親子丼
あれからあの夢を見ていない。
一晩の非現実を見られなくなってから3ヶ月が過ぎようとしていた。
銀斑の空に輝く星の煌めきの全てが、悪夢から逃れられない私を嘲ているかのように感じた。
ーー会いたい。
私はあの家族に会いたい。
いつでも私のことを思いやってくれるダズに。
家族に頼れと私を叱ってくれたジークに。
家族全員で食べるご飯を作ってくれるニナに。
私は私でいたくない。私はルーシーとなれることを祈りながら眠りについては、いつもの天井を見て落胆した。
失望ではない。いつかはきっと夢を見られる。私はそう信じていた。
私は学校でゴミ同然に扱われても、"家族"の記憶で頭を満たし、我慢していた。
本当の家族であるお母さんは、私が久しぶりに話しかけて以来、チラチラと私を見るようになった。不機嫌そうな、嫌なものを見るような目で。
きっと私が突然話しかけたからお母さんは警戒している。それほど私と離れていたいということだろう。
どんなに悲しくて自分の存在が嫌になっても自傷行為はしなかった。
私を大切に思うあの家族に怒られる気がしたからだ。
とはいっても内面も表面も傷だらけで血まみれの私の体は夢の中では関係ない。
ばれないかな。
何度同じことを考えただろうか。そして考えるたびに思い直す。あの家族を裏切るような真似をしてはもう会えないかもしれない、と。
だが、そんな日々は長くは続かない。
よく3ヶ月も我慢できたね。よく頑張ったね。私は記憶の中のダズの言葉を脳内でなぞる。それは何の意味もない、虚しくなるだけの行為だった。
けれど、記憶に縋るしかなかった。そうしないと自分が壊れてしまいそうで怖い。
そもそも、あんな夢を見なければ。
あの家族の温もりを知らなければ。
会いたいと思う反面、そんなことも考えた。
私は、最低だ。
ーーーー
私は今日も一人でカップラーメンを食べていた。
今日は私のお気に入り、天ぷらそばのカップラーメンだ。
だが、私の気分は晴れない。
曇天の空も私の気分を表すかのように雨を降らせた。
ーー違う。私が食べたいのは。
脳が勝手に夢と現実を比較してしまう。私はとうとう耐え切れなくなった。
大泣きした。嗚咽が止まらなかった。
お母さんは私の方をチラリと見て小さな声で呟いた。
そこに"娘"を見る目は無かった。ただ騒音を出す"モノ"をみる目がお母さんに二つついていた。
「うっさいわね。」
その聞こえるか聞こえないかの大きさの声は、容易に私の心につきささり、血を流させた。
私はさらに泣いた。
思考が勝手に夢の方へと傾いてゆく。現実を捨てたい、目を背けたい、と。
限りなく温かく、限りなく短かったあの夢を忘れられずに泣いた。
「どうしたのよ。」
ふと声がした。はっきりと聞こえる声。その出元はすぐ近くにあるように感じた。
お母さんが私の横に立っていた。
そこには僅かながら私を娘として見ている、母親の目があった。
ーーどうしたのか。
言えない、否、言葉が出ない。
私が話しかけると、またあの邪魔な"モノ"を見る目で見られるかもしれない、そう思ったからだ。
お母さんは箸を握りしめたまま声を発さない私と、湯気の立たなくなったカップラーメンを見て、私に声をかけた。
「ちょっと待ってなさい。」
ーーーー
言われたままに呆然と座っていた私の前に親子丼が置かれた。
卵が爛々と光を放ち、ドンブリからは湯気が出ていた。
お母さんが……作って……くれたの?
私がそんなことを考えていると、もう一つドンブリが置かれた。
家族と食べる晩ご飯。
あの温もりが心に蘇る。
私はまた泣いた。こんなに泣いたのは初めてだ。
そして、嬉しくて泣いたのも初めてだ。
何も言わずにお母さんと親子丼を食べた。
正直、カップラーメンも食べていたのでお腹いっぱいだった。けれど親子丼は別腹に入っていった。
食べ終わって片付けていると、お母さんが私の隣に来た。お母さんとこんなに関わる日はいつぶりだろう。
「私はね、あんたが嫌いでこんな風にしてたんじゃないんだよ。」
お母さんは私に初めて見せる、申し訳なさそうな顔で話し始めた。
私はそんなお母さんの言葉を一語一句逃すまいと、洗い物をする手を止めた。
今夜、また夢をみることになることなど想像もせずに。