04 竜人。
朝起きて、ご飯を用意して、いただきますをする。
片付けて、SNSでドラゴンと検索してレックスが写真に撮られていないことを知ったあとに、気が付く。
りょうたが、口を聞いていない。
「りょうた?」
「……」
りょうたはもっちりとした頬を膨らませて、そっぽを向いた。
「どうかしたの?」
手を伸ばそうとしたら、りょうたが抱き締めるレックスが「シャー!」と威嚇する。慌てて手を引っ込めた。
昨日までは交友的だったレックスまでも、様子がおかしい。
どうしたというのだ。
当惑して私は、アギトさんと目を合わせた。
彼は肩を竦めるだけ。
「!」
その時だ。
足元の影が七色に光り始めた。
また異世界転移だ。
影が私とりょうたを包み込むから、アギトさんは飛び込んできた。
空気が変わる。
パシャンと足元は水浸し。地面が見えるほど透き通った清らかな水。
そして空は青ではなく、緑色だ。
とても開けた場所に立っていた。右には岩山が見える。左にはヤシの木に似た森が広がっている。そこに水色のウェーブした長い髪を見付けた。
あの女の子だ。
「行こう! りょうた!」
りょうたの手を取り、彼女を追いかけようとしたが。
ーーーーその手は振り払われた。
「えっ……りょうた、どうしたの?」
「うっ、うるさい!」
俯いたりょうたが、そう声を上げる。
りょうたの上にバサバサと羽ばたくレックスは、睨みつけてくる。
「何? なんなのよ、りょうた」
「うるさいうるさい! 本当のお姉ちゃんじゃないくせに!!」
「!」
衝撃の言葉が放たれて、私は動けなくなった。
グサリと突き刺さるような痛みがする。
昨日のアギトさんとした会話を聞いてしまったのか。
「行こう! レックス!」
「シャー!」
私に威嚇してから、レックスは歩き出してしまうりょうたについていった。
立ち尽くした私も、背を向ける。
「レックス! ……」
レックスを追いたそうなアギトさんは私を見た。
だから背を向けて、私も反対側へ歩き出す。
泣いてしまいそうな顔を見られたくなった。
「なによ……」
とぼとぼと、岩山の下までいく。
「たった半分血が違うだけじゃない……」
半分血が違うだけの話。父親が同じじゃないからと言って、“本当のお姉ちゃんじゃない”なんて言われたくない。
一緒に育ってきたじゃないか。
一番可愛がった。一番愛したつもりだ。
それなのに、それなのに。
引き裂かれそうなほど胸が痛い。
「っ……」
ぽたんっと、涙が落ちる。
すると、ヌッと影が降った。
顔を上げて見れば、ギョッとしてしまう。
岩山の頂点には大きな大きなトカゲがいたのだ。
ちろり、と舌を出して、ぎょろぎょろと目を回して私を見ている。
私を食べれるか見定めているのだろうか。
「動くな! えりな!!」
アギトさんが叫ぶ。
アギトさんの声に驚いたように、トカゲは尻尾を巻いて逃げる。その尻尾が当たって岩山を崩した。
「ひえ!?」
岩の塊が私目掛けて、落ちてくる。
走れば逃げ切れたはずなのに、大トカゲの登場にすっかり動けなくなってしまった。
「お姉ちゃん!!」
りょうたの声を耳にしても返事が出来ず、ただ目を強く瞑る。
ズシン! バジャン!
岩が落ちて波が起きた。私はその波に押されて倒れそうになる。
ん!?
私の上に、岩が落ちてこない。
目を開くと、驚愕の光景があった。
ドラゴンだ。レックスではない。
岩山よりも、サラマンダーの主よりも、大きなドラゴン。
白銀の毛に覆われた美しいドラゴンだ。艶めきが眩しい。
私はそのドラゴンの下にいたから、岩から救われたようだ。
「無事か? えりな」
「え!?」
スッと私の身長よりも大きさのある顔を近付けて、ドラゴンが口を開く。
「その声……アギトさん!?」
「そうだ。オレは竜人。ドラゴンと人の姿を持つ種族。言っていなかったか?」
ガクガクと首を横に振る。
聞いてません!
