金食い虫ではありません
城内をコツコツと歩いて騎士団の練習場へと向かう。
3日程かけて入念に城下町は調べ、残るは騎士団の様子を見るだけだった。
きっと騎士団に至っては特に大きな変化もないだろう、とは思うが……何ぶん状況が状況なだけあって油断は出来ない。
「あぁ、ユニちゃん、今日は見学か?」
「あらセネドアさん、こんにちは。ええ、勿論です、最近は表立った仕事はありませんもの。」
練習場へ来ると、入り口の一番近くに居た騎士団の団長であるセネドアさんが声をかけて来る。
セネドアさんは私が答えた後にしまったという顔をしてからガシガシと頭をかく。
「公爵家のご令嬢にする対応じゃねぇよな、申し訳ねぇ……不敬にでもなっちまうかな?」
私は、ふふっと笑って首を振る。
「何を今更、いつものことじゃありませんか。それにセネドアさんのそういう所がいいと思いますよ。私は気にしません。」
「悪りぃな、学が無いもんでよ。」
申し訳なさそうな表情で、セネドアさんは手を合わせて首を下げた。
セネドアさんは貴族ではなく、平民出の騎士で実力だけで成り上がった。騎士団において身分の差は関係なく、そこには実力だけが全ての世界がある。
しかし、それゆえに貴族社会を理解してはいない上に剣しか振るって来なかった為か学も持ち合わせてはいない人間も散見される。
セネドアさんに関しては、流石に王城勤めの方たちにはしっかりとした対応をしているようだが、どうも私は最初の印象が強いためか普通に接せられがちだ。
小さい頃、私は軍師としての勉強のためにお父様と一緒に城に来ていた。あの頃は……いや、今もだけれど女性の軍師はかなり少なかった。それゆえに髪は短く服装も男子っぽくしていたのだ。
だから、迷子になってセネドアさんに助けられた時も、平民の男の子が迷子になっていたと思われていたのだ。
私がまさか公爵令嬢だとは思わないまま何度か会っていた為に今でもあの時のような対応のままなのである。
まあ、仕方がない。
「ユ、ユユ、ユシュニス、公爵令嬢。」
オズウェルが私を見つけて慌て始める。
あぁ、そういえば最後に会ったのはあの夜会の時だった。
「あら、そんなに慌ててどうしました?」
私がニコリと微笑むと、オズウェルはグッと唇を噛みしめる。
実際、オズウェル・ジュラードの心の中には『もしかしたらバレていないのでは? いやしかし、ユニのことだから外にそれを出していないだけかもしれない。どうしよう、どうしたらいいんだろう。』という葛藤があった。
それがユシュニスに知られることは無いわけだが。
「なん、でもない、失礼する。」
オズウェルは、クルリと別の方を向いて奥の方へ歩いて行ってしまった。
「クールはどこに行ったのやら。」
「元々、ただのヘタレだよ、あいつは。」
私がふふっと笑って言うと、セネドアさんも仕方ないというように呆れたような声で言った。
「ユ〜ニ〜さんっ!」
突然、ぴょこんっと私とさほど背丈の変わらない少年が飛び出て来た。
私が158cmなので、おおよそ160cmくらいかと推測することが出来る。
私の1つ年下のこの子はダ・アイシクル。魔法科には双子のシェ・アイシクルもいて、2人とも騎士団と魔導師団のエース的存在である。
「あらチビ助くん、練習をサボるのは頂けないわね。」
「チビ助じゃないよ、それに今は休憩時間でーす。」
ダァくんは、ムッと口を尖らせる。
「ねぇ、まだボクお昼まだなんだけど一緒に食べに行かない?」
「それを"サボり"と言うのよ、ダァくん。」
「だーって、可愛いお姉さんはデートに誘わないとっていうのがボクの信条だもん。」
ダァくんは、顔立ちの良い女性にはすぐにデートを申し込む。ダァくん自体も顔立ちが良い上に弟のようなので、年上の女性には人気がある。
突然、ダァくんはビクリとして後ろを恐る恐る振り向く。ダァくんの視線の先には恐ろしい形相でこちらを睨むオズウェルの姿があった。
「あー、やっぱり副団長が恐いからやめとく。」
「ええ、そうするのが最良だと思うわ。」
ダァくんと会話をしていると、私たちとは反対側にある入り口が騒がしくなる、ゾロゾロと人が入って来ているようだ。騎士団の人々が頭を下げている。
あぁ、あの人たちか。
そう悟った私は、その集団へ歩み始める。
彼らの視界に入ったところで歩みを止めて、私も頭を下げた。
「ご機嫌よう、殿下。」
「……ふんっ、貴様のような者がこの場所に何のようだ? 冷やかしか?」
冷やかしに来てるのはどちらだ、と心の中で悪態をつく。
私はスッと頭をあげて、内心の苛立ちとは反してニコリと笑いかけてやった。
「いえ、騎士の練習風景を見るのも私の務めですから。」
私が少なくとも月に1度こうして見学に来ているのを知らなかったのか?
