邂逅
僕とジョニーはずっと同じ町で暮らしてきた。
そこはとんでもない田舎町で、僕らにとっては大統領選挙やポップスターの死去なんかより、童貞をいかにして捨てるのかが重要な事だった。
そんな無邪気な僕らは、いつもふざけあっては、草原の果ての高台まで競い合い走った。
はるか遠くにいつもと変わらないロッキー山脈が見えた。その巨大で偉大な山裾に広がるグレートプレーンズ、そこが僕たちのすべてだった。
アメリカ合衆国、カンザス州フォード郡ドッジシティ。かつて悪名かつ名高い拳銃使い達が闊歩した街であり、オールドウェストを標榜する代表的な街だ。今でも西部劇の世界を垣間見たいという、物好きな観光客が多いのも確かだけど、僕らにとっちゃただの田舎町にすぎない。
退屈で、平和で、美しい街だ。
幼馴染のメアリーと僕らはいつも仲が良かった。
互いに僕らは牽制しあっていた。僕とジョニーの双方ともが、メアリーのことが好きで、そのことをお互いがよく知っていた。だが、そこは男同士の友情という奴だろうか、単に意気地なしだっただけかもしれないけども、僕もジョニーも彼女をのことを柵の向こうから見つめるだけだった。
メアリーは僕らを見つけると、いつも太陽のような微笑をくれた。あの時の僕らには未来なんて解らなかったけど、ただそれだけですべてが救われるような気がしてたんだ。
身体も立派になり成長した僕らは、やがて生まれ育ったこの地を離れることになった。残念ながら僕とジョニー、そのどちらともメアリーへの恋が実ることはなかった。いずこかの段階から、立場の違いってのを理解していた僕らにそれほどの驚きはなかった。ほどなくしてメアリーは僕たちの知らない男との間に子供を身ごもって、母になった。
永遠に続くかと思われていた時間は、離別という言葉で動き出す。この退屈な田舎町では時間の流れが止まっているかのように遅かった。そして外に出て、いかに僕たちが世間を知らなかったのかを思い知らされた。
僕とジョニーは同じ時期に生まれ同じように成長したのだけど、ジョニーの旅立ちの日の方が少し早かった。僕はジョニーに遅れること三か月、メアリーを残してカンザスを出立した。別れの前日、僕は最後にメアリーと話したいと、あの草原へと出向いたけど、やっぱり彼女は現れなかった。もう彼女は草原で無邪気に駆け回る少女ではなかったのだ。
僕は西へと、ジョニーは東へ行ったらしい。
おそらく、もう会うことはないだろうという予感は僕にもあった。もしも会えたなら奇跡のような話だよ、とジョニーは鼻を鳴らして笑っていた。
嘘のない誠実な彼の態度が僕は好きだった。彼がメアリーを好いているということを打ち明けてくれなければ、きっと僕は今も心の中にしまっていたままだった。
かなわぬ恋だと解っているのに、恋い焦がれるなんて馬鹿げてるって、僕は覚めたふりをして口笛を吹いていただろう。グレートプレーンズで生まれ育った僕らに、それほど明るい未来が保障されていないことだって、いい年になればわかる。自分たちが何をなすべきで、何者なのかもわかってしまう日が来るのに。
でも、そんな灰色に縁どられた未来が待っているにもかかわらず、ジョニーはいつも笑顔を絶やさなかった。駆けっこではいつも置いていかれたけど、いつもその先で僕を待っていてくれた。あの大きな木のある丘の上で。
いつまでもそんな訳にはいかないんだって、夕日の向こう側を見つめながら毎回、口癖のように言っていた。だから今を精一杯生きるしかないんだって。嘘偽りのない今を精一杯生きることが僕たちに許された、ただ一つの自由なんだって。
あれから一年。僕は遠く離れた日本にいた。祖国とは違って、地平線すら見えない小さな島国だ。こんな小さな国だけど仕事はたくさんある。僕らのような田舎者が多く求められているんだ、不思議だろう?
日本人はとても勤勉で、おとなしくて、平和的だ。そして日本の町並みは僕たちの育ったドッヂシティにはないものばかりで、とても刺激的でもある。
もっとも、僕らがその恩恵にあずかれることはほとんどないのだけどね。
今日は日本に来て、初めて一般家庭に招かれた。いつもは業者のあっせんで、大きな店舗に行くことが多いのだけど。
僕を招いてくれたサラリーマンの佐藤さんは夫婦と子供二人の四人家族で、それほど広くはないけれど一軒家で悠々自適に暮らしている。今日は昔なじみの友人を呼んで自宅の庭でバーベキューをやるんだって。新築祝いだそうだ。
黄昏時にかけて友人たちが食材を持ち寄って集まってくる。
僕の故郷アメリカはバーベキューの本場で、家の主は肉がうまく焼けないと一人前と認めてもらえない、なんて話もあるくらいだ。ここ日本でも焼き手はやはり父親か、男兄弟が担当するようだけど、アメリカと違うのは、彼らは肉の焼き方よりも炭に火をうまく点けられるかどうか、というところにバーベキューの習熟度を据えている。
なんで炭にこだわるのかって? 日本じゃアメリカのように大型の野外オーブンを使って豪快に肉を焼くという文化はなくて、日本でバーベキューというともっぱら炭火焼肉のことを指すからだ。ま、庭の広さとか物置のことを考えると仕方ないよね。
「おう佐藤、今日は極上の黒毛和牛持って来たぜ!」
「うっひょ、たすかるー。コスパ最強の米国産だけど、やっぱせっかくの炭火焼きだからなぁ、サンキュー鈴木」
「うっおおお、霜降りじゃねぇか! 鈴木奮発したなぁ」
「あったりめぇだ米国産の安物と一緒にすんなよ、国産A5クラスだぜ。高かったんだから、味わって食えよ!」
ちょっと僕は複雑な気持ちだけど、仕方ないよね。狭い国土では大勢の牛を飼って薄利多売はできない。だから日本人は牛をとても大事に育てる。牛肉の価値を上げて、単価で利益を得るってわけ。最近じゃ見事にジャパンビーフとしてブランディングに成功したよね。
まあ、それはそれで、同じ牛肉と――――ちらと僕は鈴木さんの傍らに視線を巡らせる。するとどうだ、そこには驚くべき姿があった。
ジョ、ジョニー!? ジョニーじゃないか、あれは!
