01 始まりのドラゴン。
カタカタ、とキーボードを叩いていく。
リズミカルにその音が続いていけば、私の機嫌は良くなる。
私の集中力を持続させてくる良き相棒のインスタントコーヒーは、コクの深いラテ。それを啜って、またカタカタとキーを押していく。
自由気ままに書き進めていく小説。私はこれで食べていっている。
定時制の高校を卒業して、ネット小説を投稿しつつ、出版してもらった。
一人暮らしの静かな部屋で、落ち着いて書けるのは最高だ。
私は大好きな恋愛ファンタジー小説を書き進めて、上機嫌に眼鏡をクイッと上げた。
すると、ピンポンピンポンピンポン。
連続してチャイムが鳴らされて、静寂が壊された。
ガクリと頭を垂らす。こういうチャイムをしてくるのは、たった一人だ。
黒縁眼鏡を外して、机の上に置く。
「りょうた!! チャイムは一回って……うわっ!? なんでびしょ濡れなの!?」
ポニーテールを揺らして、玄関を開ければ想像していた通り、弟のりょうたがいた。でも予想と違ってランドセルを背負った弟は、びしょ濡れで驚く。
雨にでも降られたのかと、空を見上げたけれども、快晴だと確認した。降られたわけではないと理解する。
「えりなお姉ちゃん! ぼくドラゴンのいる世界にいったんだよ! これドラゴンのタマゴ!!」
差し出したのは、バレーボールより大きな楕円のものだった。
それがタマゴだと言う。しかも、ドラゴン。
「はぁ? 風邪引くわよ。着替えあるでしょ」
「ドラゴンだよ! 姉ちゃんが好きなドラゴン!」
「あーはいはい」
風邪を引いてはいけないから、軽く流して家に入れた。ニットの上着を脱がせて、タオルで拭いてやる。
それでもりょうたは、タマゴから手を離さずに喋り続ける。
茶目黒髪の可愛らしい顔立ち。自慢じゃないけれど、可愛い弟。
私は髪を茶色に染めている。この間までは、金髪だったけれどね。
「虹色の影がずいんって! 中にはいったらね、森でね! 青色なの! 空は緑色!」
「……ふーん?」
「土が水でね、ぷくって水玉が浮くんだ! そしたらね、でっかいドラゴンが上をブインって! 追いかけたらどうくつがあってタマゴ見つけたの!」
りょうたの話にしてはやけに幻想的で具体的すぎる発想だと、首を傾げてしまう。ゲームと車好きの弟に、私のような想像力があるとは思えなかった。ならば事実を話しているのか。
……なんてね。
ドラゴン……異世界……か。
「イメージが固まったら、りょうたを主人公に書いてあげる」
「ほんと!? やったぁ! お姉ちゃん大好き!」
弟を主人公にしてファンタジー小説を書くのも一興だ。
りょうたは、大はしゃぎをした。
そんなりょうたを見て、私は微笑んだ。
9歳も年が離れていも、仲の良い姉弟。間に弟と妹もいる。
私の小説に興味を持ってくれるのも、りょうただけだ。
読むわけではないけれども、興味を示してくれる。
そんなりょうたは、私を慕ってくれていると自負していた。しょっちゅう一人暮らしをしている姉の元に来る。寝泊まりもたまにだ。
「で? その白い物体はどうすんの?」
「ドラゴンのタマゴだよ」
触れてみた。
「! ……あったかい。生きてる?」
タマゴの殻越しに伝わる熱を感じる。
するとカタッと音がした。
パリパリと割れる音が立つ。
割れたタマゴ、そこから出てきたのは、白いドラゴン。白い二つの翼に尻尾。丸く大きな金色の瞳を開いた。
そして、大きな口を開いて鳴く。
キィーキィーキィー、との声は意外にも大きくビクリと私は震えた。
「うわっ!」
りょうたが声を漏らした途端、ドラゴンが羽ばたいた。
