表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

起-3-

 ふん! と鼻を鳴らし、玻綾はようやく胸倉を掴んでいた手を離し、彼女を解放する。ベッドから降り、消えた重みにほっと息を吐く様子から察するに、相当辛かったようだ。病室と隣にいるのが玻綾という環境下という甘えもあるのだろうが、普段から感情をあまり表に出さない彼女だからこそ、受けた傷が相当深いのだろうかと心配になる。

 それとも、自分達が今までただ見ていなかっただけで、案外、彼女は感情豊かなのだろうか。事実、この短時間でも、仁は様々な感情を覗かせた。

「臣、宵。貴方達、いつまでそこにいるつもりなの」

 完全に傍観者だった二人は、準師範に名を呼ばれて我に返った。入室してからこの方一度として視線を向けられた事はなかったが、気配には気付いていたに違いない。ただ、優先すべき事があっただけで、それが済めば、当然、次は自分達の番である。

 医務室へと続く扉を覗い見る。地獄の門を平然と開けた若き医師の手に持たれていた物は、いくつかの薬品が入った瓶と真新しい包帯だった。恐らく、怪我の治療をする為だろうと推測は容易いが、今のところその扉が開かれる気配はなかった。

「……すみません、玻綾先輩。どうしても、仁に返しておきたい物があったものですから」

 壁側のベッドに歩み寄り、二人はまず許可なく入室した非礼を詫びる。準師範という立場上、後輩には見られたくない姿もあったはずだと思ったからだ。

「いいのよ、気にしないで。それよりも、用事を済ませてしまいなさいな。これから忙しくなるんだから」

 ひらひらと手を振られ、宵は臣へ場所を譲る。ずれた枕の位置を直し、再度重心を預けた事で安堵の吐息を零した仁へ、臣はその手に持っていた物を差し出した。

「これ。返し忘れていたから」

 臣の掌にすっぽりと収まる漆塗りの煙草入れを視界に入れ、あぁ、と。今の今まで忘れていたかのような反応で、仁は受け取った。

「ごめん」

 慣れた手付きで中身を確認する仁へ謝罪すれば、その碧色の瞳が不思議そうに臣を見上げてきた。

「君に確認もせずに、あげてしまったから」

 眉を下げ、申し訳なさそうに臣はもう一度謝る。得心がいった様子で一度頷いた仁は、煙草入れへ視線を戻した。

「謝る必要はないよ。その為に渡したようなものだから」

「え……?」

「お守りだと、言っただろう?」

 本数を確認し終え、その細い指が一本、煙草入れから取り出す。

「お守りって……僕達が彼女に出会うと、判っていたってこと?」

「まさか。私は占師(うらし)じゃない」

「じゃあ、なんで……」

「あらゆる可能性に布石を打っただけ。遭遇しなかったとしても、充分にお守りの役割は果たしていたはずだから」

 疑問を投げかければ応えを返してくれる。しかし、仁の場合、答えが説明になっていない時がある。まさに今がそれで、顔を見合わせた錬士二人は助けを求める様に自然と反対側に置いた椅子に腰を下ろした玻綾を見た。

 投げられる視線に気付いた玻綾はしかし、軽く肩を竦めて見せるだけだ。同室者である彼女にも解らないのか、それとも、自分達で答えを見つけろと言いたいのか。

 迷いなく後者の意味にとった二人のそれは、玻綾に対する揺るぎ無い信頼の証だ。

「どういう事? 仁、僕達にも解るようにちゃんと説明して」

 未知なるものを理解しようとする傾向は臣の方が圧倒的に強い。自然と口を開くのは臣ばかりとなったが、宵が不服そうな様子を見せる事はない。

「この巻き煙草の原料には、沈丁花が使ってある」

 施された美しい蒔絵の意匠は沈丁花と菖蒲、漆塗りの煙草入れから取り出したまま細い指が弄んでいるそれに、自然と全員の視線が落ちた。

 あの深い森の中で、ふと鼻腔を擽ってきた香りは確かに、沈丁花。冬の終わりに咲き誇り、春の訪れを告げる使者だ。

「特定の香りは自己の証明。彼等は人の気配に敏感だから、干渉者ではないと報せているんだよ」

 森に入った気配が何者で、それは決してそこに住むモノ達の理を侵す存在ではないと。

「それで大抵の厄災は掃う事が出来る。こちらが認識しなくても向こうが避けてくれるから」

「避けるの? 寧ろ、襲われる可能性の方が高いと思うけれど」

 玻綾の問いは後輩二人だけではない、都人が抱く当然の疑問のように思えた。

 妖とは、人の理解の及ばぬモノ。時として人に仇名し、討伐するべき対象に過ぎず、決して相容れぬ隣人。人と知れれば捕食の対象となり、極力遭遇しないよう努める。それが常だ。

 それなのに、わざわざ自分から存在を主張するのは、自殺行為ではないのか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