なんと、そこにはジョニーがいた。奇跡だ、これは。まさかまた会えるなんて!
(おおいジョニー! 僕だよ、ホラ覚えているかい? あのドッヂシティで一緒だった……)
僕は感激のあまりそれ以上言葉が出なかった。いや、上手く喋れたかどうかもわからない。
だが、ジョニーから返ってきた言葉は、一撃で僕を打ちのめした。
(――誰だよ、おまえ……しらねぇな)
ずいぶん印象が変わっちゃった感じがするけど、きっとこの一年でいろんなことがあったんだろう。なんか見た目からして体調もよくなさそうな感じがする。
(君が僕を忘れるなんてありえない。僕だって一目見ただけで君だと気付いた!)
(なんだよ、おまえ……アメリカ人かよ。ワタシエイゴワカリマセーン? オレは日本生まれの日本育ちだよ、お前なんか知らねぇよ)
――僕の言葉を理解してるじゃないか……。
(ねぇっ、一緒に草原を駆けてあの大きな木のふもとで、夕日を眺めただろ、忘れたのかい?)
(あ? なんの話してんだよ。鬱陶しい奴だな)
(ほら、メアリー可愛かったよな)
(メア……っぶるぶるぶる、しらねぇ! メアリーなんて女は知らねぇ)
(嘘だ! 何の冗談だよ!)
(嘘じゃねぇよ、ここ見てみろ!)
僕は傍らに置いてある彼の身分証明書を覗き見る。たしかに日本生まれだと書いてある。彼を連れてきた鈴木さんもそう言っていた……。
(まさか、本当に……?)
炭火から発せられる遠赤外線がじりじりと僕の身を焦がす。
僕は寂しさのあまりおかしくなってしまったのだろうか。だとしたら随分失礼なことを言ってしまった。じとりと脂汗が身を伝う。
ふと彼を見ると、同じように全身から汗を流していた。いや、ただ熱かったから、なだけかもしれない。
(す、みません。どうやら僕の勘違いだったみたいです……)
(ああ……いいんだよ、気にするな。に、しても熱いな……)
(ええ、炭火って熱いですね……あの、日本の牛って大切に育てられているんでしょう?)
(ああ、日本の牛はさ、脂がのるようにいいものを食わせて太らせるんだ、霜降り肉はサシを多くすりゃ喜ばれるからなぁ。でもな、大事にされてるってのはちょっと違うんだ。牛舎に詰めて動けなくしてよ、病気の予防のために薬漬けよ。出荷される時は歩けねぇわ目は見えねぇわ、ちょっとした糖尿病患者よ。たまんねぇよな)
(えっ! そうなんですか? じゃあ……君も……?)
(――噂で聞いた話だ……オレはさ、オレのはさ、インジェクションっつってな、人造霜降りなんだよ。それはそれでたまらねぇんだけどさ、針のむしろだぜ?)
(それじゃ……え? じゃあ、君は一体……」
(なあ……メアリーは俺のことなんか言ってたか?)
(――――! ジョ、ジョニー? やっぱり君はジョニーなんだね……っあああ!)
(ふっ……あばよ、兄弟)
そう一言言い残し、僕を置いて、またジョニーは先にいってしまった。佐藤さんの口腔へと消えてしまった。
「……なあ鈴木、言いにくいんだが……これホントに国産霜降り牛なのか? 柔らけぇっちゃあ、柔らけぇけど、俺の用意した米国産牛と大して味変わらねぇ気がするぞ?」
当然だ、それはジョニーなんだから。正真正銘、生まれた時から僕と一緒にグレートプレーンズを駆けまわっていたジョニーなんだから。
ともにメアリーに恋をした僕らが、こんな風に運命を分かつことになるとは考えもしなかった。
だけど――――
「あれ、本当だ……まさか今時偽装肉かよ……どうりでむちゃくちゃ安いとは思ったんだが」
「安かったのかよ!」
どれほど見た目が変わっても、雄大かつ偉大なるロッキー山脈のたもと、広大なる大地で培われた僕らの魂はごまかせない。
ああジョニー。やっぱり僕と同じなんだね。変わっていないんだ。今はそのことが僕は一番うれしいよ。さあ、またあの日のように一緒になろう。