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起-5-

 嵐は通り過ぎていった。病室は静けさを取り戻し、光の満たす室内で一か所だけ凍えた気配がある事は敢えて無視しているのか、色白の腕が伸びた先。読みかけの本はしかし、傍らから伸ばされた手が先に拾い上げてしまった。

「聡耶」

 本を片手に立つのは年若き医師ではない。

 恨めしげに見上げてくる視線は受け流し、高見家当主は今し方まで玻綾が座っていた椅子にゆっくりと腰掛けた。

「……次は貴方ですか?」

 昨晩から事あるごとに叱られている仁は、うんざりした様子を隠しもしない。

「ようやく、私なのだよ」

 盛大な溜め息をつくその様に穏やかな微笑みを浮かべた聡耶は、しかしその実、怒りの気配は微塵も感じさせなかった。寧ろ、その表情は何処までも優しく。

「……何ですか?」

 栄養剤の溶かされた容器を手に、窓際に置かれたベッドの、引かれたままのカーテンの中に入っていく蒼葉の姿を視界の隅に捉えながら、仁は、微笑みを湛えたまま沈黙を守る高見家当主を胡乱気に見遣る。

「いや。ただ、ちゃんと説明をしていたと思ってね」

「…………」

 まるでその時を待っていたかのように、朝の治療を終えたところへ彼は訪れた。それから数秒と経たずに怒り心頭の不穏な気配が届いたものだから、縋る様な視線に気付かない振りをして早々に医務室へと退散した聡耶には、先の遣り取りの全てが聞こえていたのは道理。

 だから、形の良いその眉根が寄せられた理由は、もっと別にある。

「彼等はちゃんと、理解しようとしてくれただろう?」

 眉間の皴がより深くなる。髪を掻き上げる、それは苛立ちが強い時に彼女がよくやる癖の一つ。

「ただ混乱させただけだと思いますが」

「理解しようとするその過程に、意味はないと?」

「結果として理解出来ないのなら、残るのは不安だけです」

 何度も繰り返された問答だ。どちらも譲らないから、常に平行線で終わる。この遣り取りも、きっと仁には無意味に思えるのだろう。聡耶の目の前でしきりに仁は髪に触れる、それもまた苛立ちの表れ。

「なら、彼等に話したことも無意味だと?」

 容赦なく矛盾点を突けば、予想通り、髪に触れていたその手は止まり、やがて深い溜め息がその唇から漏れる。落ちた手、逸らされた瞳、彼女にしては珍しい、返す言葉を探している。

 指先が弄んでいた煙草を銜える、その行動を聡耶は敢えて止めなかった。マッチを擦る音はカーテンの向こうにも届いていたはずだが、主治医が血相を変えて姿を現わす気配はない。沈丁花の香りが匂い立つ。

 紫煙を吐き出すその行為は、沈黙を挟む言い訳。

 揺れる碧色、厳しい表情を浮かべるその横顔を静かに見つめ、聡耶はただ、口が開くのを待った。

「……危険には、晒したかもしれません」

 そうして得られた呟きに、聡耶は僅かにその紫水晶の瞳を瞠った。

「知らないからこそ非情になれた。憎むべき相手にも理由があると、僅かな躊躇いさえも命取りになる」

 美しい輝きを秘めた瞳は瞼の裏に隠され、その先の闇に彼女は何を見ているのか。

 あれは、ただの狩り――昨晩の久賢の言葉が、聡耶の脳裏に蘇る。都人が〝神座の森”と呼び、畏怖し、忌み嫌う存在達。その森の向こう側から来た者にとって、闇の属するモノはまた別の意味を孕む。

「人に仇名す以上、如何なる理由があろうとも、狩らなければ」

 介在する理由とはどのようなものか。それでも人を好きだという存在を葬り去らなければならないその心に去来する感情は、果たして。

 まるで感情を無理矢理掻き消すかのように、取り出した携帯灰皿へ吸い終えた煙草を押し付ける。

「そこに、躊躇いも、後悔も、情けさえも、不要です」

 生きたいのならば。大切な誰かを護りたいのであれば、と。

 高見家で修行する者達ならば、何を今更、と誰もが鼻で笑うことだろう。しかし、言葉にすればあまりにも簡単なその覚悟が如何に重く、哀しみに満ちているかを、聡耶は知っていた。

「仁」

 ベッドの淵に座り、問う様に顔を向けたその身を聡耶はそっと包み込む。

 刹那、生じた硬質な気配はしかし、すぐに掻き消える。瞬きの間、狭い空間を満たした激情の名を知りながら、聡耶は気付かない振りをした。硬直した体から力が抜けるのを待ち、今一度、彼女を呼んだ。

「私の家族を護ってくれて、有難う」

 抱き締めた華奢な体から伝わってくるのは困惑だ。

 仁にしてみれば、当然の結果なのだ。宵達が無事に試練を乗り越えたのは、彼等がケガレを呼び寄せる為の〝贄”となったから。その後も他の見習い達が大きな怪我もなく冠誕の儀を終えられたのは、久賢を筆頭に高見家屈指の退魔師が三人、妖が厭うアワイを救う為に危険を冒したから。

 全ては、契約。等価交換であり、礼ならば寧ろ久賢達にするべきだと、彼女なら言うだろう。自分はただ、契約履行の一端を担っただけだと。

 いつもなら、聡耶はその思いを酌み取ったことだろう。他者の感情を読むことに関しては双方共に長けている。無駄な言葉は必要としない、だからこそ、対等な関係は心地が良かった。

 それでも、聡耶は敢えて、その言葉を贈る。

「大切な、私の家族だ」

 言外に含ませた、その〝家族”の輪の中に仁もいることを。彼女はそれを、確かに読み取っている。


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