55話 新たに芽生えた感情と、ようやく出てきたハーレム要素
「……はぁ……っ……」
喉の奥から血の味がする。
予選最終ラウンドをなんとか1位で突破し、勝利者インタビューを終え、俺は控え室に向かっていた。
決勝ラウンド進出を決めたからか、それまで俺の体を支えていた緊張の糸がとけ、とてつもない疲労感が全身を襲う。
選手控室まであと少し。
それなのに、だんだんと意識が朦朧としてくる。
「……っ」
硬そうな緑色の地面がグングンと迫ってくる。
……いや……違うな……。
顔を近づけているのは、俺の方か。
そんな呑気なことを考えながら、俺は硬い床に倒れこみそうになる。
目をつむって痛みに耐えようと歯をくいしばる。もはや床に手をつく元気さえない。
「っと……」
柔らかい何かに体を支えられたかと思うと、聞き慣れた声が耳元で囁いた。
「まったく、無茶しすぎよ……」
「……奈月、ありが……と……」
俺はそれだけ呟いて、意識を失った。
* * *
「タロイモくんは大丈夫ですか!?」
勢いよくドアを開けて、ホテルの一室に飛び込んでくるベル子。
ジルと一緒に先ほどの大男とのやりとりを終え、急いでやってきたのだろう。いつも綺麗にセットされている亜麻色の髪の毛は、汗で頬にはりついていた。
「シンタローなら大丈夫よ、疲れ果てて今は寝てるけど」
「そ……そうですか……よかった……」
ベッドに寝ているシンタローを見て、胸をなでおろすベル子。
「それで、そっちの件はきっちり片付いたの?」
ボロボロの状態であるシンタローを放っておけるはずもなく、大男を拘束した後、私だけシンタローの後を追ったのだ。
「……はい。大会関係者に連絡して、身柄を引き取ってもらいました」
「そう……まぁそうなるわよね」
この一件に警察が介入すれば、私たち選手や大会関係者、この大会を見に来た観客達にまで迷惑をかけることになる。
直接の被害を受けたシンタローとベル子が被害届を出すというのであれば話は別だろうけど、警察より私たちに頼った時点で、シンタローは警察を介入させる気はないのだろう。
「それで……その、結果はどうなったんでしょうか……?」
恐る恐るといった具合で質問してくるベル子。
主語はないけれど、シンタローが単独で挑んだ予選最終ラウンドの結果を聞いているということは簡単にわかった。
バツが悪いのも仕方ない。
今回シンタローが一人で戦う理由になったのは、彼女の責任が大きいと、彼女自身が強く感じているのだ。
だからこそ、私はまるでこの結果が当たり前のことのように、ボソリと呟く。
「1位だったわよ」
「…………えっ?」
「だから、1位、last winner」
「…………く、cross flareは?」
「シンタローに正面からボコボコにされて2位」
「…………何が起きたんですか?」
強者が集まる公式大会でたった一人にもかかわらず、勝利してしまう道理がわからない。といった雰囲気で質問を重ねる彼女。
何度も当たり前のことを告げるのも億劫になるところを、何故か私は少し得意げになって伝える。
「強い者が生き残る。当たり前のことよ」
「……本当に強いんですね……タロイモくんは……」
噛みしめるようにつぶやくベル子。
仲間の為にボロボロになるまで殴られて、それでも立ち上がり試合に出て、1位になってしまう。
側から見ればシンタローは、傍若無人までの強さを見せる超人のように見えるかもしれない。
……けれど私はそうは思わない。
「シンタローは臆病なのよ。きっと」
「……臆病?」
私が言った言葉の意味を反芻するけれど、意味がよくわからないと言った具合で、ベル子は小首を傾げた。
「自分の事なんかよりずっと大事なものを失うのが怖いから、シンタローは文字通り死ぬ気で頑張るの」
私は、シンタローの前髪を左手で梳きながらそんな事を呟く。
「予選最終ラウンドで負けて一番悲しむのは誰? 悔しいのはだれ? ……あの状況であれば私やシンタローやジルじゃない。間違いなく一番責任を感じるのはアンタでしょう。だからシンタローは負けられなかった」
