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第二章 迷走

 あおいが仕事を休んだ翌日、全国の営業所や学校を回るプロジェクトの日程や内容が書かれた行程表が、あおいの机の上に置いてあった。

 それをあおいが読んだ時・・背筋が凍りついた。


「何よこれ??ほとんど私1人で行って来いってこと?」


 すると淳が立ち上がり、ほくそ笑みながら


「そのとおりです。お願いしたいです、チーフ。」と言った。


「僕らもそれぞれ抱えてる仕事を仕上げていかないと、この係自体が機能不全になってしまいます。チーフはそれに比べてやることが少ないでしょ?主に僕らの仕事の決裁とか上司との連絡調整でしょうから。」


「そう言ったって、主に考えたのはあなたたちでしょう?私の意見なんてこの中に入ってるの?なのに、何もわからず説明してこいというのはひどいんじゃない?」


「僕らは真剣に考えましたよ、このプロジェクトの内容について。もちろん、今後係内でどういう体制で進めるかも考えていました。ただ、社長の前でチーフが自ら「汗をかいてきます」と言った以上、その発言の責任はチーフが取るべきだと思いますよ」

 謙一は冷徹な目をあおいに向けながら話した。


「チーフ、がんばってくださいね♥。私、日焼けとか嫌だから、できるだけ外回りとかは控えさせていただきたいんですぅ。」まゆみはニッコリ微笑んだ。


「チーフ、責任をとって行ってきてください、最後にプロジェクトの責任を追うのは、この係のリーダーであるチーフの役目ですよね?」

 とどめを指したのは、沙綾の冷ややかな一言だった。


「チーフ~・・オレ、一緒に行きますよ。ただ、出向者には交通費は出ないんで、チーフがその分持っていただけると嬉しいんですがね・・」和行が笑いながら、一応は一緒に行動する意思を示してくれた。


「冗談じゃないわよ、ポケットマネー出せる余裕なんてないわよ・・。」

 あおいは深い溜め息をつき、そのまま座り込んでしまった。

 突然降って湧いたような話・・・でもそれは明らかに、あおいに責任を負わせようとする部下たちの謀略であり、そのことを考えると、悔しくて、気が重くなるばかりだった。



 金曜日の夜も更ける頃、神田神保町では、退社したサラリーマンが、靖国通り沿いや狭い通りにひしめくレストランや居酒屋に次々と吸い込まれていく。

 この日の夜は、あおいもその1人であった。


「石田さあ~~ん・・・こっちですよお」


 あおいはフラフラになりながらも、かつてあおいが所属した係のチーフであり、今は別な部署でアシスタントマネージャーを務める石田憲明のスーツの袖をつまみ、近くにあるバーに連れ込もうとしていた。


「あおいちゃん・・大丈夫かい?もう今度で3軒目だよ。明日は仕事なんだけど、気づいてるかい?」


「知ったこっちゃないわよ。あんな奴らがいる職場、私が居なくたって勝手にやってるから大丈夫よ!」


「気持ちは分かるけど、酒に逃げても何も解決しないよ。」


「石田さんなら私の気持ち分かると思ったのに、何よそんな冷たい言葉!さ、行こうよ。もう1軒飲んでもギリギリ終電間に合うわよ!」


「はあ~・・良いけど、これで最後だよ。俺も今は家計厳しいから、昔みたいにタクシー代出せないよ。だから終電の時間までだぞ。」


「じゃあカプセルホテル泊まればいいじゃん、私も一緒に泊まるよ石田さんっ♥」


「バカ!」さすがに石田は呆れ、怒鳴ってしまった。



 翌日、酩酊してフラフラのまま出勤したあおい。

 その姿を見た課長が驚き、声をかけた。


「大丈夫?来週から全国キャラバンだぞ。あまり羽目を外さないようにな。」


「だいじょう・・ぶ・・です・・・ハア~・・・目が回りそう。」


 あおいはおもわず仰け反り、転倒しそうになった。

 課長はあわててあおいの体を支えた。


 「おい!何やってるんだ?」 そのままあおいは別室のソファーへと運ばれた。


 少しだけ横になり、意識を少し取り戻したあおい。傍らには課長が不安そうに見つめていた。


「課長・・私・・あそこでやっていけるか今、すごく不安なんです。」


「あそこって、今年配属された係のことか?」


「そうです・・これ以上やっていける自信がないというか。」


「みんな有能なのは認めますしそこは評価できます。ただ、私が彼らをまとめていける自信はありません。」


「そんなこと言ったって、あの係のまとめ役は君しかおらんのだよ。他の誰でもない。」


「そんなの分かってますよ!・・だけど、だけど、それをまっとうにできるかどうかは別問題です。」


「・・・はあ、気持ちは分かるけど。とりあえずは、プロジェクトはきっちりやり終えてほしい。進退はその後、ゆっくり考えて決めてほしい。」


「プロジェクト・・行きたくない。どうせ私一人で行かなくちゃ行けないんだし。」


「え?君一人で?」課長は驚いた。



 次の週、あおいは大きなキャリーケースを引いて、東京駅のプラットフォームに立っていた。課長からは、誰か1人はあおいに帯同するように係員に命令したものの、結局手を挙げたのは、和行だけであった。和行が要求していた食事代や交通費は、何とか会社が負担してくれることになったので、それだけがせめてもの救いであったが・・。