だからアギトさんは匂いに敏感だったのか、と納得した。
よく見れば、白銀のドラゴンの首には金の首飾りがある。アギトさんと同じものだ。
「お姉ちゃん!! 大丈夫!?」
「りょ、りょうた……」
バジャバシャと水を跳ねさせながら、りょうたが駆け寄る。
そして私のお腹に飛び込んだ。
「ごめんなさい!! お姉ちゃんじゃないなんて言って! 僕、僕っ!」
「……いいよ」
「ひどいこと言ってごめんなさい、お姉ちゃん!」
「……うん」
しがみ付くりょうたは、変わらない。
よかったと安心して、涙が零しそうになった。でも堪えて、微笑む。
必死にしがみ付くりょうたには、見えていないけれども。
あれが最後の言葉だったらと思うと怖いだろう。私まで亡くすと思ってさぞかし怖かっただろうに。頭を撫でてあやした。
レックスは「キィーキィー!」と喜んで周りを飛び回る。現金なドラゴン。
ドラゴンといえば、巨大なドラゴンに変身したアギトさん。
見上げれば、魔法がほどけるように白銀の煙を撒き散らして、人の姿に戻った。それが幻想的だったから、私は見惚れる。
「……」
白銀髪のアギトさん。金の首飾りに、銀製の網シャツ姿。
そんなアギトさんが手を伸ばしたかと思えば、私の目元を拭った。
涙の跡を拭ってくれたらしい。ポッと頬が熱くなる。隠すように前髪を押さえて俯いた。
「行こう。ドクロ族の少女は行ってしまったぞ」
「は、はい。そうですね。帰るにはあの子が必要ですし、どうして召喚するのかも聞きたいですし」
「こっちだ」
アギトさんは先導してくれる。鼻が利くアギトさんについていけばいい。
りょうたと手を繋ぐ。今度は手を払われなかった。温もりにホッとする。
ヤシのような木は、黄色い葉と幹。
そんな森を過ぎると、見覚えがある村に出た。
見覚えのある剣が、村の真ん中に突き刺さっている。
サラマンダーがいないけれど、一昨日来た村に間違いないようだ。
あの剣も私が振り回したもの。
そんな剣に村人が集まり、まるで祀っているように祈りを捧げているようだった。
「あっ! 『正義の女戦士』様がお戻りになられた!」
「『正義の女戦士』様!!」
「我らの救世主様!!」
私達に気付けば、こっちに来たものだから驚いて引く。
え、私!?
「ど、どうも皆さんっ、先日はどうもお騒がせしました」
「そんな頭を下げないでください、『正義の女戦士』様が“間違い”だと判断したものは“間違い”」
「我々は間違っておりました」
「お許しください、『正義の女戦士』様」
水浸しなのに、一同が地面に跪いた。
「い、いえ、私に謝ることないです。もう生贄なんて捧げないでください」
生き残るための手段として、必要だったのは理解出来る。
サラマンダーの主がいなくなった今、もう生贄の必要はなくなっただろう。
「なんて慈悲深きお人……」
「もう立ち上げてください! 皆さん!」
感動したように息を漏らして、また頭を下げる一同。
アギトさんも何か言ってと目をやれば、私を眩しそうに見つめていた。
「……その昔、バハムートと出会った姫も、生贄を嫌っていたと聞く」
「えっとぉ……」
姫と同じだからなんだろう。
私の国では、生贄はない風習だ。
私は当然のことを言ったまでで、感謝されることも感動されることも違う気がする。でもそれを上手く言えないから「もう立ってください」とだけ伝えた。
「あ、そうだ。あの女の子はいませんか? 水色の長い髪をした女の子。ドクロ族の」
村を見回したところ、彼女の姿は見当たらない。
「ドクロ族の者はこの村にはいませんが」
「え!?」
ギョッとしてしまう。
この村、よそ者を生贄にしようとしたのか。
それはそれで大問題になっていたかもしれない。危ないところだった。
「ドクロ族の村はあっちにあるぞ」
アギトさんが指差すのは、黄色いヤシの木々の向こう。
茶色の木々が見えた。
「剣はそのままでいいのか?」
「え? 剣、ですか?」
「あの剣は君のもの。君にしか扱えない剣だ」
なんですと!?
