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人生を生きた老婆

 自殺計画。


 とりあえず金が尽きるまでは自分の楽しい事をしよう。そう決めたこの計画だったが、そうは言っても男自身特段楽しいと思える事は無く、だが、全ての行動に幸福を感じないわけではない。


 そのため、人間の3大欲求の一つ、男が幸福と感じる行動の一つである「食欲」を満たすため、男は片田舎の小さな居酒屋で日本酒を片手に鰤大根をつまむ。


 すでに日は暮れており、居酒屋には多くはないもののある程度の人々が席を埋めている。男の座っているカウンター席5席には既に男を含め4席が埋まっており、その丁度中心に座っている男の右隣では老人二人が顔を赤くしながら彼らの過去であろう昔話を豪快な笑いと共に語っている。


(……美味いな)


 男は出しの良く染みた鰤大根とすっきりとした辛口の日本酒に舌鼓をしながら明日の事を考える。


 現在の残金は500万ほど。これから10年20年と生きていくには少ないが、これだけあれば欲の少ない自分であれば不自由なく1年弱は生きられるだろう。


 その上、すでに睡眠薬は買ってあるため、金が尽きたら死ねばいいだけの話。別にそれほど気にすることもない。


(ま、交通費は抑えるか)


 別に旅行をしたいわけでも無い。だからどこか静かな場所に腰を落ち着け、のんびり余生を暮せばいい。


「らっしゃっせー。お、井内さん、珍しいですね」


 そんな事を考えながら日本酒を徳利から注いでいると、新しい脚が男の隣の席へとやってくる。


「あんた、3日前に来たばっかじゃないか」

「いやいや、うちには毎日昼間から来る人ばかりなもんで。はい、おしぼり」

「ま、ここにゃ暇な爺婆しか来ないか」


 40代であろうこの店の店主はそう言いながら客へとおしぼりを渡す。客はそんな毒舌を吐きながらも楽しげな声を上げている。


「おや、奇遇だね。あんたもここに来たのかい。……あんただよ、あんた」


 男が酒を口に運んでいると、隣に座った客は男の肩を叩く。男は肩から若干の痛みを感じつつ左を向くと、そこには電車であった老婆が座っていた。


「ああ……こんばんわ」

「ホント偶然だねぇ。とりあえず焼酎と適当なもんをおくれ。こんな田舎に何しに来たんだい?」

「あいよぉ」


 老婆はおしぼりで顔を拭きながら注文をする。店主は老婆の前に水だけ置くと、奥へと移動した。


「あ、僕、ですか?」

「あんた以外に誰がいるんだい?」

「はい、焼酎」

「ありがとね。こんな何にもない田舎だ。人が来ることは滅多にないからねぇ」


 老婆は店主からなみなみ注がれた焼酎を受け取ると、一口口へと含む。男もそれにつられ御猪口に入っていた日本酒を飲み干した。


「なんでかって言われると……特に理由は無いです」

「ほら」

「あ、ありがとうございます」

「ま、そうだろうねぇ」


 酒を飲み、少し酔っているせいもあるのだろう。男は電車であった時よりもスムーズに言葉を並べる。老婆は徳利から男の持つ御猪口へと酒を注ぐ。


「こんなところに来るのは決まって映画の撮影やら写真を撮りに来たやら、何かあたしらには関係ない目的をもってるやつらかあんたみたいのだ」

「井上さん、芋の煮っ転がしに胡麻豆腐ね」

「お、あたしの好きなもん覚えててくれたんだねぇ。ありがとよ」


 老婆は店主から受け取り、芋を口へと運ぶ。男は少しだけここの居づらさを感じながら老婆から注がれた酒を呷る。


「ま、あんたは自分探しとか、放浪の旅とか、そういうもんじゃなさそうだけど、今後の予定は決まってんのかい?」

「いえ、特には」

「そうかい。何しに来たかしらんが、変な事はすんじゃねぇぞ」

「変な事……とは」


 男の問うが老婆はそれにすぐには答えず、あくまでマイペースに芋を口へと運び、焼酎を一口口に含む。そして、老婆はこの問いに答えないのだろうと男が思い始める頃、老婆は口を開いた。


「たまーにいるんだよ。ここに自殺しに来るやつがね」

「……え?」

「あんた、これ美味いじゃないか」

「ありがとうございます」


 男はまるで自身の心内を言い当てられたように感じ、言葉を詰まらせる。そんな男の事など知らんというばかりに店主の料理を褒め称える。


「……その人は?」

「知らんがな。死ぬんならよそで勝手にやってほしいがねぇ。しばらくは警察が来たがねぇ。迷惑な話だ」

「そう……ですか」

「ほら」

「ありがとう……ございます」


 男は老婆から再び注がれた酒を呷る。


(当たり前……だよなぁ)


 男は老婆を非情な人間とは思わない。この世の中、自分以外の為に無報酬で何かをする人間などいない。仮に他人の為に自己を犠牲にしているように見える人間がいたとしても、それは自身が得る幸福感や優越感という時に自己満足と表現される報酬の為か、切羽詰まって周りが見えなくなった人間だけだ。


 その上、この老婆も目の前でその人が死のうとしたわけでは無いのだろう。それに助けたとして、その後のケアは誰がするというのだ。それに人生を掛ける人間がいるのか?


