50話 ベル子がYouTuberになったわけ 4
涙が落ちる音が聞こえた。
ベル子は泣いている。
家族のために、必死に大人になろうとした彼女。
寂しいという感情に無理やり蓋をして、たった一人で、必死に頑張ってきたんだろう。
俺のしていることは、彼女の努力を踏みにじる行為なのかもしれない。
けれど、苦しそうにもがいている仲間を見捨てることなんて俺にはできなかった。
「ベル子俺は、いや俺たちは、お前とずっと一緒だ」
俺には、ベル子の寂しさを埋めることはできない。
だけど、寄り添うことはできる。
彼女が苦しむなら、一緒に苦しんでやりたい。彼女が笑うなら、一緒に笑ってやりたい。奈月も、ジルも、絶対に同じ気持ちだろう。
「なに……かっこつけてるんですか……タロイモくんのくせに……っ」
そう言って、ベル子は少しはにかむ。
宝石のような涙を、目尻に溜めながら吹っ切れたように笑う彼女に思わず見入ってしまう。
「……そろそろ会場に戻るぞ」
少し照れくさくなって腕時計に視線を落とす。
時間は思った以上にたっていた。そろそろ会場に戻らなければ試合開始に間に合わなくなってしまう。
予選最終戦を不戦敗で負けるなんて前代未聞だ。それだけは避けなければならない。
「そうですね。……女子トイレで二人きりでいるところを誰かに見られでもしたら、確実にネットのおもちゃにされちゃいます」
すっごいしんみりした空気だったけれど、冷静に考えてみれば女子トイレに単身乗り込んで女の子を説得するなんて、傍目からみたらただの変態でしかない。
ただでさえ、あの紛らわしい動画(タロイモ、ベル子と同じ籍に入る事件)のせいで、散々BellKファンに叩かれまくっているのだ。これ以上叩かれれば今度は俺のメンタルが崩壊してしまう。
ベル子の手を引いて、女子トイレから出ようとすると、大きな何かにぶつかる。
「っ……すみません」
誰かにぶつかったのだと思って、俺はすぐさま顔をあげて謝る。
「……っ……?」
誰かにぶつかったという認識は間違っていなかった。
けれど、問題だったのは、そのぶつかった相手の性別や、容姿だった。
一言で表現するならば、太っている大男。
脂ぎった髪の毛は、乱雑にのばされており、ピチピチのTシャツは汗でぴったりと体に張り付いている。ツンと鼻を刺す汗の臭いで俺は思わず顔をしかめてしまった。
そんな様子の俺を、大男はひと睨みして、すぐさまベル子のほうへ向き直り気持ち悪い猫なで声を浴びせた。
「ベル子ちゃん……僕を裏切ったの? 彼氏である僕を、裏切ったの?」
「ひっ……!」
この大男が発した一言で俺は察してしまう。
こいつ、ベル子のファン(過激派)だ。
言うまでもなく、ベル子はとんでもないくらいの美少女だ。その美少女が顔出しでゲーム配信していればこう言うタイプのファンも湧いてしまうのだろう。
ゲーマーというよりか半ばアイドルのような扱いを受けている彼女。
そんな彼女と限りなく近くに接近できるこの公式大会を、この大男は狙っていたのかもしれない。
怯えるベル子と、大男の間に立つ。
女子トイレの出口を塞ぐようにして立つ大男。外を見る限り、歩いている人はいない。それもそのはず、ここは会場からかなり離れたトイレ。試合がもうすぐ始まりそうな現在は、観客たちはとっくに会場の方へ足を運んでいるだろう。
「すみません、俺たちそろそろ試合があるんで」
なるべく大男を刺激しないように、ベル子の手を引いて大男の隣を通ろうとする。
けれど、大男の丸太のような太い腕で遮られた。
「お前、僕の彼女になに触ってるの?」
額に青筋を浮かべて妄言を吐く大男。
……いや、確認もせず、妄言と決めつけるのは良くないな。
俺は一応、ベル子に確認をとる。
「なぁ、この人ってお前の彼氏?」
「そんなわけないじゃないですか……!」
俺の耳元で小さく叫ぶベル子。
大男は、それを見て、さらに語気を荒げる。
「触るなっていってるだろ!」
「うおっ!?」
不恰好に拳を振り回す大男。それを間一髪でかわす。
大きな体躯から繰り出されるだけあってとんでもない迫力だった。
俺みたいなモヤシゲーマーが一撃でももらえば、速攻で気絶するだろう。
「ベル子怖い助けて」
大男の拳圧にビビりすぎて思わずベル子の後ろに隠れる。
「ちょっ! 女の子の後ろに隠れるなんて流石にタロイモが過ぎますよ!? 私みたいな美少女といつも一緒にいるツケというやつです、潔く一発殴られてきてください……!」
「無茶言うなよ! 俺は一発でももらえば死ねる自信があるぞ……!」
「こんな情けない世界最強はじめて見ました……!」
やいのやいのとベル子と言い合っていると、大男が腕を振り上げて壁を叩いた。
歯をガチガチと鳴らして、大男はひどく興奮している様子だ。
「ねぇ、ベル子ちゃん。こっちにおいで……? いつもみたいに僕と仲良くしようよ? ね? そんなタロイモなんか放っておいてさ……ね?」
これ以上、彼を刺激するのは得策じゃない。
ベル子に目配せをすると、彼女はコクリと頷いた。
ベル子ならば、お得意のリップサービスで、この大男の興奮を鎮めてくれるはずだ。
試合開始の時間は刻一刻と迫っている。
そろそろ本気でやばい。
「あのぉ、そろそろ試合始まっちゃうんでぇ、消えてもらってもいいですかぁ〜?」
「ちょっとベル子さん?」
動画を撮る時のような甘ったるい声をあげるベル子。
声音は可愛らしいけれど、発している言葉は中々に物騒だった。
一瞬、大男を刺激したかと身構える。
けれど、大男はベル子の言葉の意味なんか全く気にしていない様子で、さらに妄言を垂れ流す。
「そうなんだね、ベル子ちゃんはタロイモに騙されてるんだね、わかった、すぐに僕が助けてあげる」
「タロイモくん……この生き物言葉通じないんですけど……!」
目を血走らせて、大男は腕を振り上げる。
俺は咄嗟に、ベル子の前に躍り出た。