99話 変異
「はぁ……はぁ……」
汗でシャツが体に張り付く。
呼吸を深くし、脳に酸素を回す。
俺は数々のからめ手を駆使して、どうにか戦況を自分の得意な屋内戦に持ち込んでいた。
「やっぱこいつが残るよな」
Gosh。
別ゲー、CSGDのプロゲーマー。
今年の春に急に引退を表明し、『Recipro Gaming RLR部門』のトライアウトを受け、そして合格。
前期RJS、grade2で、チームに途中加入ながらも最多キル賞を三度獲得、grade2を落ちかけていたsaturation残留に大きく貢献した。
その功績から、今季のRJSからgrade1のチームであるRecipro Gaming Grayグレイに移籍が決まっている。
つまり、今年のRJSで確実に当たる強敵。
Recipro Gaming saturation。
RGSは、メンバーが欠けながらも、前半戦、次々に敵チームを落としていた。
「…………」
画面右上には『生存人数2』と表示されている。
キルログをまともに確認する暇がなかったけれど、生き残っているのは十中八九、Goshだろう。
コの字マンションの二階。
東側の小さな小部屋に芋り、敵をさばき続けてきた俺は、乱れていた呼吸をゆっくりと整える。
「殺すしかない」
Goshさえ殺せば、先ほどまでの俺の失態は無かったことになる。
勝てばいい。
皆殺しにすればいい。
負ければ、大切なものを失う。
シンプルな話なのだ。
俺がここで負ければ、真田さんに断定されてしまう。
UnbreakaBullは大したことない、と。
それだけは許容できない。
たった一回のスクリムなのに、大げさだと笑われるかもしれない。
俺自身も、スクリムが始まるまでは負けてもいいと、なにか有益な失敗ができれば、次につながる何かが見つかればそれでいいと思っていた。
負けたくない。
失いたくない。
過去の忌まわしい記憶がよみがえる。
奈月が、ベル子が、ジルが、俺のミスによって落とされたこの状況が、嫌でも結びついてしまう。
父さんと、母さんが死んだあの日と。
「お前、雨川真太郎だろ?」
「!?」
驚きのあまり、体が強張る。
声が聞こえてきた。
低く、俺を馬鹿にするように、珍しいおもちゃを見つけような、そんな声。
コの字マンションの二階。
そこにある小さな部屋。
中央に階段があり、俺が芋っている小部屋は、体を預けている壁は、その階段に面している。
なぜ俺の場所を特定できたのか。
なぜ足音を消してまで接近したのか。
なぜ先手をとれるアドバンテージを捨ててまで声をかけてきたのか。
なぜ俺の本名を知っているのか。
様々な疑問が脳裏を駆け巡る。
とにかく彼は、Goshは、階段側から薄い壁へだてて、オープンVCで俺に声をかけてきたのだ。
プロゲーマがしのぎを削る、このスクリムで。
「弱いなぁ」
「ッ」
わざわざ自分の位置を知らせてまで煽ってきた馬鹿に、手榴弾を投げ込もうとした刹那。
「お前は俺と同類だ。人を殺した音を知ってる」
思わず手が止まる。
「この前の高校生大会見たよ。仲間のために戦うって感じのムーブでさ、心底気持ち悪いって思ったよ。あんな雑魚共をキャリーしてやってさ、お仲間ごっこして気持ち良くなってたんだろ? 本当はお前ひとりの方が強いのに、ひとりはさみしいから、怖いから、適当に理由を作って仲間だのなんだの茶番やってんだろ?」
はらわたが煮えくり返る。
俺は一心不乱にキーボードのVを押した。
「お前に何がわかる」
「分かるよ」
俺の怒気をはらんだ声を聞いて、嬉しそうにGoshはそう言った。
「お前がFPSを始めた理由と、俺がFPSが始めた理由は同じなんだよ」
「……どういう意味だ」
「思い出せよ。あの甘美な時間を」
俺がFPSを始めた理由。
思い出したくない。
忘れたい。
そう願っても、心の根底には、ずっと、ソレはあった。
「お前の親が撃ち殺されたあの日、俺はその場にいたんだ。お前と同じ場所にいたんだよ」
心底幸せそうに、彼はそう言った。
「銀行強盗。自作の銃を持った犯人。その犯人を止めようとしたお前の親。くくく……最高だったよ。脳天撃ちぬかれるお前の父親は、お前を守ろうとした母親も、胸撃たれて失血死だったよな」
何かが抜け落ちる音がした。
「銃が目の前に転がってたのに、お前は何もできなかった。殺される母親を、倒れている父親を見ていることしかできなかった。その銀行から逃げ惑うやつらを無視して、俺はその一部始終をずっと見ていた」
「……」
「真太郎、俺とお前は一緒なんだろ? あの時の銃声が忘れられなくてFPSを始めたんだろ? 現実じゃ銃なんて手に入らないもんなぁ? 殺してもすぐに捕まっちまうもんなぁ?」
「…………」
「でもゲームなら、何人殺したって捕まらない」
「………………」
「俺ぁ忘れられないよ。今も勃起してる。お前だけが俺のこの気持ちを分かってくれるよなぁ?」
「……………………」
「俺とお前は同類なんだから」
目の前が真っ赤になる。
奈月。
ベル子。
ジル。
ごめん。
チームの名誉。仲間。日本リーグ。
もうそんなのはどうでも良くなった。
とにかく今は。
こいつを殺さなければ。
それしか考えられなかった。
「待ってろ。すぐに殺してやるからな」
「ひひっ! 早く来いよッ!」
始まる。