3.思いやり
3 、思いやり
僕は昔からあまり人の気持ちがわからない人間だった。空気を読めないというか…人とうまく話すことができなかった。例えば、みんなが感動している場面なのに1人冷めていたりなんてことはしょっちゅうである。
そこが自分の欠点なのは重々承知しているが、別に人と話さず1人で過ごせばその欠点が発揮されることはないと考え、高校大学とコミュニティには属さなかった。属さなかったの間違いかな?
まあ何にせよ特に直そうともせず過ごしている時に彼女に出会った。この人にだけは嫌われたく無い、そう思った。出来るだけコミュニケーションの方法などが書いてある胡散臭い本を読んだり、出来るだけ人と関わるように努力した。そうしてまあ人並み程度には、周りに溶け込めるようになった。
その後僕は猛アプローチをかけ、結果的に結婚でこぎつけた。これに関しては本当によくやったと思う。
しかし、結婚してから同棲を始めたのが間違いだったのかもしれない。
日常的に常に僕と一緒にいるようになった彼女は、隠してきた僕の欠点に気付き始めた。
「何で今その話なの?」とか
「たまに会話のキャッチボールが出来ない」
など、どうして怒られているのか僕にはわからない理由で彼女に怒られることがあった。
妻が出て行く数週前にも
「あなたは本当に思いやりのない人ね」と言われたのを強烈に覚えていた僕は、妻が出ていった後思いやりを手に入れることにした。
前述した料理や洗濯と違い、思いやりなんて概念でしかなく漠然としすぎている。思いやりとやらを手に入れるためにはどうすればいいのか…
そんなことを考えながらテレビをつけると、世界で起きている戦争のことやら近所で起きたらしい誘拐事件のことやら、不倫された芸能人の話題やらがノンストップで流れている。
こんなニュースをみるともちろん可哀想だなとか、辛かったろうなとか、そんな気持ちにはなる。これは思いやりには含まれないのか?
僕的には困っている人を助けようという気持ちで助ける、これが思いやりの目に見える形であると結論づけ、ボランティアに参加してみた。
震災を受けた地域の片付けや、失踪した子の情報が載っているビラを配ってみたり、重そうな荷物を持っているお婆ちゃんを助けたり、大きいものから小さいものまで多くの人助けを行った。
ありがとうと言われることに大きな満足感と些細な優越感を感じた。これだけやれば思いやりも手に入ったろう。妻が帰ってきた時もきっと彼女を思いやり、良い家庭を気づけるはずである。
拙い文章ですが読んでいただきありがとうごさまいます。よろしければ、感想やもっとこうすれば良くなるなどのアドバイスもよろしくお願いします。