 だから、男は思う。この世の中に自分以外の為に何かをする人間などはおらず、この老婆も同じであり、この老婆を非情という人間がいれば、その人間こそ非情な人間だろう。


「そういえば、みかん、ありがとうございます」

「ああ、いいっていいって」

「……そういえば」

「なんだい?」


 男は老婆へと顔を向ける。老婆は特に気にすることもなく、胡麻豆腐を箸で切っている。


「僕の顔、そんなに酷いんですか?」

「気落ちするほど酷かないよ。イケメンってわけじゃないが、それでもすっきりした顔をしているよ。それに、男も女も顔じゃないよ」

「いえ、そういう意味で聞いたのでは無く」


 男の問いに老婆は少し的を外した回答を返す。それに対し男は食い下がるように言葉を続ける。


「あなたには僕がどう見えているのですか?」

「酷く見えるねぇ」

「酷く……ですか」

「ああ、そうだ。酷い目だ」


 老婆は溜息を一つ吐きだし、男へと顔を向ける。男の見た老婆の顔は先ほどまで料理に舌鼓していた時の幸福感を感じさせる顔とは打って変わって神妙なものへと変化していた。


「あたしは今まであんたの倍以上生きてきたけど、そんな目をしていたのは滅多にいなかったねぇ。大抵の奴は明日への期待とか、今感じている絶望とか、何かしらの感情を目に宿らせているんだよ。だがね、あんたの目からは何も感じないんだよ」

「何も……感じない……」

「ああそうだ。乾いているというかなんというか。普通は希望を持とうが絶望に染まろうか、それは明日を見てるからだ。だが、あんたは、なんというか、何もかもを諦めているように見えるねぇ」


 老婆は男の目をじっと見つめた後に再び「ほれ」と男へと徳利を差し出す。


「……ありがとうございます」

「おや、切れたようだね。おいあんた、この兄ちゃんにもう一本付けとくれ」

「あいよぉ!!」


 老婆は男の酒を勝手に頼むと、自身の料理を食べ進め始める。


(なんでこんな言われなきゃならんのだ)


 男は少しばかり溜息を吐き出す。自分には何もない。取り得も、夢も、希望も、絶望も、何もない。そんなのはさんざん自分を見つめたため理解していたが、だが、やはり他人に、それも昨日まで見ず知らずだった人物に言われたら凹む。


「ほれ、あんちゃん……あんちゃん?」

「あ、ああ。ありがとう」


 男は徳利を受け取ると、空になった御猪口へと透明な酒を注ぐ。


 自分がこんな状況になったのは、結局努力が足りないからだ。そんなことは自分自身が良くわかっている。世の中の人々は多かれ少なかれ、自身の幸福を満たすために行動し、それが時に他人に迷惑をかけることになろうとも取り組んでいる。


 そんな人々が溢れているこの世の中で、自分はただ生きているだけだ。そんな自分が老婆に見透かされたようで、そのせいで感じた惨めな気持を腹へと流し込むように男は酒を呷る。


「あんた」

「はい、なんでしょうか?」

「少しは現実から目を背けな」


 老婆は唐突にそんなことを言う。何気ない一言。それに対し、男は虚を突かれた表情を浮かべる。


「背ける……ですか」

「ああ、目を背けな」


 現実を見ろ、では無く現実を見るな。


 今のご時世、そんなことを言う人物はいない。普通なら「現実を見ろ」、「努力しろ」、「がんばれ」などと、皆一様に、当たり前に、他人事のようにそんな言葉を投げかける。男自身、今までそんな言葉ばかりを投げかけてきた。だからこそ、男は老婆の言う「現実から目を背ける」という事の意味を理解できずにいた。


「昔ならそんなことはねぇが、今のご時世少しくらい楽したって死にゃしないからねぇ。あんたみたいのは少しは夢をみな」

「夢……」


 夢といわれ男は考えるが、それらしいものは何も考えつかない。そもそも男自身、無趣味なもので特にやりたいことは無い。そもそもそんなものがあれば自殺などという事を考えること自体なかっただろう。


「……ま、そういう無欲な人間もいるさね」


 老婆はそういうと、焼酎と料理を交互に口に運びだす。


 夢。


 それは男にとって等の昔に既に捨て去った物であり、今更そんなものを求めようとも考えなかった。だからだろうか、過去にストリートミュージシャンが駅で歌っているのを見た時、横を歩いていた同僚はそれを一蹴して笑い飛ばしていたが、男はそれを見て一切笑う事が出来なかった。


 男は酒を口にする。酒は舌の上でその風味を広げているはずだったが、何故か男にはそれを感じることが出来なかった。

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