 見送りは誰も来ず、あおいと和行だけの寂しい出発であった。

 新幹線に乗り込み、目指すは最初のPR地である神戸。

 神戸には営業拠点があるので、ここから、関西や山陽地区などにPRを行う。


 車中で弁当を食べながら車窓を眺めていると、「緊張しますよね・・謙一さんがプレゼンやってくれれば良いんですけど、他に仕事が入っちゃって、来れないって言っていました。」と、和行は弁当をかきこみながら、あおいに話しかけてきた。


「いや、最初からやる気なんてないよ、彼は・・。」


「え?でもこのプレゼン作ったのは謙一さんだし、本人もやる気十分でしたよ!」


「はあ?やる気十分なら、何を置いても一緒に来るでしょ?彼は自分の考えてることと、私の考えてることが違うのが気に入らないのよ。」


「そうかなあ~・・謙一さんって、そんな子どもじみたことするかなあ?」


「さあ、人の心はわからないわよ。彼はプライド高そうだから・・」



 今回の営業先である神戸の中学校には、神戸市内の何校かの学校関係者が集い、持参したプレゼンテーションの資料を読みながら、あおいの説明に聴き入っていた。

 あおいはプレゼンテーションを行うにあたり、謙一の作った資料を新幹線の車中で何度も読み、自分の言葉で話せるよう頭の中で説明を組み立てた。

 この事前説明で、先生達の意見を頂いた上で、いよいよ生徒たちの前でプレゼンテーションを行う。

 先生達からは概ね好評で、ぜひ生徒たちの前でこのままの内容で話してほしいと言われた。謙一の作った説明資料は完璧で、相手に伝わりやすい表現と文章の組み立てができていた。それに合わせたプレゼンテーション用の資料も写真や図を多く用いた見やすいものだった。

 先生達の前での説明が終わり、いよいよ体育館で生徒たちの前で話すことになる。


「謙一くん・・すごいね。こんな完璧な資料を作っちゃうんだから。」


「いや、謙一さんはプレゼン用資料は作ったけど、説明文章はまゆみさんが、データ分析は淳さんが、パワーポイントは沙綾さんが作ってたんですよ。知らなかったんですか?チーフは。」

和行は怪訝そうな顔であおいに突っ込みを入れた。


「え・・そ、そうだったんだっけ?」あおいは驚いたとともに、チーフである自分がその事実を知らなかったことに恥ずかしさを感じた。


「チーフ、時間です。僕がパワーポイント操作しますから、がんばって説明してくださいね。」和行が力強い言葉であおいを激励した。


 色々なことが続いて気落ちし、とまどい、疲れもあったが、和行の言葉で少しだけ気力を回復したあおいは、プレゼンテーションに臨んだ。



 神戸の元町駅近く、モザイクモールから臨む神戸港は、ポートタワーや観覧車の色がまばゆく、夜になっても多くの人が埠頭を行き交い、とてもにぎやかである。

 そんな港の風景を眺めながら、あおいと和行は乾杯した。


「チーフ、お見事です。最初はちょっとモゴモゴしてたけど、最後は気合十分、声もしっかり出ていましたよ。」和行はにこやかな顔であおいを称賛した。


「あはは・・プレゼンなんて何年ぶりだろう。久しぶりですごく緊張したなあ」

 あおいは照れ笑いを浮かべた。


「質問も出たけど、しっかり答えてましたよ。あれ?中学生が聞きたかったことからずれてるかな?っていう答えもありましたけど。」と和行が突っ込むと、あおいは笑いながらも、うつむいてしまった。


「でも、ここからですよ。まだ7箇所あるんです。今度は広島、松山、そして福岡。東に戻って名古屋、仙台、札幌、新潟です。」


「何今の?慰め?すごく気持ちが重くなったんだけど::」あおいは和行を睨んだ。


「あはは・・すみません。でも、慣れてくればどんどん良いプレゼンが出来るから、という意味です。悪意はないっすよ。」和行は笑いながら、あおいのグラスにビールを注ぎ込んだ。


「そういえば、留守中、文美音ちゃんは、旦那さん一人で面倒みるんですか?」


「いや・・旦那はマイペースで何やっても続かない人だから、途中で飽きると思う。だから、実家のお母さんに話して、できれば面倒見に来てほしいって言ってあるの。」あおいは、ため息混じりに話した。


「1ヶ月近くも家を空けるからねえ・・ただでさえ、仕事終わるの遅くて、顔を合わせる暇もないのに。ママとして接する時間が殆ど無くて、文美音には本当に、申し訳ない気持ちだよ。」


