02 さらなる疑問
各教室から響く教師の声と、自らのコツコツという地面を踏みつける足音だけが廊下にこだましている。
足音が一定に刻むリズムは心を落ち着かせ思考を助長し、扉や廊下に取り付けられた窓を通して聞こえてくる少しくぐもった教師の声は、俺だけが周囲から切り離されたかのような感覚を与える。
俺の身に一体何が起こったのか。
この疑問の答えを探すには、もってこいのシチュエーションだ。
まずは、7月10日から7月11日に日をまたいでいるという可能性だ。やけに身体が疲れていたし、あまり記憶が無いとしても無理矢理違和感を飲み込めるが、問題は授業だ。もし日をまたいでいるとしたら、授業内容が全く同じなんてことはあり得ない。それに、目を覚ました時の光景が昨日と全く同じなんて事も、普通では起きないはずだ。
次に、フィクションでよくあるタイムリープの可能性。これも却下だ。できるなら神の所業と言うものだ。俺が意識を失う前、あの子が「神の使徒」なんて単語を出したが、あれは恐らく勘違い。命を落とす前に、神様が迎えに来たように見えたんだろう。
って、真面目に考察する辺りやばいな……。
最後に、予知夢という可能性。これは最有力候補と言っていい。意外とある事だし、人は一度くらいは正夢として体験したことがあるんじゃないだろうか。
ただし俺が見た予知夢だと、女の子が空から降ってくることになる。それ自体はやっぱり起こらない事だろう。
となると、夢なのか。あれほどリアルな夢を見られるほど、想像力があったのか。
――いや、美術の成績が万年3の俺はそんなすばらしい想像力を持ち合わせてはいないはずだ。
ここまで思考を進めたところで、ふと気が付いた。
「……千草に聴けば何か分かるんじゃないのか……?」
もし千草が覚えていれば、日を跨いでいることに確証を持てる。覚えていなかったとしても、一日記憶が無くなってしまっているという高校生にあるまじき可能性を潰せるのだから、願ったり叶ったりだ。
千草を探そう。
結論を出すまでに時間そうはかからなかった。
「あいつ、確か午後の授業のほとんど保健室で寝てたよな」
行くあても無く動かしていた足を、進行方向を保健室に定めてなお歩く。あの時の記憶を信用しても良いのかは分からないが、さっき教室を見渡した時に居なかったので、この時点で千草が保健室に行っている可能性は高い。
しばらく歩くと、保健室のドアが見えた。
コンコンッ
返事がない。木製の頼りないドアには『何かあれば職員室に呼びに来てください』と貼り紙がされていたので、多分中には先生は居ないのだろう。
「……それでも一応言っとくか。失礼しまーす」
案の定そこに先生の姿は見当たらなかったので、カーテンの閉まった体調不良の生徒が睡眠を取るためのベッド、おそらく千草が寝ているであろうベッドに向かう。
――その刹那。何か重いものを落としたような音と、その重さに耐え切れずに軋むベッドの叫びが聞こえた。
「! おい千草どうかしたか!?」
駆け寄り思い切りカーテンを掴み、横に投げるようにして開く。
……ズボンを上げながらベッドの上に立つ千草がいた。
「…………弁明は?」
「っ!! やっ、違うんだって! これは……!!!」
「授業サボって何やってんだお前は!!?」
「しーっ! 静かにしろ誰かいたらどうすんだよ!!」
「むしろこの現場を誰かに見せてお前の罪を揺るぎ無い物むぐっ!?」
手で口を塞がれた。その穢れた手で触んなよ、と思いつつも窒息させられそうになったので慌てて頷く。
「っはぁっ! はぁっ!」
「シャレにならない事すんな! 俺を社会的に殺す気か!!」
「……はぁ……はぁ……先にしたのはお前の方だろ……」
なんとか息を整えて、疑惑付きの千草を見る。
「んで、病人訪ねるほど緊急な用事かなんかあった訳、陽和?」
「ちょっと気になる事があったから聴きに来たんだけど……駄目だお前の行動が頭にこびりついて離れねぇ」
「良いから! それもういいから!!」
「分かった分かった、お前の黒歴史は俺の頭から門外不出だ安心しろ。それで聞きたいことなんだけど――」
なだめた後に、言葉の続きを待つ千草に、一息継いてから言い出し難かった質問をぶつける。
「――濃い緑のフードを被った、茶髪で黄緑色の眼をした女の子。知ってるか?」
さぁ、どう答えが返ってくるのか。
息を呑んで答えを待つ俺に、千草は眉をひそめて――
「ん?なんでお前、俺の夢の内容知ってんだ?」
こう、答えでなく質問を投げ返してきたのだった。
「…………は?」
次から次へと理解が追いつかないことが出てきて、いよいよ本格的に脳が思考停止を始める。
千草が知っているか知らないか。
それを確かめ疑問を解決する為にここに来たはずが、千草は『夢で知っている』という、どちらでもない第三の道を容易に持ち出してきた。
これで頭がこんがらがらないほうが不思議なくらいだ。
「夢の内容、聴いとく?」
俺の内心なんて露知らず、軽い感じで訊ねてくる。
「あ、ああ。頼む」
「お前になーにがあったんだか。顔、すげぇ事になってんぞ?」
近場に取り付けられていた縦横5.60センチ四方程の鏡を見ると、千草がそう言った理由が嫌というほど分かった。
「……なんかもう、顔芸みたいになってるな」
「だろ?」
ケタケタ、と気持ちのいい笑い方でひとしきり笑った千草は、暫くするとじっとこちらを見つめてきた。
「……なに?」
「いや、もうそろそろ落ち着いたかなー、って思って」
次は笑いもせずに真顔でそう言い切る。
あっけに取られてその場に固まってしまった。
その後、俺の表情をもう一度見たかと思うとベッドまで歩いてその端に座り、ポンポンッと隣のスペースを叩いてこっちへ来いと言外に伝えてきた。
「……お前はほんとに、優しいなぁ」
千草の行為は、一歩踏み外せば自分勝手とも取られかねないようなものだが、こちらの気持ちを汲み取って接してくれているのが良く分かる。そりゃ影でモテまくる訳だ。照れた顔まで様になってるし。
良い友達を持ったもんだよ、ほんと。
そんな感慨を抱いたままベッドまで歩き、隣に座って千草の横に座る。
――一息継いてから、切り出した。
「んじゃ、聞かせてくれ、お前の夢の事を」
「了解。――それではご静聴下さい。夢の中であった事、それこそまるで現実味のない出来事を」
芝居がかった台詞を吐く千草の滑稽さと、その台詞の中身の無さに苦笑しつつ、俺は彼の御伽話に耳を傾けた――