「……っ」
「……もちろん、あの最終ラウンドにソロスクで挑むのがシンタロー以外でも同じことを思ったでしょうね。……まぁ、勝てるかどうかは別として……」
私の言葉に、息を呑む彼女。
大きな胸に手をあてたかと思うと、頬を朱に染めて、新たに芽生えた感情を隠そうともせず絞り出すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「…………奈月さんは、こういう気持ちだったんですね」
「…………」
私は返答できなかった。
それを認めれば、彼女の気持ちを肯定してしまうような気がしたからだ。
「俺のSintaroは無事かッッッ!?」
少し気まずい空気をぶち壊し、ジルがドアを破壊する勢いで部屋に入ってくる。
私は先ほどベル子にしたのと同じような説明を、ジルにもした。
* * *
「っ……」
重たい瞼を開ける。
昨日も見たホテルの一室の平凡な天井が、視界の8割を占めていた。
残りの2割は、ボヤけた金色。
何かはわからないけど、とてつもなく良い匂いがするソレ。
おかしなことに体はまったく動かないので、首を横に動かして、金色の正体を視界におさめる。
「……んっ……くぃーん……」
ジルだった。
驚くほど端正な顔をした。
ジルだった。
金色の正体は、俺に抱きつきながら添い寝をしているジルだった。
「おい……どけって……っ!!」
ジルをなんとか押しのけようとするけれど、また別方向から力が加わっていることに気付く。
それを確認すべく、今度は左側を向く。
「…………な……奈月さん?」
「んぅ……」
奈月だった。
驚くほど端正な顔立ちをした。
奈月だった。
俺を押さえつけている謎の力の正体は、俺に抱きつきながら添い寝をしている奈月だった。
「くっ……!」
唇が触れそうなほど近くにいる幼馴染にもにょりながらも体を起こそうとする。
けれど。
下半身さえもまったく動かなかった。
「なんだよこれ……まさか! 金縛りってやつか……!?」
お腹にのしかかっている正体不明の物体が、幽霊的な何かではないことを願って、俺は恐る恐る首を起こす。
「…………たろ……いもく……ん……っ」
ベル子だった。
驚くほどお胸を押し付けてうつ伏せで俺の上で添い寝? をぶちかましているベル子だった。
「……ジルさえいなきゃとんでもねぇハーレムシチュエーションだったな……」
だが、今回ばかりは感謝しなければなるまい。
ジルがいなければ、ベル子のやわらかいベル子のせいで、俺のシンタローがシンタローしてしまっていただろう。
お母さんの裸を想像したらすごく萎えるだろ?
ジルとはその現象と同じものを感じた。
「さて……どうしたものか……」
体がまったく動かないこの状況で、俺がどうにかして抜け出す思案を巡らせていると、ドアが開く音が聞こえた。
「ちょ……! 違うんです! これは違うんです!」
大会関係者が様子を見に来たのかと慌てて弁明するも、その必要がない人物だとすぐに悟る。
「しんたろ……よせんとっぱ、おめでとう」
身動き取れない状態で出会いたくない人ナンバーワンであるDiamond rulerさんが、降臨なされた。
「る……rulerさん、ちょっと僕たちの部屋に凸しすぎでは?」
「……わたし、にほんご、わからない」
「……そっ、そっすか……」
「ところで、しんたろ」
「……どうされました?」
「いま、うごけない?」
「……はい」
「千載一遇のちゃんす」
「しっかり四字熟語使いこなしてんじゃねぇよ!」
ジリジリと距離を詰めるrulerに、舌の根が乾いていくのを感じながら俺は必死に体を揺すって対ruler用決戦兵器である2Nを起こそうとする。
「奈月起きるんだ! パターン青だ! 使徒が接近している……っ! 俺のセントラルドグマが無防備だぞ!!」
「……んぅ……しんたろぉ……そこはなめるばしょじゃないよぉ……」
「お前どんな夢見てんだよ!?」
どんどん近づいてくるrulerこと、白銀の美少女であるルナの顔面。
「……っ!」
俺はいろいろな覚悟を決めて目を瞑った。