そんな剣を軽々振ってしまったのか。
『正義の女戦士』にしか扱えない剣。
伝説的らしい剣を、このまま放置するわけもいかない。
村人達の惜しむ視線は気に留めないようにして、引き抜く。
何が出てくるかわからない世界だ。剣を持っていた方がいいだろう。
しかし、本当に軽い剣だ。鍔と柄は、ゴールド。剣身は白い。
「これどこにあったんですか?」
村を抜けて、ヤシの森を歩きながら尋ねた。
「タマゴを見張っていた洞穴の上に刺さっていたものだ。オレには重いとしか感じない剣だが、君には軽いようだな」
「……」
エスカリバーなら抜けないパターンじゃないのか。
いや竜人の超人的な力で抜いたのだろう。
「さて、この森は……通称・生きる森」
アギトさんが足を止めて見上げたのは、茶色い木の前。
どっしりとした幹と根の茶色い木は、三メートルはあるだろうか。
顔があるような気がする模様がある。
「生きる、森、とは?」
「その言葉の通り。この森は生きている」
そう返されても、私はまだ理解出来なかった。
「火は禁物だ。つけようものならば、暴れて潰されかねない」
「……っ!」
暴れる、と聞いて、想像する。
この目の前の木々が、暴れるのだ。
動くのだろう。生きていると言うのは、そういう意味。
ゴクリと息を飲み込んだ。森が暴れたら、怖い。
そう理解して見上げれば、恐怖を感じた。
「覚えておこう、りょうた。ここで火をつけちゃだめ」
「うん」
イマイチわかっていないりょうたと約束して、アギトさんに続く。
帰れないとなったら野宿も、視野に入れなければいない。
この森で焚き火はしない方がいいと、頭に入れた。
茶色い森は、静かだ。不気味なほど。
何か生き物が出てくるかもしれないと警戒もしていたけれど、生きる森に臆してしまうのだろうか。大人しく通ろう。
「あっ」
「雲のある森だぁ!」
次に来たのは、雲が漂う青い葉の森。水玉が浮き出て宙を浮く。
ここは空気がひんやりとして気持ちがいい。
この世界で、今のところ一番好きな森だと思う。
様々な形にうねるように伸びた木と、生い茂る青い葉。
「そう言えば、どうしてこのヴァルレオは水浸しなんですか?」
ニーソがすっかり水分を吸って濡れている。
長靴が欲しいところだ。
「それを問うなら、何故あっちの世界は地面が固まっているんだ?」
アギトさんに質問返しされた。
昨日道路を走ってから、ずっと疑問に思っていたのだろうか。
「水は生命の源だ、世界に溢れて当然だろう」
「えっと……確かにそうですが」
「それともあっちの世界は水不足なのか?」
「いえ、ちゃんと海や川がありますが……こんな清らかな水が溢れた地は、地球にはなかなかないです」
りょうたと手を離して、水を掬う。クンクン、と嗅いでみた。別に生臭くない。飲めそうな感じがする。
りょうたは浮いている雲に飛び込んだ。
上空から落ちても、クッションがわりになった雲。
私も飛び乗りたい。
「じゃあなんで雲が浮いているんですか?」
「雲は浮くものだろう?」
「……ですね」
ウキウキしていたけれど、私はその返答に肩を竦める。
雲は空に浮いているものだけれど、ヴァルレオでは地上に浮かぶものらしい。
「じゃあ、水玉はどうして出てくるんですか?」
「“地面の呼吸”とも呼ばれている。子どもには“地面の鼻ちょうちん”と人気だ」
「鼻ちょうちんですかっ!」
それを聞いて、私は笑う。地面が鼻ちょうちんを放っていると言われれば、面白い。
ツン、とつつけば、パシャンと弾け飛んだ。
「もういいか? ドクロ族の村はあっちだ」
「あ、はい」
雲の上で遊んでいるりょうたと再び手を繋いで、私はアギトさんの案内で進む。右折した。
「僕ね、キノコの森も見たんだよ! お姉ちゃんよりおっきいの!」
「へぇ。あとで見るわ」
キノコの森か。それも見てみたいものだ。
しばらく文字通り青々しい木漏れ日を見上げて歩いていれば、別の村を見付けた。
ドクロ族の村。地面の水にギリギリつかない高さの建物が並んでいた。木造。さっきの村よりも、広そうだった。
20181105