95話 フラグブレイカー
意を決して、コンテナ群に飛び込む。
錆びたコンテナが乱立したこのエリアは、さながら巨大迷路のよう。
視界は悪く、曲がり角に敵がいたとしても知るすべはない。
重要なのは足音を聞く索敵能力。半径十五メートル以内に接敵すれば、必ず足音は聞こえる。
「ジル、足音聞き逃すなよ」
「あぁ」
短くそう言って、耳を澄ませる。
……ベル子なら、敵が半径四十メートル以内でわずかでも音をたてればセンチ単位で場所を特定することができるんだけど、俺たちはそうはいかない。自らの発言、声音でさえも、今は索敵の邪魔になってしまう。
息を殺し、ゆっくりすり足で、細心の注意を払いながらじわじわと進んでいく。
向こうも足音を聞かれないように歩きながら俺たちの居場所を探っているはずだ。
歩きの足音が聞こえる範囲は、常人であればせいぜい五メートルが限界。乱雑に並ぶコンテナの大きさは直径およそ六メートル。
つまり、今俺が見つめている曲がり角に敵がいたとしても、『歩き』を敵が使っていれば気付くことはできないのだ。
U18全国大会に出場していたアマチュア選手なら、不用意に発砲したり足音を立てていただろうけど、今接敵している敵はまごうことなきプロゲーマー、しかもRJSでもトップを争う実力のBST。相手のミスは期待できない。
勝負は一瞬。
曲がり角でかち合えば、エイムの速さで勝負が決まる。
「……っ」
のどを鳴らす。
情報が……。情報が欲しい……っ!
少しでも敵の位置が分かれば、ブラフでも何でも使ってさらに情報を引き出し、射線を合わせず敵を投げ物で焼き殺すことができる。
先ほど取り乱したせいで、そんな貴重な情報を得るチャンスを取り逃した。
こうしてエイム勝負に持ち込まれているのは、俺が冷静さを欠いたせいなのだ……。
「あまり気に病むな、シンタロー」
親友の声に、とめどないマイナス思考の波が止まる。
「ジル……すまん、いろいろ考えすぎるのが俺の悪い癖だよな」
負けない為に、少しでもリスクを減らす為に頭を回す。
それ故に、窮地に追い込まれた時に思い切ったムーブができない。
俺が2Nさんの正体を知る前、ジルやベル子とチームを組む前。ソロでやっていた頃はそんな消極的すぎるムーブじゃなかった。
負けないようにするんじゃなくて、貪欲に勝ちに行く。
負ければそれまで、俺が弱かっただけ。
負けても、たったその一言で済んだのだ。
けれど今は違う。
負ければ、傷つくのは俺だけじゃない。
奈月やジル、ベル子と、世界大会に行けなくなる。
今のスクリム以上にレベルの高いRJSで無様に敗北すれば、伝説とも呼べるFPSプレイヤー真田さんが率いる『Recipro Gaming Gray』に勝利を収めなければ、世界大会への道は閉ざされるのだ。
だから、負けるわけにはいかない。
「……俺は、奈月やジルやベル子を最強にする……こんなところで負けてられない……っ!」
もう、自分の強さだけを追い求めていたあの頃とは違う。一人だけ強くなればいいと思っていたあの頃とは違う。
みんなで一緒に、世界に行く。
「……ありがとう、シンタロー」
優しい声音で、そう言うジル。
「シンタローのその優しさ、強さのおかげで、アマチュアでくすぶっていた俺たちは海外の強豪チームを退けてU18全国大会で勝つことができた」
違う。俺だけの力じゃない。そう訂正しようとしたけれど、ジルは続ける。
「だから、今度は俺たちがお前を……クイーンを勝たせる」
土埃が舞い、視界を悪くする。
じわりと、ジルは俺の前に躍り出た。
「ジル……それじゃあ射線が合わないだろ……!」
ジルが俺の目の前にいれば、敵二人と接敵した瞬間に俺は敵を撃てず、ジルのみが敵の攻撃を受けることになる。
撃ち合い最強のジルクニフとはいえ、プロゲーマー相手に二対一で勝てるわけがないのだ。
「……情報があれば勝てる。そうだろう?」
その言葉を聞いた瞬間。俺はようやくジルの不可解な行動の意味を理解する。
自動小銃の王様は、自らを盾にして俺に情報を与えようとしているのだ。
たとえ自分が撃ち負けたとしても、敵の位置を知った俺なら、確実に勝てると、そう信じきっているのだ。
少し前のジルクニフなら、そんなムーブは絶対にしなかった。……いや、できなかったと言ったほうが正しいだろう。
敵の位置を知ることの大切さ。情報共有の大切さ。ジルが最も苦手な部分、そんな分野で、彼は焦る俺に進言したのだ。