「大丈夫ですよ、オレ、子どもいないから偉そうなこと言えないけど・・両親とも共稼ぎだったんで、学校から帰っても家の中で一人ぼっちになることが多かったんです。子どもなりに親が大変なのは分かってたから、色々言いたいことがあっても、グッとがまんして、で、会えた時はその気持を爆発させて、甘えまくっていましたね。」


「そういうものなの?」


「そうです、どんな境遇であれ、自分にとって親はパパママ2人だけですから。」


 あおいは少し考え込んだが、やがて顔をあげ、窓の外のまばゆいポートタワーを眺めながら、残っていたビールを飲み干した。



 プロジェクトは順調に進み、全国全ての拠点を無事回り終えた。

 職場に久しぶりに出勤すると、係のメンバーは誰一人として振り向かず、黙々と自分たちの仕事に取り組んでいた。

 そして、机の上には、たくさんの未決裁の資料が置いてあった。


「あ、チーフ、お疲れ様でした。」淳はあおいに気づいたようで、係で最初に声をかけた。


「チーフ、お土産はなんですか?北海道にも行ったんですよね?ルタオのチーズケーキ食べたいな」沙綾はニヤニヤしながら、あおいの持参したお土産袋を覗き込もうとした。


「チーフ居ないので、チーフに出席要請のあった会議は僕が全て出ました。無事何事もなく進めましたから、大丈夫ですよ」謙一は、親指を立てて自信満々に笑った。


「チーフ居ないから、決裁文書は課長にみんな回しちゃいましたよ。だから、チーフはとりあえず、決裁欄にハンコだけ押してくださいね。もう決裁済みですから、とりあえず参照だけしてもらえれば結構です。」まゆみはにっこり笑いながら、そう伝えた。


 これは、暗にあおいが居なくても、仕事はうまく周ってるんだ・・ということを示唆しているように思えた。実際、あおいが居るときは、あおいが納得行くまで係員に決裁内容の説明を求める。係員にとって、あおいは自分たちの仕事を早く動かすにあたって邪魔な存在だったのかもしれない。

 あおいは、その場は笑って取り繕ったが、心の中は空虚感で溢れていた。


「あたしって、この職場では一体何者なんだろう?何のために、仕事してるんだろう?何でここにいるんだろう?」


 あおいは決裁文書を全て目を通すと、たまっていた疲れが一気に押し寄せたような、そんな気持ちになった。

 その後、課長とともに部長にプロジェクト終了を報告すると、部長からは、とりあえず全国の学校から、まとまった受注が相次いでいると報告し、あおいの労をねぎらった。

 ただ、心の中は晴れ晴れしたわけではなかった。疲れと無力感のため、何とかその場で苦笑いするのが精一杯だった。


 翌日、あおいは会社を休んだ。

 起き上がりたくても、起き上がれなかった。

 会社に休むことを電話し終えると、とたんに布団に倒れ込んだ。

 普段は自分のことしか考えないマイペースな夫・隆介も流石に心配し、仙台に住むあおいの両親に電話した。

 夕方、あおいの母親が到着すると、げっそりとやつれたあおいを見て驚き、夜間診療を開設している病院に片っ端から電話をかけた。

 あおいは、母の肩を借りながら歩き、家の近くにある総合病院に向かった。

 幸い、大したことはないものの、過労による疲労や心理的な負担から抵抗力が落ち、熱が上がりやすい状態にあるとのことであった。

 医師は、重病ではないものの、出来れば会社に事情を説明し、ある程度の期間仕事を休職できないか、と提案した。

「休職」・・仕事一筋に生きてきたあおいにとって、出産休暇以外の休職なんて考えもつかなかった。そして、受け入れるのにはプライドがなかなか許せなかった。


「母さん・・あたし、ここで休むなんて・・情けないことはしたくない。あたしを除け者にしてきた部下達に背中を見せるみたいで、何だか恥ずかしくって。許せなくって・・」あおいは涙ぐみながら、ふるえながら、母親に小声で伝えた。


「あおい・・・こないだも忠告したけど、あんたは切羽詰まると、自分で色々抱え込んじゃう性格だから、これ以上背負い込むようなマネはしないでちょうだい。覚えてる?大学浪人した時。あの時も、変に考え込んで、背負い込み過ぎて、海に飛び込んで自殺しようとしたんでしょう?また同じことするつもり?母さん、もうかばいきれないからね。」


 あおいは、そのまま黙り込んだ。母の言う通り、昔からの悪い癖が出てしまった。抱え込みすぎて、自分でもどうして良いか分からなくなってしまった。


 自分は一体何をしたいのか?一体何を言いたいのか?自分の存在意義って何なのか?・・・色々なことが、頭の中をグルグルと回転していた。


 考え込めば考え込むほど、どうして良いかわからなくなり、そんな自分をまた情けなく思って、涙がこぼれてしまった。


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