いや、知っていただろうが先程殿下が仰っていた通り、冷やかしだと思われていたのだろう。
ああ、実に、嘆かわしい。
「貴様がここに来て何になる? 何の仕事もせずそうして自身のしたいように生きるのは、心底羨ましいことだよ。」
殿下は蔑むような瞳でこちらを見る。
私は沸き上がる怒りを抑えこんだ。
しかし、次の殿下の言葉でそれは不可能になる。
「この、金食い虫め。」
ぶちっと、何かが切れる音がした。
殿下の隣にいる兄は驚いた表情で殿下を見つめる。それは勿論のことだ、兄はこの件に関しては確実に私の味方をしてくれるはずだ。
「殿下、お言葉ですが我が妹は金食い虫では。」
「なんだエドワード、そいつをかばうというのか。」
兄の発言をバサリと遮り、殿下はキッと兄を睨む。
「いや、庇うもなにも……。」
殿下が何も知らないという事実に驚きすぎて兄は少しだけ混乱する。更に睨まれて威圧されたので、上手く発言が出来ていない。
殿下は王族なのだ、許されない発言は不敬罪にもなりかねない。
「エドワード様はお優しいのですね。」
「リマ、違うんだ、ユニは「もういいですわ、お兄さま。」
兄の発言を遮って、私は冷めた声を発する。
「ありがとうございます、今回だけはお兄さまの気持ちを受け取ります。」
私はニコリと微笑みかける。
兄は、やはりお兄さまだ、と少しだけ希望が見えた気がした。
まだ、私を守ってくれるだけの気持ちはあるということがわかったのだから。
「殿下は、本気で私が金食い虫だとお考えなのですか?」
殿下に真剣な眼差しを向けて言うと、殿下は再び嘲るような表情を浮かべる。
そして、ふんっと鼻で笑った。
「勿論だ。」
私は、はぁと大きくため息をつく。
周りの人たちも殿下たちへ不信の目を向けた。
「まるで殿下はキッドソン家の仕事をわかっていらっしゃらないようですね。」
「あ? 公爵家の仕事など内政、それから戦時においての軍事的役割だろう? それがなんだというのだ?」
キッドソン家は政治の部分だけに携わっているわけではなく、軍事の部分にも携わっている。戦略を練り、戦争で前線に立って指示をしているのだ。
つまり、戦争において勝敗を分けるような人物であり、他の公爵家とは違い唯一前線に立っている家である。
そこまでわかっていて、なぜ私がここにいる理由が理解できないのだろう。
この王子で本当に大丈夫なのだろうか?
