感情
「あんたには本当に辛い思いをさせてしまった……」
お母さんは長々と懺悔をした。
私を殴ったこと。今の私の全ての始まり。
これについても謝罪をしてきた。
お母さんが娘に頭を下げるのはどんな気持ちなんだろう。
私は今、複雑な気持ちだ。
お母さんに謝られて始めて気がついた。
こんな謝罪で許せることではない。
私はお母さんを憎んでいるーー。
私の悩みの原因を作ったのがお母さんだ。そして私を放棄した。私に相談できる相手なんて居ないのに。唯一の肉親なのに私を見捨てた。
生まれた瞬間から何があっても味方なのは母親だけ。なんて話を聞いたことを思い出した。
それは違うと思う。
母親だって人間。お母さんも人間。
不満を感じるだろうし、我慢もする。それに耐えられなくなることもある。
だから仕方のないこと。
それはもっと違う。
私は謝るお母さんの姿を見て、だんだん不機嫌になった。
全てを諦めて、悲しみ以外の感情を失くしていた私は、その事実に驚いた。
私の感情が怒っている。
私は怒っている。
許せない。
私は食べ終わった親子丼のドンブリを片付けて部屋に戻った。お母さんに何も返事ができなかった。
お母さんの表情すら気にかけずに私はベッドに倒れこんだ。
さっき食べたばかりなのにもう親子丼の味を忘れてしまった。そんなことは気にしない。
久しぶりにお母さんと話せて嬉しかったこと。一緒に親子丼を食べたこと。謝られて怒りが芽生えたこと。
色んな感情が私を埋め尽くした。
悲しかった。嬉しかった。怒った。
どれが一番強いかなんて分からない。
分からないまま眠った。
今日も……見れないんだろうな……。
そんな諦めと共に。
ーーーー
ハッ……
目覚めたときには目の前に机があった。見覚えのない机だ。学校で寝た覚えもない。
ここは……どこ?
「ルーシー、どうしました? 座りなさい。」
ハハハハー キャッキャッ
元気のいい幼い子供の高い声が聞こえた。
え? ルーシー? もしかして、私は私なの?
「ルーシー? 大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。すみません。」
いつの間にか立っていた私は自分の席についた。
来れた。やっと来れたんだ。
けれど心の底からは喜べなかった。
ダズが近くに居ない。ジークもニナも居ない。
代わりに幼い子供達が沢山居た。ここは学校なのだろうか。見た目的に……小学校?
「では2足す9は何ですか? えー……フィリス。」
「じゅ、じゅういち……です?」
「合っていますよ。自信を持って大きな声で言って下さいましょうね。」
ショートカットの金髪を首くらいの長さに切っている子は、力無く座った。前下がりのボブ。可愛い、素直にそう思った。
そうか、今は学校に居て授業を受けているんだ。多分、1年生くらいだろう。
なるほど、と私が納得すると、途端に激しい頭痛が襲ってきた。この感覚は前にも味わったことがある。
ルーシーの記憶が入ってきている。
私は先生にばれないように頭痛に耐え、ルーシーの記憶を全て受け入れた。
記憶では、最近お父さん(ジーク)は不機嫌そうな印象だった。何があったのか、と記憶を辿ってみたがルーシーの記憶には原因は見当たらなかった。
どうしたんだろう。
私にはお父さんが居ない。しかし、ルーシーの記憶を介してジークの記憶がたっぷりと入ってしまった私は、ジークをお父さんと思ってしまうような錯覚に陥った。
ジークは私(雑巾ダルマ)のお父さんではない。だから、関係ない。
そう自分に言い聞かせたが、関係ないなんて思えなかった。
少しとは言えお母さんと話せたのはジークのおかげだ。ジークが私を叱ってくれたから、私はお母さんと話すことが出来た。
ありがとう。
心の中で感謝の言葉が溢れてからはジークの心配で胸がいっぱいになった。授業なんてそっちのけだ。
ーーーー
家に帰ってきた。
もちろんルーシーの記憶のおかげで迷わずに済んだ。
ジークはリビングのソファに座っていた。目の前にはお酒があった。まだ小学校が終わったばかりの時間帯なのになぁ。
ぱっと見の印象は「やさぐれている」だった。少なくとも決して健康体には見えない。
「ただいま、お父さん。」
「お、お父さん? お、おぉ……おかえりルーシー。」
何だろう? お父さんと言った瞬間にジークは驚いた顔をした。
もしかして……
ルーシーの記憶を探る。あった、つい昨日の同じ時間。
「ただいま、パパ。」
「おかえり、ルーシー。」
そっか、パパって呼ぶんだ。見落としてたよ……。
折角こっちにこれたんだ。変な行動をして怪しまれて、正体がバレるなんてあってはならない。こっちの世界を一瞬でも楽しみたいし、ルーシーに迷惑はかけたくない。
けれど、今はそんなことは気にしない。ジークが何のせいでこうなってるのか知りたい。でも聞いたら怒られそうな気がする。
どうしよう。怖いけど、聞いちゃおう。
ジークは娘に八つ当たりをするような人間ではない。ルーシーの記憶がそう証明している。そう思うと怖さも無くなって、自然な声を出すことができた。
「パパ、最近どうしたの?」
ジークはハッとした顔をした。さっきの驚きの顔と少し似ていた。ふとジークは斜め上に視線をやった。そして何かを思い出して怒りが再び生まれてきたのかすぐに不機嫌になった。
けれど、すぐに優しそうな顔をして私の方を向いた。ぎこちない顔の笑顔。娘に心配をかけたくないのだろう。
「最近体調が悪いんだ。もうすぐで治るから大丈夫だぞ。」
嘘だ。優しい嘘だ。
私に心配をさせないための。それは悪いことではないと思う。
でもね、ジークが教えてくれたもんね?
「家族には迷惑や心配をかけていい」ジークの言葉が蘇った。
いつになく自分が積極的になっているのが分かった。
お母さんと話したおかげ、元を辿ればジークのおかげ、皆のおかげ。
恩返しになるかは分からないが話してもらおう。
お母さんも私に懺悔した後は少しスッキリした顔をしていた。私はすぐに部屋に戻ったけど、そんな顔が見えた。
ジークも話せばきっとスッキリするだろう。私もいつか話すべきなのだろうか。いや、私のことはまた後ででいいや。
「パパ、話してよ。家族には心配かけてもいいんでしょ?」
できるだけ精一杯答えよう。ジークの全ての悩みが解決しなくとも、少しくらいは解消してあげたい。
迷っているかのように重くゆっくりと頷いたジークは口を開く。
私の初めての恩返しが、今始まる。