19話 夫婦喧嘩
「おい奈月っ!!」
部屋を勢いよく飛び出した奈月に、俺はヘッドセットを外して、大声で叫んだ。
けれど、奈月は止まらない。
水滴のようなものが、フローリングに落ちる音が聞こえた。
「ッ……! なんだよアイツ……紅白戦くらいでそんなに熱くならなくても……」
「……奈月さん、大丈夫でしょうか……タロイモくんがあんな勝ち方するからいけないんですよ! はやく追いかけてください!」
ベル子が隣でぷんぷん怒っているのを尻目に、俺は大きくため息を吐いた。
「……仕方ないだろ、勝負なんだから」
椅子の背もたれに体を預ける。
2Nさんとは言葉を交わすまでもなく、完璧に連携がとれるのに、奈月のことは、どれだけ言葉を交わそうとも、まったく理解できない。
床に落ちた奈月の涙を見ると、胸がズキズキと痛む。
昔からそうだ、奈月の涙を見ると、俺はどうしようもなく、心が痛くなる。
俺がどうしていいかわからず、ぼーっとしていると、突然、ジルが立ち上がる。
「おいシンタロー」
「……何だよ、見ての通り、今はお前と絡む元気は無いぞ」
「立て」
「……は?」
「今すぐ立って、奈月を追いかけろ」
いつもと違う空気を、ジルは発していた。
俺は、当たり前のことを他人に叱られて、どうしようもなく恥ずかしくなった子供のような気持ちになった。
「……なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ」
思わず、ジルに反発してしまう。
「大体、奈月が勝手に癇癪起こしただけだろ? 負けて悔しいなら、勝てば良かったんだ。強ければ良かったんだ。俺たちももう小学生じゃない、あいつのフォローなんていちいちしてら
俺がその先の言葉を発する前に、ジルは俺の胸ぐらを掴んで、鋭い眼光でにらみつける。
「…………おい、仲間だぞ?」
ジルのその言葉に、熱くなっていた脳みそが一気に冷たくなる。
「奈月がなんで部屋を出て行ったのか、馬鹿な俺にはわからない。けれど、泣いていた。悲しそうにしていた」
胸ぐらを掴む力がどんどん強くなる。
今までに見たことが無いくらい、怖い表情で、ジルは重たく、強く、言葉を発した。
「俺は、仲間を泣かせたまま蔑ろにするような男に、惚れた覚えは無い」
ジルのその言葉に、俺は一瞬泣きそうになって、すぐさま自分がどれだけ愚かで情けない事をしようとしたか、理解した。
奈月が弱いから悪い。
俺はまた、そんな言葉を吐いてしまった。
5年前と同じ事を、繰り返すところだったのだ。
「……お前に説教されるとか、情けねぇな、俺……」
「情けなくたって、俺たちのリーダーだ。さっさと行け」
「……女の子を泣かせたままにするなんて、本当のタロイモになっちゃいますよ?」
ジルとベル子の言葉を聞いて、ようやく椅子から立ち上がる。
奈月が強さにこだわる理由を、俺はまだ完全に理解したわけじゃない。
けれど、ジルが言うように、悲しんでいる仲間がいたら、困っている仲間がいたら、全力でカバーする。
当然のことなんだ。
「……すまんジル! ベル子! 休憩時間ってことでよろしく!」
そう二人に言い残して、俺は奈月を追って部屋を飛び出す。
二人の返事が、遠くから聞こえた。
奈月がどこに芋るかくらい、幼馴染の俺には手に取るようにわかる。
靴を乱暴に履いて、俺は玄関を飛び出した。
* * *
汗でシャツが体に張り付く。
3分くらい、全力疾走して、ようやくたどり着いた。
この辺りで一番高所にある、灯台に。
「はぁ……はぁ……やっと見つけた……!」
目尻を赤くした奈月がこちらを振り向いて、驚く。
「ど……どうしてここが……!?」
「……何年一緒にゲームしてきたと思ってんだ、俺だって2Nが芋るとこくらい簡単に見抜けるんだよ」
紅白戦で奈月が俺の芋り場所を的確に当てたように、俺も、奈月の芋る場所くらい簡単に当てられるのだ。