1番初めにリマさんに絆されたのも殿下なわけで、確かに仕事は出来てもそれ以外ではどうなのだろう。理解力のなさに対しての不安しかない。
「殿下、本当に理解していらっしゃらないのですか?」
「どういうことだ? エドワード。」
私が説明するよりも前に、兄が口を開いた。
兄の言葉に殿下は不思議そうな顔をする。
「殿下、少し前に起こったセラ・アルバ皇国との『エヴァネ砦防衛戦』は、一体誰が勝利へ導いたというのでしょうか?」
「それは、若い女性の軍師が……!?もしや!!」
今更気づいたというのか。
私、ユシュニス・キッドソンは2年程前から父と共に前線で軍師として仕事を行っている。自分で言うのも恥ずかしい話だが、私は『天才軍師』と呼ばれている。
そうして『エヴァネ砦防衛戦』では、父が別の仕事で忙しかった為に、私と兄とアシュレイで前線に向かったのだ。
そこで、私の戦略を使ってエヴァネ砦の防衛は成功したのである。
「私のどこが、一体金食い虫だと言うのでしょうか?」
私がその言葉を告げると、殿下は口をぐっと噤んだ。悔しそうに顔を歪めている。
そもそも、長らく殿下の婚約者をしているのに私について知らなすぎではないか? 初めから知るつもりがなかった、ということか。
「むしろ金食い虫は殿下の隣にいらっしゃるのでは?」
私がリマさんの方を向いてニコリと笑いながら、トゲのある言葉をぶつける。
「し、失礼な!」
「そ、そうだ、リマはお前よりは余程役に立っている!!」
はぁあ? 何で平和な場所で好きなモノを食べて、煌びやかなドレスを着て、豪勢な生活してる女の方が私よりも役に立つの?
この女がこの国から戦争を無くしてくれるとでも言うの?
それとも、もしかしたら死んでしまうかもしれない危険のある前線で働いている私たちは役に立たないと?
「……殿下、お言葉ですが……それは我々を愚弄していると受け取ってもよろしいのですか?」
オズウェルが、低い声で殿下に進言する。
ここにいる殿下たち以外の誰もが、怒りを覚えた。殿下の言葉は、私や騎士団……それだけではなく戦争に出ている全ての者をバカにしたのだ。
「やめましょう、この争いは不毛です。私も少し落ち着きが足りていませんでした。」
私の一言で、皆は表面上取り繕って怒りを抑え込む。
「まあしかし、金食い虫は1人では無かったようで。」
私が殿下にも告げると、殿下は顔を真っ赤にして憤慨し、リマさんもムッとした表情になった。
「わたしには何を言ってもいいです、でもっ! リューク殿下をバカにするのはやめてくださいっ!!!」
キーキーと甲高い声がうるさい、と感じる。
そもそもの原因は貴女じゃない。
それに貴女は自分が金食い虫だって理解しているのかしら? いいえ、きっとしていないのでしょうね。
一体、貴女はこの国に来てから何をしたと言うのでしょう? 仕事という仕事をしたかしら?
与えたものは害ばかり。
どうして神は……こんな娘を我々に寄越したのですか? 我々が何かあなたさまの気に触れるようなことをしたというのですか?
「なら、貴女は私より役に立つ存在だとでも言うのですか?」
「少なくとも、殿下はあなたより大変な責務を全うして国民の為に働いています。」
ほら、やはり会話が成立していない。
どうして貴女のことを聞いているのに殿下のことになるのかしら? それに今の現状、殿下が私より責務を全うして国民のために働いているとは思えない。
それは、大抵の者は理解していること。
「私は、貴女のことを聞いているのです。」
私が彼女に問うと、彼女はビクッと体を震わせる。
「言わせておけばっ! 貴様はリマを虐め、卑劣なことをしたのだぞ! そのような害悪が功績を上げたとしても許されはしない! 害悪が役になど立つものか!」
害悪……?
