君に逢いたい
私達は、妖しげなお札の貼られた扉の前で少し戸惑っていた。
いかにも「何かありますよ」という感じがひしひしと伝わってくる。
一呼吸置いて、彼がそっと扉に手を掛けた。
私は見えない何かに虚勢を張るように身構えたが、何かが飛び出してくることはなく、ほっと息をついた。彼の肩越しに部屋の奥を見ると、紅い二つの光がじっとこちらを見ていた。
「――――ッ」
驚いて言葉を発せない私の足元をその光は風を引き連れるように、さっとすり抜けていった。
唖然とする私をよそに、彼は納得したように何度か頷く。
「そうか、アレが原因だったか。確かに、こういう場所なら有り得るな」
「えっと、どういうこと? さっきの、どう見ても猫だったけど」
「そうだな。猫の形をしていたが、アレは本物の猫じゃない。この校舎に残る色んな記憶と想いが具現化したものだろう。それがここを守るように作用してるんだと思う。とりあえず、追いかけるぞ」
そう言うと、彼は走り出した。まだ理解出来ていない私は置いていかれないように後に続く。
長い廊下を駆け抜けて、彼は真っ直ぐ出口へと向かう。何故、迷いなく走れるのか私には判らなかった。
校舎の外は広い校庭と空だけだった。ここは浮島なので、地面の外側は全て空なのだ。
今まで暗い室内にいたので、太陽の日差しが眩しくて私は少し目を細めた。
「……いた」
彼の視線の先を見ると、アレは綺麗な姿勢で座り、楽しそうに嗤って尻尾を振った。
「あの仔が、解体工事の度に怪我人を続出させてる原因なんだよね?」
「だろうな。この浮島で意思を持つ者は俺達以外にはアレだけだろう。ここが閉鎖されてから、既に数十年過ぎている」
「……ずっと、独りぼっちだったのかな」
彼が呆れたように微笑った。
「遊び相手が欲しいだけなのかもしれないな。少々、やり過ぎな気はするが。とにかく、捕まえるぞ」
彼が駆け出す。
はっと、私は息を飲んだ。
その光景をどこかで見たような気がしたのだ。ずっと前に、同じように彼が走り出し、その後ろ姿を追って私も走った。何かの為に。そして、私は……彼は……。
そう、私はこの未来を知っている。
私は彼の後を追った。
アレはその場から逃げることもせず、ただ尻尾を振っている。まるで、私達を呼んでいるようだった。
彼は真っ直ぐ進んでいく。
でも、その道筋が嫌な未来に繋がっていることを知っている私は、彼を呼び止めようと声を上げたが前を行く彼には届かない。
追い付くように必死に足を動かし、私は彼へと手を伸ばした。
――――あの時と同じように。
彼の背に触れ、押し飛ばすはずだった。それで、助けられるはずだった。
しかし、彼はふいに反転して、逆に私をそこから押し退けたのだ。
ガシャンッ、と甲高い金属音が鼓膜を揺さぶる。
地面に膝をつけた私の目の前で、彼の足は鈍く光る足枷のようなものに捕らわれていた。
あの時と同じ光景。
私はまた、彼を助けられなかったのだ。
今回は知っていたのに、起こることを判っていたのに。
助けることが出来なかった。
彼に走り寄り、その足を捕らえる金属に手を伸ばす。氷のように冷たいそれは、どんなに力を込めても、彼の足を離してはくれなかった。
俯く私に、彼は呆れたように優しく微笑み、そっと頭を撫でる。
確かな温もりが離れるとふいに世界が闇に呑まれ、全てが真っ暗になった。次第に明るさを取り戻し、次に私の視界に広がったのは見慣れた自室の天井だった。
数年前にこの夢を見た。
二人で歩いていて、猫みたいなのがいて、彼はアレに捕らわれた。
そしてまた、同じ夢を見たのだ。
だから、助けたかった。結果を変えたかった。
そこに私がいたのは、その為だと思ったから。
だけど、また繰り返してしまった。
もう一度、夢で君に逢えたら、今度こそ助けるから。
いつか、本物の君に逢えるなら「ありがとう」と伝えるから。
どうか、もう一度君に……。
そっと目を閉じると、冷たい雫が溢れた。