「昔からそうだよな……嫌なことがあると、一番高くて見晴らしの良いところに隠れる。マジで生粋のスナイパーだよ、お前は」
「………別に隠れてなんかないし、ちょっと……その、目にゴミが入っただけなんだからっ…!」
「目にゴミが入っただけでこんな所まで全力疾走してんじゃねーよ……」
俺はぶつぶつ言い訳するツンデレ幼馴染の隣に腰を下ろす。
彼女は少し顔を赤くして、うつむく。
「……離れなさいよ」
「……嫌だ」
「別に、アンタなんかに励まされなくたって、別に悲しくなんてなかったから、目にゴミが入っただけだからっ! 勘違いしないでよね…!」
「お前……その言い訳が通用するのは小学生までだぞ……」
「うっさい! 大体なんなのよ! 死体を囮に使うなんて聞いたこともないわよ! 変態! タロイモ!」
「……お前困ったら罵倒する癖どうにかした方がいいぞ」
「余計なお世話よ!」
肩が触れ合う。
無言の時間が続く。
次に紡ぐ言葉が見つからない。
だから、俺は、5年間、ずっと喉につかえていた言葉を吐き出す。
「奈月、ごめんな」
彼女は、驚いたような顔をしていた。
実を言うと、俺も驚いていた。こんな事、むず痒くて、恥ずかしくて、いつもなら言えない。
ジルの臭いセリフ病がうつったのかもしれない。
俺は、ゆっくりと二の句を継ぐ。
「俺、ずっと謝りたかったんだけど、子供だからさ……お前の優しさに、ずっと甘えてた……だから、ちゃんと謝る。5年前、酷いことたくさん言って、ごめんな」
言葉を選びながら、ゆっくりと、話す。
たったこれだけの言葉じゃ、許されるはずもない。それだけのことを俺は奈月にしたのだ。
「……っ! シンタローは悪くない……私が、シンタローのこと、ちゃんと守ってあげられなかったから……!」
奈月はまた、じわりと涙を瞳にためる。
「シンタローが、死ぬほど辛い思いをしてたのに、私、何もできなかった……!」
5年前。
俺は、大好きだったお父さんとお母さんを、一度に失った。
お父さんも、お母さんも、俺を命をかけて守ってくれた。
何度後悔したかわからない。
親を殺した銃弾の音が、耳から離れなかった。
俺が強ければ、俺の持っていた銃が本物なら……。
そんなどうにもならない事を、ずっと考えていた。
心が荒んで、仮初めの強さだけを追い求めて、FPSをはじめた。
どんどん上がっていくランキングだけが、俺の心の支えだった。
そんな時に、俺は2Nに、出会ったのだ。
「俺が、お前にどれだけ救われたか……楽しそうにゲームをするお前に……どれだけ救われたか……」
奈月につられて、何故か俺まで涙目になる。
「俺の背中を、2Nは、ずっと守ってくれてたよ」
5年前から、伝えたかった謝罪の言葉はもう告げた。
だから、次は、5年間の想いを、伝えよう。
「奈月、ありがとう。ずっと、そばにいてくれて」
「……っ」
奈月も俺も、泣きそうになりながら、目を合わせる。
「これからも、そばにいていい……?」
奈月は、俺にゆっくりと顔を近づけながら、そう呟く。
「あぁ、俺たちは仲間だ」
吸い込まれそうな、瞳。
俺と奈月の距離が、どんどん近くなる。
心臓の音が聞こえそうなくらい、吐息がかかるくらい、近くなったその時。
背後から、無駄にイケボで、うざったい声が聞こえた。
「浮気か? Sintaro」
俺と奈月の背後に、びっくりするくらい怖い顔をした親友が立っていた。
その後ろには何故かほっぺをぷくーっと膨らませたベル子も居た。
「ジル!? どうしてここに!?」
「GPS」
「お前いい加減捕まれ」
「ウサギ女……あんた本当にタイミング悪いわね。そんなんだから私に綺麗にヘッドを抜かれるのよ」
「泣き虫泥棒猫に言われたくないです」
「は?」
「あ?」
俺たちは互いに言い合いをしながら、コテージに向かって歩みを進める。
合宿はまだ始まったばかりで、練習もほんの少ししかしていないけれど、俺は何故か、チームが少しだけ強くなった気がした。
次回!
ジルと一緒にお風呂!
デュエルスタンバイ!!