なぜ、私が害悪と呼ばれるのか、理解に苦しむわけだが。
殿下には見えていらっしゃる? この周りの白い目が。
「『エヴァネ砦』が陥落されてしまったら、どれほどに被害が出て、どれほどに我々が危うい事態に陥ってしまうことになるか……殿下はお分かりですか?」
兄が、私を庇うように立ち、そして殿下を見据えてドスの効いた低い声で告げる。
「陥落されたら、再び奪還するまでだ。」
兄に負けじとギロリと睨みながら殿下が言う。
それに対して、兄は呆れたように首を横に振った。
「貴方は何もわかっていない。この国の為に仕事を始めて何を学んできたのですか? 先程から貴方の発言は前線に出る者を愚弄し、国の為に戦ったユニを蔑むものばかり。それがこの国の上に立つ者のする所業ですか?」
久しぶりに、こんな兄の姿を見た気がした。
ここ数ヶ月ずっとリマさんに絆されて堕ちた兄しか見てこなかった。
以前のような、頼りになるお兄さまが戻ってきてくれた気がする。
私は、そんなお兄さまの姿が嬉しくて、少しだけ目に涙が浮かんでしまう。
視界の端に見えた、リマさんが酷く鋭い視線をこちらに向けていた。しかし、すぐにいつも通りに戻ってお兄さまを見る。
「エドワードさま……ユシュニスさまは、わたしを虐めて「君は黙っていてくれないかな?」
リマさんがお兄様に声をかけると、お兄様は無表情で言葉を遮った。
リマさんは今までそんなことをされたことが無いようで、ビクッと体を震わせてリューク殿下の背中に隠れた。
「殿下、あまり我々を馬鹿にしないで頂きたい。」
今までで一番鋭い眼光に鬼のような表情と低い声。敵意を向けられていない周りの者までもがビクリと身体を震わせた。
それから、チラリと私の方を見てもう一度殿下に向き直り頭を下げる。
「妹の顔色があまり良くないので今日はこれでご容赦頂きたい、それでは。」
お兄さまはこちらへ歩いてきて、私の肩を抱いて出口へ向かった。
「まさか、あんなに殿下がバカだとは思わなかった。」
「お兄さまは……私が嫌いではなかったの?」
私が涙で濡れた瞳でお兄さまを見上げる。
目が合ったお兄さまは、少し困ったような表情をした。
「いつだって、ユニを嫌いになったことはないよ、大好きな妹に代わりは無かったさ。」
「そう、ですか。」
その言葉が嬉しくてまた少し涙が零れた。
自分は愚兄と言いつつも、お兄さまが大好きだったのだと実感する。
「今日は家をバカにされた気もしたし、何より前線で戦った者への冒涜だ。殿下とリマには失望したよ……まあ、ユニがリマに対して行ったことは許せないけれど。」
あぁ、まだお兄さまは兄のままだ。
けれど、今は兄のままでも、またお兄様に戻るような希望がどんどん膨らんでいく。
どうして、お兄様はリマさんを好きになってしまったのですか? どうしたら、兄はリマさんを諦めて元のお兄さまに戻ってくれるのですか?
「ユニ……じゃなかった、ユシュニス公爵令嬢!」
後ろからオズウェルの声がする。
追いかけてきたのか、兄と私はそちらを振り向く。
「大丈夫、ですか?」
私がコクリと頷くと、ホッとしたような表情を浮かべる。それから兄の方を向いて頭を下げる。
「先程、我々が何も言えなかったところを殿下に進言してくださりありがとうございました。騎士団を代表して礼を言います。」
そりゃ、なかなか一国の王子に兵士がとやかく言えないですものね。
「しかし……一体どういう風の吹き回しですか? 急にユシュニス公爵令嬢の肩を持つようなことを。」
真剣な眼差しが兄を捉える。
兄はニコリと微笑んで口を開く。
「別に、悪いものは悪いってことだよ。可愛い妹を愚弄されるのはあまり良い心地もしない。あぁ、私はまだ寄る場所があるから後はオズウェルくんに任せるね、妹をよろしく。」
兄は私の髪をくしゃっと撫でてからポンポンと軽く叩いて歩いていく。
途中で「あっ」と何かを思い出したように声を発してクルリとこちらを振り向く。
「そのユシュニス公爵令嬢っていうのよそよそしいから辞めたら?」
そう言って、兄はもう一度歩き始めた。
「そう、言われても……。」
オズウェルは困ったように言う。
私は、ふふっと笑って彼を見つめる。
「前のようにユニと呼んでもよろしいですよ。私も、以前のようにオズウェルと呼びますわ。」
「ぅ、ぇえっ!?」
反応が面白くてまた私は、ふふっと笑ってしまう。
「さぁ、帰りましょう。今日は送ってくださる?」
私は意地悪くニコリと笑い手を差し出すと、ウィルは少し動揺してからキリッとして私の手を取った。
「勿論です。」
彼もニコリと微笑んで私達は歩み始めた。
金食い虫って言葉、あんまり使わないよなぁ…なんて思いながら使いました。
実は兄は現在のエドワード、お兄さまは以前のようなエドワードを示す言い方をしています。今回は少しだけ昔のエドワードに戻ったためユニもお兄さま呼びが多いわけです。
気づいた方がいればなんだか嬉しいです。




