の目の前に躍り出る北米最強のスナイパー。周りには隠れられる遮蔽物なんてない。
撃ち合える……!
期せずして到来した好機。望んでいた泥沼の近距離戦。すぐさま照準を合わせる。
兄さんの顔が、走馬灯のように脳内を駆ける。
diamond rulerを殺して……私が兄さんの隣に……!
「だめ、しね」
底冷えするくらい冷淡な声。
私の思考を読んだかのように、ボイスチャットをオンにしてdiamond rulerはそう呟いた。
ごりっ。
それと同時に、ヘッドセットから鈍い音が聞こえる。
「……超高速エイム……っ」
しばらくして、画面が暗転した。
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