「あぁ、勝てる。勝ってみせる」
親友が、自らを盾にして情報を得ようとしているこの状況で、負けることは許されない。
敵の位置さえわかれば絶対に勝てる。勝たなければいけない。
「オーケー。俺は王様。クイーンを絶対に殺させはしない」
頼しすぎるそのセリフを聞きながら、俺はジルの背後に隠れる。
接敵すれば、間違いなくジルは蜂の巣にされるだろう。
しかし、数秒の時間ができる。
その間に、俺はジルが攻撃していない方の敵を瞬時に判断し気絶まで持っていく。
一瞬の攻防に備え、意識を集中させる。
じわりと滲む汗。
巻き上がる土埃。
遠くでなるスナイパーライフルの銃声を聞きながら、すり足で索敵していく。
まばたきさえも押し殺し、深く、深く、エイムに意識を集中させる。
「……来る」
ジルの一言に、すぐさま足を止め、ジルがゆっくり歩いて行くのを身守る。
おそらく、そのコンテナを右に曲がったところに敵がいるのだろう。
歩きの音が聞こえたなら僥倖。
敵のいるおおよその位置に手榴弾を投げ込みたいところだけど、ここまで接敵していれば手榴弾の雷管を抜く音さえも聞かれてしまう。
ここまで近く、そして静寂に包まれた戦場じゃ、投げ物に頼ることはできない。
引き金に指をかけ、息を止めコンテナの曲がり角にエイムを合わせる。
「……」
不甲斐ない自分が情けない。
仲間を犠牲にしなきゃ、勝つと断言できないのだから。
じわりじわりと、ジルクニフはコンテナの曲がり角に銃口を向けながら曲がる。
勝負は一瞬。
十中八九ジルは落とされる、落とされた後、彼の命を救えるかどうかは俺のエイム次第。
ごめんジル……絶対にお前の死を無駄にしない。
そう誓った瞬間。
アサルトライフルの銃撃音が三つ、戦場に轟く。
「敵二人! 右角直線張り付きッ!」
短い言葉でそう言い残し、ジルはなおも引き金を引き続ける。
接敵し、そして今コンテナ先の敵とジルが撃ち合っている最中、足音を銃声でかき消せる今が、最大の好機……!
どんどん削れるジルのHPを尻目に、俺はコンテナに飛び乗る。
山上からの射線が怖いけれど、今はそのリスクを冒してでも正面の敵を制圧するべきだ。
そう決めつけて、コンテナ上から右曲がり角にいるであろう敵を覗く。
「ジルすまん、これで終わりだッ!」
腰ダメで、残った敵二人を血祭りに上げてやろうとした。
したんだけど……。
あれ……?
「死体、二つあるんだけど……」
ボソッとそう呟く。
「殺した」
「へ?」
「二人とも殺した」
「……な、なんで勝ってるんだよ……お前が命と引き換えに情報とる雰囲気だっただろ……!」
俺はあまりの予想外の展開に、そんな意味のわからないことを言ってしまう。
散々自らの命を犠牲にするようなセリフを吐いておきながら、数的不利を覆してプロゲーマー二人を蜂の巣にした自動小銃の王様は、自慢げに大仰に、こう言った。
「王様は、一言足りとも負けるなんて言っていないぞ?」
天然なのか馬鹿なのか、ウチの最強アタッカーはとにかく自分が負けるなんて微塵も思っていない様子だった。
「はぁ……本当にお前は頼りになるアタッカーだよ……」
ため息まじりにそう呟きつつ、敵の物資を漁る。
窮地を脱した今、すぐさま奈月のカバーに行かなくてはいけない。
あいつも四人の敵を山上で相手にしているのだ。
今頃きっと息ができないくらい苦戦しているに──
「山上の敵終わった」
「……へ?」
「……だから山上の敵、全員抜いたって言ってんの、早くポジションとりにいくわよ」
「あ、はい。すんません」
あれ? 相手はプロゲーマーだよね……?
なんでこんなに無双してんの……?
心ので抱いた疑問に、奈月が返答する。
「いつまでも、アンタにおんぶに抱っこの私たちじゃないってこと。……わかったなら、たまには私たちを頼りなさい」
恥ずかしそうなそのセリフを聞いたあと、何故か瞳がじわりと濡れる。
俺の記憶が確かなら、ジルも奈月も数週間前まではここまで強くなかった。
おそらく、死に物狂いで修練を積んだのだ。
チームとしてもっと高みにいけるように、誰も、失わない為に。
「ありがとう……助かった……」
お礼の言葉を告げて、すぐさまマップを開き、次のムーブを考える。
ここまで撃ちあえるなら絶対にやれる、プロゲーマー相手にも戦える……!
まだ窮地を脱したわけじゃないけれど、俺の口角は自然と上を向いていた。