「きゃあっ!?」
私は頭を抱えて、悲鳴を上げる。
ドラゴンは気にせず、羽を広げて飛び回った。家の中は大惨事。
好き放題飛び回るドラゴンは、置物を次々と倒していく。本に写真立て。
「わわっ! ドラゴンだよ! うわっ!」
りょうたは興奮したが、ドラゴンを避ける。危なっかしい。
「りょうた! 止めて!」
「わわっ! ストップ!」
床に伏せる私に急かされ、りょうたは止めようとしたが捕まえられない。嬉しそうに鳴いて飛び回るドラゴン。
近所迷惑に違いないが、飛び回る未知の生き物が怖くて起き上がれない。
そんな中、仕事道具でもあるノートパソコンがドラゴンの尻尾に当たり机から落ちた。仰天した私は、慌ててキャッチ。間一髪だ。
ほっと胸を撫で下ろしたが、まだドラゴンは飛び回っている。
気が付けば、ドラゴンはりょうたに飛び付いてじゃれていた。りょうたを軸に、一緒にクルクルと回っている。
ガシリ、とドラゴンの首を掴む。
「かーたーづーけー」
私の怒った顔に、りょうたもドラゴンも青ざめて震えた。
片付けをしてから、二人はドラゴンと向き合う。
「ほげぇ……生きているドラゴン……」
「すげぇ……」
ドラゴンをこたつテーブルの上に乗せて、じっと観察。
りょうたと一緒に、翼に触ってみる。
そうすれば、ドラゴンは鼻でりょうたの頬をつついた。りょうたは頭を撫でてやる。
私は、次に前足を触った。爪が四本。次に尻尾。するとドラゴンは、私に頬擦りをした。それから、ペロリ、舐める。ざらついた舌。
「こりゃあ……世紀の大発見だ」
顔が引きつった私は、次第に目を開いた。りょうたを見てみれば、輝かせている。きっと私も同じ目をしているに違いない。
「ドラゴン! 異世界っ! なんて素敵なの! すごいよりょうた!」
「うん! だから言ったでしょ! すごいんだからっ!」
りょうたの話は真実。
異世界がある! ドラゴンがいる!
未知の好奇心に興奮が治らない。
なんだかわからないが、ドラゴンもはしゃぐ。
「どうしよっか」
「どうしよって……飼うんでしょ」
キラキラ、とりょうたは期待の眼差しを向ける。
うっと引きつった。
「名前は!?」
「名前……りょうたが決めれば? 拾ってきたんだから」
名前をつけたら愛着が湧いてしまうが、二言が言えないため仕方ない。
そうしたらりょうたが「お姉ちゃんがつけて」とせがんできた。
「……りょうたが好きな車でいいんじゃない? 何が好き?」
「ランボルギーニ、フェラーリ、アーレックスセブン、GTーR……」
「もういいです。わかった……レックス、レックスはどう?」
ドラゴンを指差して、言った。
くりっと丸い瞳でドラゴンは私を見つめる。
レックス、ともう一度言うと「キューン!」と返事をした。
「レックスでいいって! やったあーよろしくねレックス!」
りょうたはレックスを抱き締めて、私は頭を撫でてやる。
するとそこで、二人の影が七色の光に変わった。
「えっ?」
それは私とりょうたを包み、飲み込んだ。
「ええっ!?」
次の瞬間には、緑色の空にいた。少し薄い緑色。
空中だ。しかも、真っ青な地上は遥か下。
言うまでもなく、落下していく。夢中になって、ドラゴンを挟んでりょうたを抱き締める。
冷たい雲を通過して、私とりょうたはそれを目撃した。
黄金色に輝く巨大な巨大なドラゴン。
全貌が見えなかったが、ドラゴンだと確信する。
こちらを映す目は、私達くらい大きなものだった。
そのドラゴンの美しさに、私達の時が止まる。
だが、落下は止まらない。また雲を通過すると、そのドラゴンは泡沫の夢だったかのように、消えたのだった。